第22話 告白・一

「アリス……無事でよかった……」


 少年は、アリスを強く抱きしめている。


「ゆ……ユウアくん……?」

 アリスは抵抗せず、少年の腕の中で困惑している。




「はっ!?」

 少年は、突然気づいたように顔を上げた。

「申し訳ありません!僕は怪しい者ではありません!僕は公安部異能課のシンと言います!ええっと、今日はですね……あー……」




「自己紹介して頂けるのはありがたいですが……」

 トウヤが、冷静に少年の話に割り込む。

「その体勢のままですか?」


 少年は、アリスを腕に抱いたまま顔だけこちらを向けていた。


「シン」

 すぐ傍に居た、紺スーツの男が、少年の肩に手を置いた。

「落ち着いて」


「は……はい……」

 少年は、ゆっくりとアリスから離れた。


 アリスは、何も言わない。

 ただ、こちらを見ている少年の顔を、上目遣いで見つめている。




「紹介が遅れてすみません。俺は公安部異能課のソウゲキです。こちらはシン」

 スーツの男は、言いながらポケットから出した手帳を開いて見せた。

 警察手帳だ。

「なお、活動の性質上、両名とも偽名を使わせて頂いています。ご了承ください」


「ソウゲキと言えば、SSダブルエス級探索者としても同名で活動されてますよね」

 トウヤが質問する。

SSダブルエス級探索者が公安の諜報員……かなりのビッグニュースですが、口外は……?」


「今は控えてほしいです」

と、ソウゲキ。

「俺が公安であることは、抑止力としていずれ公表予定……ですが、まだ指示が出ていないので」


「なるほど、承知しました」

 トウヤは、合点がいった様子だ。

「口外は控えるよう、肝に銘じます」




「アリス、配信は危険だ」

 シンと名乗った少年は、アリスを見つめて語りかける。

「今日みたいに、厄介な奴に目をつけられる」


「シン、話は課長のところで」

 ソウゲキは、アリスに迫るシンを制する。

天音あまねさんと桜坂さくらざかさんのお二人だけ、同行をお願いしたい」


 俺は、突然名を呼ばれたことに驚愕した。

 俺もアリスも、彼の前で名乗ってはいない。

 噂で、ダンジョン関連における警察の諜報組織がある、とは聞いたことがある。公安部異能課……これが、その組織なのだろうか。




「おい、あたしはいいのかよ?」

 黙って話を聞いていた配信者狩り・炎羅えんらが、口を開いた。

「逮捕しなくていいのか?知ってるんだろ?あたしが配信者を狩ってること」




「”逮捕”は我々の仕事ではないので」

 ソウゲキは、炎羅に笑顔を向けた。

「それに、そんなに悪人でもないでしょ?特に今は」


「なっ……」

 炎羅は、驚いてうろたえている様子。

 想像外に優しい対応に驚いたのか……それとも、心を見抜かれたような気持ちになったからか。




「師匠殿、1つだけ、アドバイスです」

 トウヤが、俺に耳打ちした。

「彼らについていって、危険は無いでしょう。ただ、向こうではとにかく冷静に。そして簡単に承諾しない……それが、交渉では重要です」







 俺とアリスは、ソウゲキとシンに連れられ、付近の高層ビルに入った。

 『公安』……警察組織だから、警察署にでも連れて行かれるかと思ったが、ビルの案内表示にも“警察”の文字は1つも無い。『諜報組織』だからか。


 ダンジョンを出てから”課長”が控えているという部屋に案内されるまで、会話は1つも無かった。

 歩いている途中、アリスは、先導するシンの後ろ姿を、何度も見た。

 マスクを再び着用しているが、その目は……今までに見せたことの無い……




「俺は、外で待機らしい」

 部屋の前に来て、ソウゲキは沈黙を破った。

「シン、頼んだよ」


「はい」

 シンは、扉の前に進み出た。

「ユウアくん……」

「この部屋では”シン”で頼む」

 声を発したアリスを、シンは黙らせた。

 そして、扉をノックする。

「失礼します」




 部屋に入ると、まず目に入るのは市街地を見下ろせる、大きな窓。


「呼びだてして、すまないね」


 声の方を見ると、初老の男性が立っていた。

 後ろにはテーブルと、大きなソファーが向かい合って2つ。


「私は、公安部異能課のキダといいます」







「本来、キミ達は”魔王”による乱闘事件の重要参考人として、警察で聴取を受ける……しかし今回は特別に、公安の案件にさせてもらった」

 公安部異能課・課長のキダは、俺達をソファに座らせると、話を始めた。

 俺の隣にはアリス。テーブルを挟んだ向かいのソファには、キダとシン。


「理由は、天音アリスさん……あなたがSSダブルエス級探索者であり、かつ、動画投稿サイトの有名な配信者であることが発覚したためです」


「魔王に目をつけられたのも、配信が原因だ。キミが注目を浴びるのは危険だ。別れる前にも、あれほど……」

「シン、先に私から説明する」

「す、すいません……」


 前に乗り出してきたシンを、キダが制した。


「今回の魔王の騒動で、あなたはさらに注目をされる。自身のプライバシーを守るのは今後、難しくなってくるでしょう。魔王も、あなたを狙って今後も襲ってくる可能性が高い」


「大丈夫です。私、今までも自分のことは、自分で守ってきましたから……」

「アリス!」

「シン、静かに」

「す、すいません」




「今回の事件の影響力は、いずれ分かるでしょう。そこで、我々からの提案です」

 キダは、書類の束をテーブルに置いた。

「天音アリスさんを、我々”公安”の諜報員として迎え入れたい。そうすれば、あなたの個人情報と身の安全は、公安により守られる」




「えっ?でも……」

 そう呟くと、アリスはシンを見た。




「アリス。キダさんと接するうちに、分かったんだ。公安は、裏のある組織なんかじゃない。全面的に信頼していい」

 シンは、説得するような口ぶりで言った。

「最初は、僕も潜入のつもりで入った。けど……今は、公安に入って心から良かったと、思える」

「でも、公安って、酷いこともしてるんじゃ……」

「アリス」


 そしてシンは、アリスを見つめる。

 俺にはその目が、恋人を見るような目に、映った。


「公安は確かに、多少の汚れ仕事もある。だが、今日のようなことがあればいずれ、より大きな、むごたらしい犠牲が出ることになる」




 シンはソファから腰を上げ、アリスの手を差し伸べた。




「これからは、一緒にいよう。公安で」




 その差し伸べられた手に、アリスは触れなかった。


 むしろ、少し怯えるように、後ろに引いた。




「わからない……考えさせて……」




「あの……公安の仕事と配信は、両立できるんですか?」

 俺は質問した。

「『諜報員』という仕事の性質上、身元が割れる恐れのある配信業に、制限はかかるかもしれません」

 キダが答える。

「まずは、公安の仕事について説明をしましょう。判断は、それからで結構です」


「課長……いいんですか?」

上層部うえから許可は貰った。必要な説明だ。ただ……」

 心配そうなシンに言ったあと、キダは俺を見た。

 その目で、俺は確信した。


「桜坂さん、あなたには聞かせられない話だ。申し訳ないが、ここで退出してほしい」


 この男は、アリスのプライバシーなど心配してはいない。

 目的はアリスという戦力を、公安に取り入れること。

 公安に入っても、アリスは利用されるだけだ。

 だが、キダの隣にいる少年……シンに説得されたら……

 分からない。シンとアリスの関係を知らない以上、何も……




「おい、お前!早く出て行け!」


 シンの苛立つ声で、俺は我に返った。


「あ、はい……いや」


 『はい』と返事しかけたが、トウヤの言葉を思い出して、言い直した。


「いや……」

「いや?」

 シンは、さらに苛立ちをあらわにする。


「しかし、公安に関する具体的な説明は、天音さん以外には伝えられない。天音さんの配信の相方ということで同行願ったが、ここから先は……」


「そうです、ししょーは配信の相方です」

 ここでアリスは、毅然きぜんとした態度を見せた。

「相方無しで、話は進められません。一緒に話してくれないなら、私は公安には入りません」




「……天音さん、あなたの意思はわかりました」

 キダは、アリスの勢いに押された様子だ。

「しかし、公安の仕事の話は、やはり天音さん以外には伝えられません。この件に関して、即答は求めないと約束しましょう。だから、桜坂さんにはご退出願いたい」




「……わかりました」

 公安の仕事内容は、機密情報だ。これ以上の譲歩は望めないだろう。

 俺は、ソファから立ち上がった。




「ししょー……」

 部屋の扉の前に立った俺を見て、アリスが小さくつぶやいた。


 俺はアリスを見て、言った。

「あとで、一緒に考えよう」




「おい!」

 シンが、俺をにらんだ。

「アリスとじゃないといけないのか、配信は!?」




 俺は、返す言葉が思いつかなかった。




「お前は、配信して遊ぶか、金稼ぎしたいだけだろ!?そんなことに、アリスを巻き込むなよ!」

「やめなさい、シン」

「でも……!」

「それを考えるのは、我々の仕事ではない」


 シンは、悔しそうに拳で膝を叩いた。







 俺は、部屋を出た。

 まるで、俺が悪者みたいな言い方だな。

 いや、シンにとっては、俺がアリスを奪った悪者に見えているのかもしれない。

 分からない。シンとアリスの関係も、公安がどんな組織かも。

 説明しろよ。でなきゃ、俺だってどうすりゃいいか、全然分からないじゃないか。




「桜坂くん」

 部屋からエレベーターへ向かう通路の途中で、ソウゲキは壁に背中をもたれさせて立っていた。

「カメラとスマホ。魔王が、戦っている間に落としたみたいだ」

 そう言って、ソウゲキは足下に置いた鞄からカメラとスマホを取り出し、俺に渡した。


 間違いなく、俺のカメラとスマホだ。


「動作確認はしてないから、自分でやってね」


「あの……シンさんって、アリスとどういう関係なんですか?」

 俺は、居ても立ってもいられず、ソウゲキに尋ねた。


「本人達が話すべきだと思うから、詳しくは言わないけど、ただ……」

 ソウゲキは、言葉を濁した。

「シンにとって、天音さんは『大切な人』、だそうだ。どういう意味かは、分からないけどね」







 ビルを出ると、俺はスマホを操作した。

 動作に問題は無い。

 先ほどの配信のアーカイブと、コメントを確認する。

 配信は、地上に出た魔王がアリスに魔法を撃ったところで、カメラが落ちて終わっていた。



―― でし子の本名、天音アリスって言うの?

―― 私知ってる。同じクラスにいるもん

―― 頬に十字架って……SS級探索者の特徴になかったっけ?

―― SSなら強いのも納得だな。なんで配信してたんだ?

―― 師匠はやっぱりただのアシスタントか


―― そんなに強いなら他の配信者のこと、内心バカにしてたんだろうな







 ビルの前を行き交う人達を眺めながら、アリスが出てくるのを待つ。

 ビルの中は、息が詰まりそうだ。


 俺やアリスと同じ、高校生くらいの男女が、タメ口で楽しそうに喋りながら通り過ぎていく。

 俺は、アリスとの会話を思い出した。


『天音さ……アリス、あんまり堅苦しい喋り方しなくていいぞ』

『ししょー!わかった!』

『……なんか、逆に変な感じだな』







 イヤホンでラジオを聞きながら、空を見る。

 何台ものヘリコプターが、曇天の空を飛んでいた。




『ご覧ください。”魔王”を名乗る犯人が撃った魔法によって、形が変わってしまった見竹みたけ山です』


 女性キャスターの緊迫した声が、イヤホンから耳に入る。


『全国でも有数の山ですが、”魔王”の放った光球がぶつかった結果、このように半分以上が削れ、変わり果てた姿になってしまいました。ダンジョン探索協会は『この威力の魔法を撃てる協会登録者は、直近に新設されたSSダブルエス級以外にありえない。探索者である可能性は極めて低い』とコメントし……」


 俺は、チャンネルを音楽番組に変えた。


『……をお送りしました。速報です。”魔王”を名乗る人物が……」


 チッ!

 俺は、イヤホンを耳から外した。






「ししょー」




 後ろから、声を掛けられた。

 アリスだ。

 俺が退出してから、まだ30分も経っていない。




「話、聞いてきたよ」

 アリスは、書類の束を小脇に抱えていた。

 公安に入るために必要な書類だろうか。


「どうだった?」

「んー……」

 俺の問いに、アリスは少し首を傾げて、考えながら答えた。


「んー……」

 そして、ちょっと俯く。

「公安に入ったら……やっぱり、配信は続けられなさそう……」




「……そっか」

 予想できたことだ。

 それより、今すぐシンとの関係を問いただしたい。

 それを踏まえて、対応を考えた方がいい。




「ししょーは、どう思う?」

「な、何が?」

「私がいたら配信が大変なら、私は……」


 そう言って、アリスは黙った。

 アリスは、不安に満ちた顔をしている。

 どうすればいいか、分からないという顔。




 ……違う。問いただす前に、俺は、俺の気持ちを言うべきだ。

 アリスとシンが、どんな関係でも、仮に恋人だったとしても、俺の気持ちが変わるわけじゃない。






 

「アリスが公安に入りたいなら、俺は止めない」

 俺は、不安に怯えているアリスを見つめた。

「でも配信したいなら、俺はアリスを全力で守る」




「ししょーは……?」

 アリスも、俺を見つめた。

「ししょーは、私と配信したい?それとも、一人の方が気楽?」




 かつての恋人、ニコへの気持ちと、アリスに対する感情が同じかは分からないけど。

 一緒にいたいという想いだけは、確かだ。




「俺は……アリスと一緒に配信したい。アリスが楽しそうに配信してるのを見るのが、俺は好きなんだ」

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