【077】カーテンコールは期待できない

「 Come on,マミ! スズラン、毒。仔猫に危険It's dangerous for kittens.

リビングに入るなり眉尻をあげて詰め寄ってくる夫に、私は肩をすぼめてわざとらしく「知らなかったわ」と返す。彼はいつだって私より飼い猫のほうが大事なのに腹が立つ。


いつもの花屋の店先で可愛いと思って鉢植えを買って帰った。

※1スズランには毒があって、猫にとっても非常に毒性が高い』と、庭先に植えてからサイトに書いてあるのを見つけて慌てて鉢に戻した。明日誰かにあげようと思って玄関に置いておいたのに、帰ってきていきなり怒ることないじゃない。


「You知ってます。ウソダメ」

嘘? 嘘つきはあなたでしょ、と怒鳴りそうになるのを必死でこらえた。それを口に出したらお終いだわ。二人の関係が黄から赤信号に変わる前に、私は軽く謝って寝室に逃げた。


最近、彼は常にイライラしている。そうかと思えば何かに怯えているときもある。何か私に隠しているに違いない。


私がガイドをしていた時に出会ったジョージは、ずっと笑顔だった。

ニンジャ体験でやたらハイテンションと思ったら、次の日本酒蔵元の匂いだけで酔って笑い上戸になった。観光バスの中では、愛した女性を忘れるための一人旅だと自嘲気味に笑った。人妻だと知らなかったと。

私は彼の儚げな微笑みが忘れられず、偶然再会した銀座で私から交際を申し込んだ。


一緒に暮らして十年。半年前にここに引越してきて、私もECC教室を始め、平凡な幸せが永遠に続くと思えた。


ところが先月、体験レッスンに来た小学生の女の子の話をしたとたん、彼の顔色が明らかに変わった。

その子、難しい漢字が大好きなところや何気ない発想がジョージに酷似していて……もしかして、十年以上前に愛した人妻との……


もしかして、もしかして、私の他にもだーれーか……



「先輩、ふざけ過ぎです! なんでうたい始めるんですか。何の歌ですか!」

私がマイク代わりに握っていた午後の紅茶ごごティーのペットボトルを江戸川君がブンと取り上げて怒りだした。

「『※2もしかしてPartⅡ』だけど」

「知りませんよ、そんな歌。せめてパート1にしてくださいよ」

「わかってないなぁ」

と呟きながら、私は『あひるの子』のシナリオをぐちゃぐちゃポイと投げ捨て、また万年筆のキャップを外した。


やれやれ5度目のダメだしだ。

4月から金田第一高校三年になる私、真鍋リカは、廃部寸前の演劇部部長。

新入生を勧誘するのための芝居を、唯一の後輩部員、江戸川君がつまらないと言いやがったから練り直している。

「それに、ぼくは演劇部員じゃないですよ。先輩に騙されて入部申し込みに名前書いちゃっただけですからジョージ役もデュエットもやりませんよ」

そんな歌知らないとか言ってデュエット曲って知ってるじゃん。

「まあ、そう言わず。幽霊部員でいいから」

「先輩、もう『あひるの子』から離れたらどうですか?」

「それはだめ。演劇部が入学式後に行う芝居は伝統があって。前年度の作品とちょっと繋げるの。ほら、秘伝のタレみたいに」

「一年前のは、いい話だったのになあ」

江戸川君はそう言って天井を仰ぎ見る。


去年、先輩がシナリオを書いて私が一人で演じた『あひるの子』は、家族や友達と感性が合わなくて孤独を感じている小学生が主人公。ECCのマミ先生が飼っている黒猫が産んだ猫たちが、それぞれ模様が違うけど、みんな大切な家族だという、ほっこりする話。


主人公が家族の中で一人だけ赤毛の天パだったとか、マミ先生からスズランの香りがしたという描写があったから、それを伏線として今年はミステリ路線でと思ったんだけど……。


「え。江戸川君、去年の一人芝居を見てくれたの?」

確か最後まで見ていた観客は三人だけだった。そのうち一人は毎年見にくる近所かなにかのお爺さんらしいから、実質二人だ。

「見ましたよ。入学式に来た母と一緒に。母は感動して※3多様性の理解はこう言う所から始めて行けばいいのに』ってアンケートに書いてました」

観客の一人は江戸川ママンかよ。でも、実質の一人が入部したなら勧誘成功率100%だ。

「このシナリオじゃあ、去年のようなカーテンコールは期待できませんね」

江戸川ママン、サクラ要員で今年も見に来てくれないかな。

「でも多様性か。イイネ。今年もその路線でいこう。じゃ、マミさんは実は男っていう、じょじょちゅトリックで」

「うーん……」

江戸川君が首を捻った。

「それか、ジョージは演歌歌手の譲二さんだったとか」

「先輩、歌いたいだけでしょ?※4仕掛けがすごい…これがじょじょつトリックか!』ってなりませんて」

江戸川君に睨まれて、今度は私も睨み返した。

「キミ、言えてないよ」

「先輩も、言えてなかったです」

「……」

堪えきれずにブブーッっと同時に噴き出して、私たちはひとしきり笑った。


突如、部室のドアがガタガタと震えるように音を立て、驚いた江戸川君の動きがピタと止まる。

「やばっ。もうこんな時間」

私は腕時計を見て、慌てて帰り支度を始める。

ドアの向こうで用務員さんの「カギ閉めっぺ。また一人芝居だか。はよけえれ」と言う声。

声をかけられたらすぐに部屋を出ないと、おこりんぼの用務員さんが外から鍵をかけて朝まで出られないという都市伝説がある。

もたもたしている江戸川君を置いて、「はーい。帰りまーす」と言いながら、さっさと一人でドアを出る。半年くらいずっとひとりで通っていた部室だから無意識にいつもの行動をとってしまう。手に持った鍵で外から部室に施錠しようとしたとき初めて違和感に気づく。


また一人芝居だか……?


閉めようとしている鍵穴を見つめて手が止まる。

たしかにこの部室で、よく一人芝居をしてるけど、今日は……。


背後にぞわっと何かを感じた直後、閉じていた目の前のドアが再びガラガラッと音をたてて大きく開く。

「ひっ」

「先輩! ぼくも帰りますよ。鍵しめないでくださいよ」

そう言って目の前に立っている江戸川君の、メガネ、ネクタイ、ベルト、ズボン……上履き。

舐めるように順に見て、ちゃんと二本の足で立っている実在の人間だったことにほっと胸をなでおろす。

「い、生きてるよね。だよね。よかった」

「幽霊部員でも生きてますよ。何言ってるんですか」

江戸川君がむっとしながら部室を出る。

「ごめん、ごめん」と、あらためて鍵を閉める私の背中に用務員さんが声をかける。

「今年の芝居も楽しみにしとるで。気ィつけてかえりや」

あ、入学式の一人芝居見てた三人目……「はーい。がんばりまーす。さよーなら」と後ろ向きに手を振って歩き出すと江戸川くんが不審そうな目を向けてくる。

「先輩、さっきから誰と話してるんですか? また一人芝居ですか」

私は江戸川君を無視して少し速歩きで廊下を進む。


うん。

なんか。

前からそんな気はしてた。


「でも、ハッキリさせたくなかったのに!」

そう吐き捨てて振り返らずに猛ダッシュで廊下を駆けだす。

ちょっと待ってくださいよ、と追いかけてくる江戸川君、責任取って明日も練習付き合ってもらうからね。




※1「【014】あひるの子」秋谷りんこ様の応援コメントより引用

※2 作詞:榊みちこ 作曲:美樹克彦 1997年発売 小林幸子と美樹克彦のデュエット曲

※3「【014】あひるの子」磨糠 羽丹王様の応援コメントより引用

※4「【025】あるミステリサークルの白熱した会議」結月 花様の応援コメントより引用



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(本文の文字数:2,957字)

(使用したお題:「永遠」「ニンジャ」「黒猫」「うた」「日本酒」《叙述トリックの使用》「万年筆」「カーテンコール」「紅茶」「赤信号」)

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