第4話異性の友だち
小田原から家へと向かう電車の中、数か月ぶりにTwitterを開いた。
タイムラインには2年前とほとんど同じ面子が、相も変わらず似たような哲学を語っていた。まるで時が止まっているかのようだった。
誰もが幸せになりたいと願ってそれぞれに活動をしていたのだろうに、この中の誰も幸せになることが出来なかったのだ。そして私も。
「【悲報】彼氏と婚約していたのですが、先ほど破談となりました。傷が癒えたら、また婚活を再開しようと思います。以下、経緯です。」
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだと思う。
いつもはリアクションなんてしないようなアカウントも、ここぞとばかりに次から次へと私の不幸をネットの海に拡散させていった。
よく知らないアカウントから、「この度は大変でしたね。ゆっくり身体を休ませて下さい。」などという、「ありがとうございます。」以外返事のしようがないリプライがいくつも付いた。
世の中の連中は、他人の心配をしているようで本当の意味では他人の気持ちなんてどうでもいいのだと思った。結局、いかに自分が満足できるかどうかしか頭にない。振る舞いたいように振る舞い、分かりやすく期待したリアクションを相手に求めようとする。こんなに弱った相手にまで。
それでも、私の不幸を心の底から不幸そのものとして嘆かれるより、あざ笑ってくれた方がずっと救われるような気がした。少なくとも、今だけは。
そうしてタイムラインをスクロールしていると、呑気な書き込みが目に入った。
「いま横浜にいるんですが、どなたか近くで飲める人いませんか~? 」
だっちゃんだった。
彼は婚活をしながらいわゆる非モテポエムを延々と開陳しているウケ狙いのアカウントで、これまでにも何度かどうでもいいことでリプライのやり取りをしたことがあった。
渡りに船だと思った。こんなときは、一刻でも早くお酒を飲んで憂さを晴らしたい。そして誰かに話を聞いて貰いたい気持ちでいっぱいだった。この種の話は、現実の人間関係では親しい間柄であればあるほど打ち明け辛い。しがらみのないネットの人間関係くらいがちょうどよかった。
「21時頃に横浜駅に着くんですが、遅いですか? 」
「大丈夫ですよ、待ってます! 」
ダイレクトメッセージを送ると、すぐに返事が返って来た。
実際に会うのは初めてになるけれど、もしクソみたいなヤリモクだったらチンポを噛み千切ってやろうと思った。そして法廷に重要参考人として元カレを召喚し、私がどれだけ傷付いているのか思い知らせてやる。そのくらい捨て鉢な気持ちになっていた。
そうして駅近くにある居酒屋の前で待ち合わせ、初めて実際に会っただっちゃんは、中肉中背で、顔面偏差値47くらいの絶妙にパッとしない姿形をしていた。期待なんてしていたわけではないけれど、これはまあ、確かにモテないだろうなと思った。
「さっきTwitterを見たんだけど、なんか大変だったみたいだね。」
お店に入り、だっちゃんにこれまでの経緯をぶちまけながらお酒を煽ると、それはそれなりにイライラが薄れていくようだった。初対面にも関わらず気炎を吐き続ける私に、彼は聞き手に徹してくれていた。私と同じペースで酒のグラスを空けてくれていることに気が付いた。冴えない顔ではあるけれど、それなりに気は利くようだった。同い年であることも手伝って、私たちはすぐに打ち解けた。
話しをしていくうちに、彼もまた失恋したてであるということが判った。
「だから、オレも君の気持ちがめちゃくちゃわかるんだよね。」
数か月前、だっちゃんは婚活パーティで知り合った女性と交際をスタートさせた。
ところが、しばらく関係が続いたある日、彼女から「話がある。」といって呼び出された。曰く、彼女は小さい頃から男性に触られることが苦手で、いわゆる男性恐怖症だったのだという。それでも何とか症状を克服しようと努力している最中だった。
けれど、そんなこととは露も思っていなかっただっちゃんはある日、彼女にキスを求めた。彼女はだっちゃんへの義理もあって、キスを拒み切れなかった。
以来、彼女の体調は劇的に悪化した。食事も喉を通らないようになり、日常生活に支障を来すようになったのだという。そして彼女はだっちゃんに別れを告げた。
「あなたは私には勿体ない人だし、きっとすぐ良い人ができる。だから、私のことはどうか忘れて欲しい。」
「そんな思いをしていただなんて、気づかなくて申し訳ない。別に触れ合う必要なんてないし、一緒にいてくれればそれでいいから。別れないで欲しい。」
「違うの、あなたの顔を見ると、とりわけあなたの唇を見ると、猛烈な吐き気がするようになってしまったの。だから、もう一緒にいられないの。」
だっちゃんは彼女に縋ったが、取りつく島を与えては貰えなかった。それで未練が残ってしまったのかもしれない。だっちゃんは彼女に執着した。返事も無いのに彼女にLINEを連投し、一度結論の出た別れ話の再考を何度も求めてしまった。そうしてLINEも彼女からブロックされた。どこかで聞いたことのあるような話だ。典型的な非モテ男の行動パターンである。
失意の中、数か月の月日が流れた。
ある日、だっちゃんは新宿駅の構内で彼女の姿を見付けた。少し迷った末、彼は話しかけることにした。それは、やあ、とか、どうも、みたいな何でもない挨拶だったのだけれど、自分に執着している男が突然現れれば、当然女にとっては脅威以外の何者でもないだろう。彼女の顔は余りの恐怖に慄いていたという。
「お願いです、付きまとうのは止めてください! 」
彼女はそのまま近くの交番に駆け込み助けを求め、だっちゃんは警察から大目玉を食らったのだという。
「いやはや、大人になって他人からあんなに怒られることってあるんだねえ。」
自分が失恋したことの経緯を他人事みたいに滔滔と話すだっちゃんを見て、私は笑いが堪えられなかった。
「キスだけで女の精神を破壊した男を私は初めて見たよ。ヤバいね、カワイソー。カワイソーなのはだっちゃんじゃなくて彼女がね。」
「危うくストーカーとして接近禁止命令とか食らうとこだった。もう二度と別れた女の子を見付けても声なんてかけないようにしようって心に誓ったよね。でね、これが彼女のFacebookなんですが……。」
だっちゃんがスマホで彼女のページを開いて見せてきた。別れた女のFacebookを未だに監視しているキモさはあるけれど、それはまあ良いだろう。私もこれから元カレのSNSは監視する予定だからだ。画面を見ると、そこには白無垢に身を包んで微笑む彼女の姿が映っていた。
「なんか、男性恐怖症治ったっぽいんだよね。ていうか、最初からそんなもの無かったんだろうなあ。」
「別れる為の適当に考えた口実だったってことねえ。イヤだね、そういうの。ところでさっき、「オレも君の気持ちがめちゃくちゃわかる。」って言っていたと思うんだけど、私の聞き間違いかな。全然置かれてる状況違うよねえ。だっちゃん私の話ちゃんと聞いてた? 一体何に共感していたの? いい加減にして欲しいんですけど。」
「全然違くないじゃない! 恋人と悲しい別れをしたし、しかも相手は取りつく島もないし、何より警察官だって出てくるんだよ。ほぼ一緒じゃん。」
「出て来る単語が似ているっていうだけで全く違うし、一緒にしないでよ! だっちゃんの恋愛は勘違い、私の方は婚約までいってるの。一瞬でも同情しようとした自分がバカだった! 」
私が怒って見せるとだっちゃんは腹を抱えて笑っていた。私も笑った。何だか、色んなことがバカバカしく思えてきた。でも、きっとだっちゃん本人は悲しい思いをしたんだろう。私を励ますためにわざわざ自分の傷を開いて見せてくれたのだ。イイ奴だな、と思った。
「ねえねえ、だっちゃんって、何でだっちゃんっていうの? 」
「ああ、それは名前に2つも「だ」が入っているからなんだよね。」
彼はスーツの内ポケットから名刺を取り出した。それは余りにもありふれた名前だったから、やはりだっちゃんの方が覚えやすいと思った。
「つまんない理由だね。期待して訊いて損したよ。」
「あのねえ……婚活アマゾネスりさぴょんの方が大分ヤバイから。婚活アマゾネスりさぴょんって何なんだよ、婚活アマゾネスりさぴょんってよ。」
三回も他の席に聞こえる声量で婚活アマゾネスりさぴょんを連呼されたので、思わず辺りを伺ってしまった。
「二度とその名前で呼ぶのはやめて。せめて莉佐ちゃんでよろしく。」
やっぱりイイ奴ではないのかもしれないと思った。
そうこうして話をしているうちに、深酒をしてうたた寝していると、だっちゃんが店員さんとお会計のやりとりをしているのが目に入った。
「あっ、もう行くの? 」
「もうっていうか、今、始発の時間だよ。」
「ええ?! 本当だ、ああ、ヤバい。今日も仕事なのに、何してんの私。ごめんね、とんでもない時間付き合わせちゃった。お金出す、いくらだった? 」
「仕方ないよ、昨日は大変だったんだから、そういうこともある。今日はおごるから、お金なんて要らないよ。初回特典と慰労と、あとはまた話聞かせてねっていうことで。」
「でも、おごられても私からは何も出ないよ。あの、だっちゃんとセックス、する気ないし。」
そう言うとだっちゃんは声を出して笑った。
「弱っている人につけ込まない。そのくらいのプライド、だっちゃんにはあるんだよなぁ。」
居酒屋から外に出ると朝焼けが射していた。陽の光が乾いた眼球に染みて、涙が出てきた。
私に構わず駅に向かって歩いて行く彼の姿を見ていると、ふと小さい頃に見た父親の大きい背中を思い出した。
思わず駆け寄って、肘鉄を食らわせた。だっちゃんが、グブッ! という間抜けな声を出して振り返った。
「ねえ、また飲みに行こうね! 」
「次からは割り勘だけどね。あと、肘鉄禁止な。」
以来、私たちはLINEを交換して、毎日のようにやりとりをするようになった。
だっちゃんは決して私に性的なアプローチをしてくることはなかった。そういう隙を見せられる男友だちが出来たのは、小学生以来のことだった。
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