【082】いとしい君へおくるもの

 赤信号が変わり、交差点の向こうからあの人が走って来るのが見えた。少しだけ遅刻するのはいつものこと。わたしももう慣れっこだ。

 すぐに入口のドアが開き、息せき切ってわたしの恋人、浩文さんが入って来た。

「よく来たね。彼女が待ってるよ」

 店のマスターが声をかける。いつも思うけど、このマスターって浩文さんと少し似てる。

 浩文さんはまっすぐわたしの座る席までやって来た。わたしの他には誰もお客さんがいないもん、すぐわかるわね。

「か――香代子さん。……待った?」

「ううん、わたしも今来たところ」

 そんなことを言っても、目の前にある紅茶が冷めかけているのは明らかなんだけど。


 古民家を改築したこの喫茶店は、浩文さんのお気に入りの店だ。待ち合わせはいつでもここになる。店の中には変わったものがたくさん飾ってあって、少しばかり待たされても退屈はしない。

 モアイ像とか、未確認飛行物体のオブジェとか、変にリアルな河童の人形とか、忍者の秘伝を記した巻物とか、念力を増強するベルトとか、北斗七星の柄杓型を刻んだ剣の形のお守りとか、日本酒のビンに入った薬草とか、何かの御札みたいなものとか、何冊もの古い本とか。

 多分マスターの趣味だと思うけど、浩文さんもこういうの好きなのよね。

 ここは出て来るメニューも変わっていて、夜には鍋焼きうどんが出たりする。どれも美味しいけど、わたしが一番好きなのは紅茶と昔ながらのホットケーキ。

 ホットケーキは表面は香ばしく、中はふっくらとしていて、とろりとしたメープルシロップとバターをつけて食べると、甘さが口の中に拡がってもうたまらない。これに香り高い紅茶を合わせると、最高に幸せな時間になる。マスターも、美味しく食べているわたしを嬉しそうに見ている。

 このホットケーキを食べる時と、浩文さんに会う時と、頭に浮かんだ詩や歌をお気に入りの万年筆でノートに書きとめる時がわたしの三大幸福タイム。万年筆のインクは深海の底を思わせる青みがかった黒で、これもお気に入りだ。


 わたしはこの喫茶店で、浩文さんとお話をする。と言っても、大体話しているのは浩文さんで、わたしは聞いていることが多いのだけど。

 浩文さんの話は時にわからないこともあるけど、それでも何だか聞いていると楽しい。今日は話が尽きたのか、子供の頃の話を延々としている。可愛らしいな、と思う。

 ニコニコしていると、浩文さんはすっと小さな箱を差し出した。開けてみると、黒猫の形をした可愛いピアスだった。

「父さんが母さんに贈ったピアスなんだ。これを……君に」

「くれるの? 嬉しい」

 そんな大事なものをくれるなんて。わたしは早速そのピアスをつけてみた。

「どう? 可愛い?」

「うん、……可愛いよ、とっても」

 どうしたの、浩文さん。声が震えてる。と、浩文さんの目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ始めた。ねえ、本当に、どうしたの。

「やっぱりダメだ、こんなのは不自然なんだ」

 浩文さんは立ち上がり、叫んだ。

「なあ! そう思わないか――父さん!」

 浩文さんの視線の先には、マスターの姿があった。


   ☆


 僕の父さんと母さんは、息子の僕の目から見ても仲のいいおしどり夫婦だった。僕も結婚したら、両親みたいに歳を重ねても仲睦まじい夫婦でいたい、と思える程に。だけど、母さんは突然死んでしまった。事故だった。

 父さんの様子がおかしくなったのは、それからだ。

 もともと文化人類学の研究者だった父さんは、様々な資料を集め、読み漁り、実践した――死者を呼び戻す魔術の数々を。

 まさかそれが成功してしまうとは、父さん本人も思ってはいなかったのじゃないだろうか。

 ただし、戻って来た母さんは、父さんと恋人同士だった頃の母さんだった。姿も、記憶も。歳を取ってしまった父さんを父さんと認識しないし、若い頃の父さんにそっくりな僕を父さんの名前で呼ぶ。……母さんの中に、息子の僕はかけらも存在していなかった。

 この部屋は父さんの研究室だ。怪しげな飾り物の中に紛れている魔術アイテムで張られた結界の中でしか、今の母さんは存在出来ない。母さんは、ここは行きつけの喫茶店で、父さんとのデートの待ち合わせをしていると思い込んでいる。父さんはそんな母さんの注文に応じて、料理を作ったりしているのだ。

 僕は若い頃の父さんに扮し、こうやって母さんに色々話しかけている。だけど、何を話しても、母さんは僕を父さんの名前で呼ぶばかりだ。

「母さんの時間は永遠に止まったままなんだよ。これで本当にいいのかよ、父さん!」

「……もう、その辺にしておいてあげて」

 声がした。母さんだ。

 母さんは微笑みながら僕と父さんを見ていた。その姿は、きらきらとした光に包まれている。

「もう、限界だ」

 父さんが呟いた。

「元々長続きする魔術じゃなかったんだ。だから急遽、おまえを呼んだ」

 光の中で、母さんは急速に歳を取って行った。若い姿から、僕の知る母さんの姿へ。

「ありがとう、浩文さん、……浩和」

 カーテンコールを受ける俳優のように、満足そうな表情で。微笑みながら、最後に母さんは僕の名前を呼んで光の中に消えて行った。黒猫のピアスがかちん、と音を立ててテーブルに落ちた。

 テーブルの上には、ピアスと共に母さんの愛用のノートが残されていた。よく見ると、ノートには何かが書き記されている。万年筆で書かれた文字は、確かに母さんの字だ。


 さよふけて

 きようをとわにと

 おもうとき

 わすれなぐさの

 はなのひらきし


 深海の色のインクで書かれた和歌うたは、確かに僕らへ贈られた言葉だった。

 父さんが、そっと涙をぬぐうのが見えた。



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(本文の文字数:2,247字)

(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「うた」「日本酒」「未確認飛行物体」「モアイ像」《叙述トリックの使用》「ひしゃく」《飯テロ要素の使用》「念力」「万年筆」「ピアス」「カーテンコール」「紅茶」「深海」「赤信号」《和歌or俳句の使用》)

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