第42話 灰色の翼
「ユウアくん」
血と泥に汚れた顔のアリスが、口を動かす。
足が、顔を蹴る。
「うるさいから
うるさい声でユウアが言う。
「おとなしく嫌な記憶でも思い出してろ」
足が顔を蹴る。
赤く染まった、靴のつま先。
「あーあ、休めると思ったらこれだ」
ダルそうな声。
「こんなんで、本当に『ダイン・スレイヴ』って奴の威力が上がるのか?」
「よし、あとはわしがやる」
浴衣の端を掴み、引っ張る手。
手首を掴んでいた手が、離れる。
去り際にちらりと、浴衣の女性の顔が映る。
左頬に、十字架のような印がある。
「いいか!『断罪の魔砲』の接続ケーブルは、生体に馴染むまで時間がかかる!だから、まずはこちらの装置を付ける!すると、すぐに筋肉や魔力の動作を制限されて……」
扉を見据えて歩き進む。
海岸を見つめる。
堤防に並んで座る、二人の人間が視界の中心にある。
「話が随分と違うな。一度触れたら、終わりのはずだが?」
伴羅の低い声。
「僕も理由を考えてるんだ。配信が楽しくてやめたくないのは分かるが、僕への拒否が強すぎる」
ユウアの声。
「さしずめ……僕の言うことを聞いて、僕に依存して、また辛い思いをするのが嫌、って感じか」
ユウアの声。
「なら、簡単な話だ。理由を作ってやればいい。一回だけ、俺に意志を委ねても問題無いと思える、理由を与えてやろう」
「地下の魔王が出てくるとは、大変なことになりましたね」
殺風景な廊下を走っている。
「ソウゲキさん」
ユウアの声。
「シン」
ソウゲキの声。
横を見ると、ソウゲキが一緒に走っている。
「
「どうって……前も言いましたよね。大切な人です」
なぜか、ソウゲキは冷ややかな目で、こちらを見る。
「俺も、それが真実だと思っていた。……思っていたけど……いや、やっぱり今はいい」
市街地を見下ろす大きな窓を背景に、初老の男性がこちらを見ている。
「ウソは良くないね」
男性は、穏やかな口調で言う。
「ウソ?キダさん、僕はウソなんてついていません」
動揺して震える、ユウアの声。
「君は、天音アリスに会おうと思えばいつでも会える」
「そんなこと、ありません」
「公安はね、『
「なっ……!?」
「悪いが、君の記憶は一通り見させてもらった。君が負い目を感じる必要は無い。我々も、無断で個人情報を見たことは申し訳ないと思っている。それより、協力してほしいことがあるんだ」
「協力……?」
「アリスを拘束したい」
「拘束?……どうでしょう。アリスをここへ連れてくることはできますが、拘束となると……」
「今はいい。準備ができてからだ。それと、ウチの職員ではあるが、ソウゲキには注意してくれ」
「ソウゲキ?あの、すごく強い人ですよね」
「ああ。彼は腕は立つが、無駄に正義感が強い。
薄暗い部屋。
アリスが、ソファで隣に座っている。
アリスは、マスクは着けていない。
「ユウアくん」
アリスが、こちらを見る。
「最近、記憶が……
「アリス、公安がアリスを狙ってるんだ」
遮るように、ユウアは言う。
「こ、公安?」
「前にも会ったろ、スーツの男達。アリスの『
「そ、そっか……あの人達、しつこいよね。でもね、ユウアくん。最近は……」
「僕は、公安に潜入しようと思う」
「え?」
アリスがこっちを見る。
目元に大きな
アリスの手を取り、握る。
柔らかく、冷たい、アリスの手。
「あいつらは、汚れ仕事も平気でこなす。あいつらに近づかれる限り、アリスの記憶視は良くならない」
「でも、危なくない?」
「危険だけど、やらなきゃ」
「次、いつ会えそう?」
「潜入してる間は、会うのは難しいかな……」
「そんな……」
瞳に涙を溜める、アリス。
「大丈夫だ。必ず戻ってくる」
アリスを抱きしめる。
柔らかく、冷たいアリスの肌。
「ユウアくん……待ってるからね」
「ユウアくんは、すごいね」
街中の観覧車に乗っていて。
アリスが隣に座っている。
アリスは、マスクをしている。
「私に必要なもの、何でも知ってるみたい」
アリスは目を細めた。
手が伸びて、アリスのマスクの紐に指が触れる。
マスクを外すと、彼女は驚いた顔をする。
「ど、どうしたの?」
アリスの顔が近づく。
アリスが、こちらを見る。
突然、彼女は怯えるように顔を逸らした。
「ご、ごめんなさい」
アリスの肩が震える。
「怖い記憶を、思い出して」
「僕の方こそ、ごめん」
ユウアの声。
腕が伸びて、アリスの肩を抱く。
『キスくらいさせろよ、バカ』
ユウアの、思考が伝わってくる。
『しばらくは会うが……これ以上進展ないなら、会っててもしょうがないな』
暗い洞窟の中で、少女が泣いている。
周りには、沢山のモンスターの死骸。
少女は、肉塊の真ん中で、顔を覆っている。
すすり泣く声が聞こえる。
「大丈夫?」
少年の声。
「どうしたの?」
少女が、顔を上げた。
左頬に、十字架のような印のある、少女だった。
「また暗い顔してる」
膝を抱えてアスファルトに座るアリスの、隣に座る。
「こんな道端にいたら、誰かに声、掛けられちゃうよ」
「だから何?」
アリスは、低く
「どうせ、誰も私に触れないんだけど?」
「そうじゃなくて、変な人に絡まれたら記憶視が……」
「いい」
アリスは、こちらを睨んだ。
「何してたって、地獄みたいな記憶ばっかり見る」
「……」
「こんな記憶ばっかり作る世界なんて、クソだよ。みんな死ねばいいのに」
アリスは、曇った瞳をしている。
胸に、貫かれるような痛みを感じた。
「おらあ!死ねぇ!」
恐竜のように大きなモンスターの、首から上が宙を舞う。
「お前も死ねぇ!」
アリスが、『
「うっ!」
突然、アリスが頭を抱える。
「アリス!?」
慌てて、駆け寄る。
「うぅ、モンスターの持ってる記憶か……クソが……」
「ちょっと、休もうよ」
「いい!こいつらぶちのめす方が、心が休まるんだよ!」
掴んだアリスの腕は、柔らかくて温かい。
泥と血の匂いがする。
どこかの学校の、体育館裏。
「クソー!死ねー!」
地面に足を何度も叩きつける、アリス。
「どしたの?こんなところに呼び出して」
「呼び出したんじゃねぇ!私が呼び出されたんだ!」
「な、何……?」
「男が!告白してきやがった!」
「そ、そう……おめでとうございます」
「めでたくねぇ!その後、大変だったんだぞ!」
「そ……そうなの?」
「記憶見た!男女関係でこじれて苦しむ、誰かの記憶!」
「そっか……」
「もう、全人類去勢しろ!」
「告白の返事は?」
「断るに決まってるだろ!」
暗い、洞窟の中。
「ねえ」
「何?」
「もう帰るの?」
「帰らないの?」
大量のモンスターの死骸の真ん中で、アリスがこちらを見る。
「もう、モンスターは出てこないよ」
「出てこなくてもいいの」
足を滑らせないように気を付けながら、アリスがこっちへやってくる。
「もうちょっと、一緒にいよ」
「記憶視は、大丈夫?」
「だから!」
「だから?」
「……一緒にいた方が、楽になるの」
こちらを見上げるアリスの目。
照れてるような、甘えるような顔。
胸が熱くなる、感覚がする。
「最近、あんまりモンスター殺さなくなったね」
ダンジョンの壁にもたれて、二人並んで体育座りをする。
「気づいたんだ」
アリスが、頭を右肩に乗せる。
「私、こうして一緒にいる方が、楽になれるんだ」
「……そっか」
「これからも、一緒に探索してくれる?」
こちらを見るアリスの目は、優しい。
人を慈しみ気持ちで、溢れている。
胸の奥と、目頭が熱い。
目元に涙が溜まってくる。
「いいよ」
「モンスターぶっ殺して、気を紛らわせるんじゃなくて」
「うん」
「今日みたいに、一緒にいて、何か見つけて、一緒に笑いたい」
温かい、アリスの肌。
甘い香り。
安堵と、喜び。
『もっと一緒にいたら、見られるかな?』
『アリスが、本当に救われる瞬間を』
オシャレなカフェで、アリスとティータイム。
「最近、全然怒らなくなったね」
「まあね……」
アイスティーのグラスをつつきながら、アリスが言う。
「怒っても疲れるだけってことに、最近気づいた」
「男の子とデートして、幸せ知っちゃった?よかったですねー」
「あっ!ひょっとして、ヤキモチやいてるのかなぁ!?」
「うるせぇ!ヤキモチじゃないし!彼氏作るくらい、勝手にしやがれぇ!」
「彼氏じゃないもん」
「じゃあ何?えっと……あの子だよね?ダンジョンで私とはぐれた時に、出会った子」
「うん、ユウアくんね。頼れる友達。でも頼りすぎてもよくないなー、って思う」
「フラれたら、いつでも私に泣きつきなぁ。うわぁーん!って言って」
「しないし!」
「あ、あと……一つ言っておかなきゃいけないことがあって」
「何?」
「私、3月から1ヶ月くらい、仕事で地下に行くんだ。しばらく会えない」
「え、そんな……」
アリスは、口にくわえていたストローを落とした。
『え、そんなにショック受けるの?』
「ユウアくんもいるから、一人じゃないでしょ?」
「うん……」
『ユウアくんがいるから平気かと思ったけど、違うんだ』
「困ったら、いつでも電話しな?」
「うん……」
「アリス、地下の国に来なよ」
「やだ」
洞窟の中で、アリスと言い合う。
マスクを着けたアリスは、機嫌悪そうにこちらを睨む。
「……ユウアくんを、待ってるから?」
「うん……」
「でも、危険だよ。公安に襲われたら、また記憶視が酷く……」
「公安はユウアくんが何とかするから、いいの」
「でも、ユウアくんはいつになったら……」
「うるさい!それに……私、見つけたいの。誰かに依存しなくても、幸せになれる方法」
「地下で探せばいいじゃない!」
「いいの!とにかく、地下には行かない!」
「……一緒に探索するのも、やめる?」
「……やりたい」
「……しょうがないなぁ」
「ヒカリちゃんは、やりたくない?」
「ううん。やりたい」
「よかった……」
嫌なことを思いついた。
ダンジョン内なら、人目につかないところなら……無理矢理でも、地下の魔王のところへ連れて行ける。
人質を取れば、アリスはきっとついてくる。
いつの間にか人を大切にできるようになってしまったアリスは……人を見捨てられないから。
胸が締め付けられる。
きっと、これはアリスの幸せにはならない。
「ヒカリおねーちゃん」
誰もいないオフィスで、リリィが隣のチェアに座った。
「元気出して」
「ねえ、リリィ。アリス、幸せになれるかな」
『ユウアは、いつの間にかいなくなっていた』
「
『アリスの話を何度も聞いていて、わかった。ユウアがあの子に教えたのは、寂しさや会えない辛さだけ。アリスが、彼のいるときだけ幸せを感じるように』
「アリスが辛そうだったら、おねーちゃんが助けに行ってあげればいいんだよ!」
リリィが言った。
「それが、親友でしょ?」
「そうだね。ありがと、リリィ」
リリィの頭を撫でる。
「えへへ……」
リリィは嬉しそうに、顔を赤くした。
ヒカリ。
ありがとう。
ごめん。
「炎羅ちゃん」
「……なんだよ」
「私と、友達になろうよ」
「はあ!?おまっ……なに言ってんだ!?」
炎羅は、その場から飛び上がってアリスから距離を取った。
困惑と、喜びが入り交じって。
胸の内が、ざわついている。
「本気で殺したかったんじゃなくて、勢いでしょ?私こそ、ごめんね。煽あおるような言い方しちゃって」
「な、なに言って……」
「だから、友達になろうよ!」
「何が『だから』なんだ!?」
でも、アリスに慕われていると気づくと、身体中が熱くなってくる。
俺と目が合ったら、気恥ずかしくて、もっと身体が熱くなった。
「うわあぁぁん!」
フロア内に、アリスの泣き声が響いた。
アリスは俺を抱きしめて、大声で泣き出した。
「ししょー、よかった……よかったぁ……!」
その様子を見たトウヤは、やれやれと呆れた顔をしながら。
ホッとしていた。
胸の奥が、目頭が、熱くなるのを感じた。
『この二人は、見守ってあげた方がいいな』
そう、思ってくれた。
トウヤが、言った。
「僕達は、自分が許せないんですよ。ここまで、何もできなかった自分自身が」
そのとき、トウヤの胸の奥には、確かに怒りの炎が熱く燃えていて。
俺の姿を見て心を傷める、痛みを感じていた。
「心配すんなよ。絶対、戻ってくるから」
炎羅が言った。
「もう、シュウを一人にはしないから。この砲撃も、絶対に止めてやるから」
泣きそうな炎羅の心。感じたこっちが、辛くなってきた。
このときだけじゃない。
炎羅は、疲れた顔した俺を見て、ずっと心配してくれてたっけ。
ありがとう。もうこれ以上、心配させられないな。
自分を大切に思ってくれる人のこと、アリスはどれくらい気づいてた?
俺はわかってるつもりで、わかってなかったみたいだ。
自分が
俺は、とりあえず戦いに行こう。
俺は人殺しのピエロだけど。
みんなを助けるために命を賭けることくらいは、できる。
「チッ!まだ援軍がいたのか!」
研究所のエントランスに響く、ユウアの苛立った声。
魔王にトドメを刺そうとしたとき、何者かがエントランスに飛び込み、ユウアに斬り掛かった。
ユウアがそれをかろうじて避けると、伴羅が後ろから剣を振るう。
何者かはそれを捌き伴羅に斬撃を放つ。
受け止める伴羅。その間、体勢を立て直すユウア。
侵入者は、二人を相手に何十分もの間、戦い続けた。
「来るのが遅かったな」
伴羅は顔色一つ変えず、侵入者と刃を交える。
「二対一で勝てるほどの腕ではない」
魔王も
「そして、他の連中には、立ち上がる元気も無い。さっさと諦めたらどうだ?」
伴羅の強烈な一撃。
侵入者の動きが、止まる。
「
「爆発魔法」
ヒカリは素早く身を躱す。
爆発は、ヒカリの去った場所で次々と爆発を起こした。
ヒカリの移動した軌跡を追うように、爆発は連鎖する。
「記憶視でも、動きを読み切れない……『記憶
ユウアが舌打ちをした。
「記憶視による情報取得を妨害する技術、『記憶遮蔽』……ただの時間稼ぎだ」
ヒカリの移動先、目の前に、剣を振りかぶる伴羅が現れた。
回避の動きを取るヒカリ。
だが、剣の切っ先を躱しきれず、ヒカリは腹部に切り傷を負った。
「『記憶遮蔽』は、僕や伴羅も使える。明日野の装置のおかげでね」
爆発魔法で追い打ちをかけるユウア。逃げるヒカリ。
「君のこと、アリスから聞いたことがあるよ。乾ヒカリ」
攻撃を続けながら、ユウアは喋る。
「僕より長くアリスと一緒にいたけど、彼女を変えることはできなかった。彼女をちゃんと人に笑いかけられる、明るい女の子に変えたのは僕だ」
あくまでも距離は詰めず、ヒカリの回避ルートを制限しながら、ユウアは爆撃を続ける。
「ありのままの相手を認めろ、なんて理想を語る奴がいるが、心の中じゃみんな分かってる。本当に人を導けるのは、その人を変えられる人間だ」
ヒカリの足下で爆発が起こる。ヒカリは、その場に倒れ込んだ。
「アリスにとって、それは僕だ。その僕が悟ったんだ。どう頑張ったって、アリスは救えない。『
ヒカリの倒れた場所で、爆発が何度も起こる。
何度も。
何度も。
「だから、せめて世の役に立てるような道を、僕が選んでやったんだ。君は、その道を絶った愚か者だよ」
「あーあ、いっちょ前に、力を自分の道具にできたと思ってるのね」
爆発の中から、ヒカリが立ち上がった。
平然と。
血など一滴も流さず。
「どうやって、避けた?」
ユウアが、怪訝な顔をする。
「記憶視」
「『記憶遮蔽』をしている。僕や伴羅の動きは読めない」
「いい?記憶視を使って戦う時は、人の思考を読んで動くんじゃないの」
ヒカリは言った。
「周りの人の視点や、音、風の流れ。『記憶遮蔽』では隠しきれない、敵の手指やその他の、微細な動き。それら細かい情報と魔力の動きを読んで、行動の最適解を見つけるの」
ヒカリは、後ろから迫った伴羅の斬撃を、後ろを見ずに受け止めた。
「わかった?」
ユウアは、怒りにまかせてヒカリと距離を詰めて爆撃を再開した。
伴羅は、爆発していない場所から的確にヒカリへ斬撃を放つ。
お互い、わざわざ目や口で位置の確認などはしていない。記憶視を使った連携だ。
二人の波状攻撃に、次第にヒカリの回避が追いつかなくなる。
ユウアの爆撃が、ついにヒカリの背中に炸裂した。
「あとは……頼んだよ」
倒れるヒカリめがけて、伴羅が剣を振り下ろす。
ユウアが、ヒカリの倒れる先で爆発を起こそうと、魔力を地面に送る。
魔力の動きだけでなく、空気の流れの情報も合わせることで、分かる。
爆発の細かい位置、タイミング、強さ、範囲。そして伴羅の剣の威力と、ヒカリに当たるタイミング。
「桜坂くん」
構築魔法。
翼。
灰色の翼を背中に生やし、落下速度を上げ一気に地上へ辿り着く。
その片翼をヒカリの下へ伸ばし、地面の爆発を受け止める。
はためくもう片翼で、伴羅の剣を弾く。
俺は、研究所のエントランスに降り立った。
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