第13話 中層探索配信
中層は、地下30階以降のフロアをさす。中層の探索配信は、地下30階の探索からスタートすることも少なくない。しかし、今回は初めての中層探索配信ということもあり、入り口から中層に到達するまでも配信することにした。
「こんにちは!弟子のでし子です!今日もししょーがカメラを回してくれます!」
―― こんでしー!
―― こんでし!
―― こんでし!
―― こんでしだー!
こっちは何も言ってないのに、勝手に専用の挨拶ができている。
中層に至るまでは、いつも通りの安定した実力で、トラブルの心配を視聴者に一切させない配信を進めるアリス。
―― 左に進むと鉱石落ちてるよ
―― ここは左
―― 左は行かないでいい。時間の無駄
―― 中層に行けば鉱石沢山あるから左は行かなくていい
視聴者の増加に伴い、探索の進行に関して意見を述べる有識者がコメントに増えてきた。しかし、配信では進行ルートを最初から決めているので、どんなコメントをされてもルート変更はしない。
「ここの左右は、どちらに進んでも中層に行けます!どっちがいいですか!?」
このように、アンケートを採って進行方向を決める場合はある。アンケートを採る場所は、事前に打ち合わせ済み。
視聴者の人数が1万人近いので、こういうときは配信サイトのアンケート機能を使う。操作は俺の担当だ。アリスの発言に合わせて、スマホを操作してアンケートを画面に表示させる。
「右は、奥にちょっと広間があるのが見えますねー、モンスターが集まってるかも?左は道が細くて、先が見えないね。何があるのかな?」
アンケート中は探索を止める必要があるが、アリスが話してうまく場を繋いでくれる。
何も無い通路を歩いているときも、最初は黙って歩いている時間があったが、最近は雑談で間を繋ぎながら配信を進められるようになった。トーク技術の上達がとても早い。こっちも安心して見ていられる。
「アンケート結果が出ました!左に行きます!何があるのかなー?」
配信開始から2時間後、ついに中層手前の29階に到達した。
「ここで休憩を挟みます!20分後に再開するので、チャンネルはこのままで!」
聖水の流れる、モンスターが出ない小川のほとりで、休憩時間を設けた。
普段は3時間くらいの配信でも、休憩は入れない。今回は中層に向けた準備をするためで、特別だ。
俺はマイクオフ、画面切り替えを確認し、スマホの配信設定の操作を始めた。
中層から下はスマホの電波が外へ届きにくいため、画質や電波強度を変更して対応するのだ。
「ししょーと中層に入るの、初めてですね!」
作業中の俺に、給水用のペットボトルを右手に握ったアリスが話しかけた。
水を飲んでいる途中なのでマスクを外しており、久しぶりに素顔の笑顔を拝見できた。超可愛い。
「ししょーは中層には、よく来るんですかっ?」
「あー、中層は……」
「あっ!トイレしたいかも!」
「えっ!?」
長時間の探索をすれば、尿意や便意をもよおすことがある。人間だから当たり前だ。これまでの探索は長くても3時間程度だったので、トイレを要することは無く済んでいた。アリスのお花摘みタイムは初めてだ。
今回は帰りも含めると4時間を超す探索になるので、もちろん、こういうことは覚悟のうえだ。2人が離れると危険な場所でも排泄できるよう、携帯用トイレも持ってきている。が……
「む、向こうで、してくるね!」
「う……うむ、了解し申した」
ここは安全な場所。音とかの問題もあるので、アリスは小川の近くへ移動し、俺はアリスの方を見ないように背を向けて、作業を続ける。
意識するな。同じフロアでアリスがお花摘み中だということを意識してはいけない。気が散って作業をミスしては一大事だ。ここが頑張りどころだぞ、俺。
『ししょーは中層には、よく来るんですかっ?』
作業をしつつ、俺はアリスの質問を思い出していた。
アリスと以前の配信で降りたのは、地下26階まで。配信中に限れば、既に今までよりも深いところへ来ている。アリス個人は最深層に何度も降りているので、中層探索など慣れたものだろう。
俺はといえば、中層なんて、ほぼ初めてと言っていいくらい経験が浅い。前のパーティでも30階に降りたのは数えるほどで、31階以降に降りた事は無い。
中層は、それまでのフロアよりも一気に危険が増す。アリスがいるからといって油断していい場所ではない。気を引き締めて……
何かに気づいたわけじゃない。
ふと、目線をスマホから上に向けただけだった。
そのとき、目の前に長大な5本の爪を伸ばす、皺だらけの
「ししょー!」
アリスの叫び声が聞こえる。
たぶん、アリスは間に合わない。
なぜなら、
聖水の小川の近くだからと油断していたら、すぐこれだ。
目が見えなくても、配信の手伝いはできるだろうか?
そんな考えが、次の瞬間生きているかもわからない俺の脳裏をよぎった。
「気をつけた方がいいですよ」
男の声がした瞬間、俺の目の前から
「ここの聖水の濃度は、普通より低いんです。小川から少しでも離れるとモンスターに襲われます」
声の主は、俺の左手の少し離れたところに立っていた。
動画作成者の、トウヤだ。
先ほど俺の目の前にいた
「
トウヤは、猿ほどのサイズの
「ししょー!」
後ろを振り返ると、アリスが脱いだズボンで前を隠しながら、駆け寄ってきていた。お花摘み中の途中だったらしい。
「ごめんなさい、ししょー……」
彼女は、目に涙を浮かべていた。
「お二人は、腕は確かですが少し、迂闊なところがあるみたいですね」
トウヤは、俺達を見ると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「配信者狩りの件でウソをついた時から、既に感じていたことですがね」
「ああ、まあ……」
俺は、言葉に詰まってしまった。
俺は配信者狩り・
ただ、炎上しかけた発端は、他でもないこのトウヤが作った動画なのだが。
「ウソがバレずにいて、もし配信者狩りとグルだと思われてたら、今頃こうして配信もできていないでしょうね」
「助けてくれて、ありがとうございます」
アリスは、トウヤに向かって言った。
「今のは迂闊でした。ごめんなさい。でも、
「ほう?」
「トウヤくんは、炎羅ちゃんとグルだと思われるのが最悪のケースだって言ったけど、私はそうは思わない」
思い出した。
アリスは、自分のためにウソをついたつもりは無かったのだ。彼女は、むしろ自分の強さが視聴者に伝わっていないせいで……自分に負けた炎羅や、炎羅に負けた配信者の名誉が傷つくのを恐れ、偽ろうとしたのだ。
「私は、炎羅ちゃんとグルだと……友達だと思われたかった。炎羅ちゃんは本当は良い子だから、友達になって紹介して、みんなに良さを知ってほしかった」
「面白い意見ですね」
トウヤは剣を振った。すると、刺さっていた
「炎羅さんの性格については、僕の調査不足かもしれません。機会があれば検証してみます」
そう言うと、聖水で体が蒸発していく
「た、助けてくださってありがとうございました!」
俺は、咄嗟に礼の言葉を言ったが、トウヤに届いたかは分からない。
トウヤ、偶然だが2回も会ったな。
……偶然?
本当に、偶然か?
まさか、アリスの正体を暴くために、俺達と同じダンジョンを探索して……!?
「
「ひゃっ!?」
俺がアリスの方を振り向いて言おうとしたら、アリスが小さな悲鳴を上げた。
「こ、こっち見ないで……」
そういえば、アリスはお花摘み中にこっちへ来ていたのだった。
彼女は、俺から離れて下半身の衣服を着用するために、体の向きを変えている最中だった。
マスクで頬の色は分からないが、耳が真っ赤なアリス。
急いで体の向きを直したが、さっき横を向きかけていたので、アリスの下半身の肌色が少し見えた。まさか、まだ下着も履いて……!?
「す、すいませんでした!」
俺は、慌てて前を向き直した。
色々とトラブルがあったが、配信はなんとか予定通りの時刻に再開できた。
「それでは、これから中層、30階に行きます!」
―― わくわく!
―― 気をつけて!
―― でし子なら、中層はまだ余裕だろうな
―― がんばって!
見ているだけで気分が悪くなってきそうな色の、紫や黄色で滲んだ壁。薄くかかる霧。漠然と襲ってくる不安感。
以前に来たことがある中層と、同じだ。
俺は配信の画質を確認しながら、アリスとともに歩みを進める。
「もう階段ですね!さっそく、31階に行っちゃいましょうか!」
運良く、モンスターには一度も出会わずに、下への階段を発見した。
上の階層では、普通に整備された階段だった。それが、中層になると様相が一変する。段があるような、無いような……ギリギリ判別できる段も高さがまちまちで、非常に歩きにくい。おまけに、全体的にぬめぬめしている。
ぐちゃっ……
何かを踏んだ。ちらりと見る。ウサギのようなモンスターの死骸だ。俺は、その映像をカメラに入れないよう気をつけながら進む。
「さて、31階です!」
階段を降りきったところで、アリスが元気よく言った。
「ここからが、本番だね」
その直後に、彼女は小さく言った。
配信で言ったつもりなのか、俺にだけ言ったのか、わからない音量の声。
その直後、俺はひどい悪寒と不安感を感じた。
あまりのキツさに、吐き気がする。
強く意識しないと、その場で叫んでしまいそうなくらい、じっとしていられない不安感に襲われる。
ひどく不安定な情動。
今にも体が引きちぎれて死んでしまうと錯覚するような、漠然とした危機感。
そうか。
これが、中層か。
地下31階以降に来たのは、俺は初めてだ。
俺は今まで、本当の中層を知らなかったんだ。
だが、これから起こる出来事は、中層だから起こり得たわけではない。
どこででも起こる可能性があったことだ。
この地震大国、日本であれば。
最初は小さくて、中層にいるせいなのか、何なのか分からなかった。
……なんか、足下、揺れてる?
そう感じる程度。
だが、揺れが大きくなり、アリスが叫んだ時、俺は事態に気づいた。
「ししょー!揺れが大きいです!気をつけてください!」
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