【076】轟探偵事務所と河童村のしきたり

 紅茶を啜って、探偵は筆をおく。書きかけの書類には万年筆のインクが滲んでいた。

 不意に事務所の扉がノックされる。外にいた人物を中に招くと、その人物は言った。「こちら……とお聞きしたんですが」と。




「僕は轟。こちらは助手の猪瀬くん。ちなみにうちは怪奇現象専門の探偵事務所なんかじゃないです」


 客は「丹波です」と名乗って、轟の言葉を何ら気にせず続けた。

「私の村には古くからの言い伝えがあり……四年に一度、河童に若い娘の肉を食わせなければひどい水害が起こるというものです。今年はちょうどその年で……どうかお力を貸していただけないでしょうか」

「いいですよ」

「猪瀬くんさ、なんで助手なのに勝手に仕事受けてしまうんだろうか」


 感激した様子の丹波は、早速二人を車に乗せて走り出した。

 それから「本当にいきなりですみません。一刻を争うもので……」と話し始める。


「私が生贄を拒否してからというもの、村では不審死が起こり、河童の祟りだと……。今朝は三人目の死体が見つかりまして」

「早急に帰らせていただきたい」


 それからの長すぎる道のり。助手は寝こけるし、車が赤信号に捕まるたび探偵は気まずさから鼻歌を歌うなどしてしのいだ。


 そうしてようやく辿り着いたのは海沿いのド田舎だ。

 通りすがりに見つけた祠を覗き込み、轟が「なぜこんなところにモアイ像が?」と尋ねる。丹波は「お地蔵様ですよ」と答えた。どこからどう見てもモアイ像のパチモンである。

 そのうち依頼人は宿らしき建物に入って「男二人、女一人なんですが」と女将に声をかける。


 女将に案内された先は、小さな民宿の割には広く居心地のいい部屋だった。


 夕食は見事な鯛の活け造りと天ぷらだった。刺身の透き通るような白さ、その味わい。「日本酒が合うなぁ」と上機嫌に呑んでやがて酔いつぶれた轟を二人がかりで運び、その日はお開きとなった。


 翌朝二日酔いらしい轟が、「旅館の朝食って美味いよな」と呟いた。

 白いとろろには新鮮な卵が浮かび、焼き鮭には十分に脂がのっている。蟹でだしをとった味噌汁が何とも食欲をかきたて、つやつやの白米はそれだけで和の心を表すようだ。


 走って来た丹波が「大変です」と襖を開ける。

「四人目の死体が見つかりました!」

 ようやく箸を置いた猪瀬が、「じゃあ、現場を見に行きましょうか」と言った。




 崖の上を歩きながら、「それにしても不可解な事件ですね」と猪瀬は顎に手を当てる。

「特に四人目の死体なんて、」

「猪瀬くん、四人目の死体についてはあんまり考えなくていいんじゃないかな」

「……やっちまったんですか?」

「やっちまったんだ」

 不審そうな顔をした丹波が「何のお話ですか?」と尋ねたが、猪瀬はスマートに「いえ何でも」とだけ言った。


「しかし、どの事件も河童の祟りなどではないでしょうね」

「なぜですか!?」

「祟りで人を殺せるならわざわざ生贄なんていらないじゃないですか……」

「な、なんて華麗な推理」

 そうかなぁ、と轟が呟く。

「しかしこの不可解な事件、成立させられる存在はいます」

「それは誰です!?」

「ニンジャです。ニンジャであれば全ての犯行が可能です」

「ミステリで絶対やっちゃいけないやつだ」


 その時である。物陰から現れた黒い服の男たちが、あっと言う暇もなく轟にタックルをかました。足元が崩れ、轟は崖からまっさかさまに落ちてゆく。

 猪瀬たちも抵抗虚しく黒服の男に担がれる。男たちは、どこからどう見ても忍者であった。




 真っ暗な建物の中に運ばれた猪瀬は手足を縛られていた。

 隣に転がされた丹波が静かに「ごめんなさい、私のせいで」と呟いた。

「探偵さんのことも……本当に、何と言っていいか」

「あの人のことなら心配いりませんよ」

「信頼、してらっしゃるんですね」

「あの人は殺人衝動も抑えられないサイコキラーのろくでなしですが、こんな状況で頼れるのはあの人しかいません」

「今なんて言いました?」

「殺人衝動も抑えられないサイコキラーの、」

 そんなことを話していると、突然光が射し込んできて猪瀬たちは目を細める。


「やあ、ご機嫌いかがかな」

「村長……!」

「旅の人までいるね。あんたも贄になってもらうよ」


 猪瀬は冷静に「考え直すなら今のうちですよ、うちの所長は何なら河童よりヤバいです」と忠告した。

 不意に、村長と呼ばれた老人が動きを止める。後ろから腕が伸びてきて、首をがっしりホールドしたからである。

 村長はすぐに両手を上げた。ふん、と鼻を鳴らしながら轟は老人を離す。


 黒猫のピアスを片手でいじりながら、探偵は助手に言った。

「待ったかな?」

 助手は大袈裟に肩をすくめる。

「“やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて 傾くまでの 月を見しかな”。早く縄をほどいてくださいよ」

「なんだよ、ちゃんと来たんだからそんなこと言わなくてもいいだろ。月もまだ沈んでないじゃないか」

 轟は猪瀬と丹波の縄を解く。


 村長が「贄が逃げるぞ! 追え!」と叫ぶ。三人は顔を見合わせ、走り出した。


「忍者が追いかけてきます!」

「所長、なんとかしてください」


 仕方ないなあ、と轟は立ち止まり、忍者たちに向き直る。「やりゃあいいんだろ、やりゃあ」と腕を回した。

 猪瀬と丹波は、轟が忍者をバタバタと倒していくのを眺める。


 慌てた様子の村長が「待ってくれ探偵さん! 贄を河童様に差し出さにゃ、水害が起きちまう」と訴える。轟は「何が水害だ!」と拳を握った。

「だからって生贄を差し出すなんて、命を何だと思っていやがる! 水害がそんなに怖いのか? 河童なんかの前に僕がこんな村滅ぼしてやるぞ!」


 村長を始め、村人たちは轟に服従した。




 宿に戻った轟たちを迎えたのは、熱々の鍋焼きうどんだ。たっぷりのネギと豚肉、それから卵が入ったうどんを、探偵は大喜びですすっている。


 そこに猪瀬が、何か異物を投入した。


「猪瀬くん、何てことしてくれるんだ猪瀬くん」

「なぜ我が探偵事務所が怪奇現象専門を謳っているかお教えしましょう」

「謳ってないんだよ猪瀬くん」

「それがこれ。このコンニャクを食べると、言語の壁がなくなります。似たような品がすでにあるとお思いかもしれませんが、宇宙由来のオリジナルです」

「な、なぜそんなものをお持ちで?」

「宇宙人だからです」

「なんて?」

 轟が「こんな得体のしれないもの、食べられないよ」と言うので、猪瀬が「じゃあ代わりに食べまーす」とうどんを食べ始めた。


「しかし意思疎通をはかるには、相手にもこれを食べさせる必要があります。所長、女装して何とかこのうどんを河童に食べさせてきてください」

「何を言っているんだ君は」




 モアイ像のパチモン――――もとい地蔵の前に座らされた轟は、よくわからないまま合掌する。すると村人が、ひしゃくで液体を地蔵にかけた。日本酒だ。

「もったいないな」と言った轟の頭にもそれを勢いよくかけた。


「……おい。かけるんなら先に言えよ、この(放送禁止用語)」

「す、すみません。贄の禊なもんで」

「所長、もしかしたら新しい力にでも目覚めたかもしれないですよ。念力とか」

「マジ?」

 立ち上がった轟が、嬉々として「念力!」と叫びながら拳を突き出す。

 祠に穴が開いた。




 翌朝、決戦の時間には白無垢姿の轟が海岸に立っていた。

 海から現れた河童は想像より逞しく、妖怪というよりは深海から来た海底人という趣ではあったが、頭には確かに皿が載っていた。


 河童が何か喋った。興味深そうに猪瀬がうんうんと頷く。


「タイプだそうです、所長」

「こいつの目が腐り落ちてんのか、それとも僕は可愛いのか?」


 空咳をした轟が、「じゃあ、これ」と言いながら鍋焼きうどんを出す。河童が些か顔をしかめた。

「何て言ってる?」

「河童は熱いものは食べないそうです」

「ご破算だな」

「皿に移して少し冷ましましょう……おや、いいところに皿が」

 言いながら、猪瀬は河童の皿にうどんを流し込む。


「猪瀬くん、猪瀬くん。なぜいきなり河童を虐待した?」

「こいつ河童とか言いつつ地球外生命体ですよ、排除しましょう」

「君も地球外生命体だろ」


 のたうち回った河童が、明らかに文句を言う。猪瀬が何か言い返した。どうやら意思疎通が可能になったようだ。

「河童が所長と相撲を取りたいそうです」

「何だと?」

 河童の方はやる気満々で四股を踏んでいる。対して轟も「利害関係から外れた人間の、シンプルな暴力……その恐ろしさをわからせてやる」と言い出した。


 両者、四股を踏む。そして近づいてきた河童に、轟は思い切りビンタした。

「張り手!」

 轟はひたすらに「張り手! 張り手!」と言いながら河童をビンタし続けた。轟の手は止まらない。


 やがて、河童は服従した。


 しかしここで問題が発生する。大人しくなっていたはずの村人たちが河童の側についたのである。

 轟は目を細め、「随分なご挨拶じゃないか。さながらカーテンコールだな」と構えた。猪瀬も「まるでラスボス戦のように熱い展開……どう見てもラスボスはうちの所長だけど」と顎に手を当てる。

 そうして河童と手を組んだ村人たちの総力戦は始まった。

 それは自由を掴み取り、尊厳を取り戻すための戦いだった。


 河童を含め、村は再度服従した。


 それから未確認飛行物体が飛んできて、河童を連れて行ってしまった。「もう自分の星に帰るそうです」と猪瀬が肩をすくめる。




 帰りの支度をする轟たちのもとに、丹波が若い女性を連れてきた。

「あなた方のおかげで、妻を生贄に差し出さずに済みました」と言う丹波に別れの挨拶をし、轟たちは電車に乗り込む。


「……いいですね、地球人のつがいは。永遠を誓うらしいじゃないですか」

「羨ましいかい。やっぱり女の子なんだな、君も」

「どういう意味ですか」

「誓おうか? 僕も君に、永遠ってやつ」

「……永遠に、何を?」

「雇用契約」

「嫌ですよ私。こんな殺人鬼の事務所、いつか辞めます」


 それを言われちゃあな、と轟は苦笑する。なぜだか猪瀬は怒っている様子で、膨れ面のまま窓の外を見ていた。



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(本文の文字数:3,995字)

(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「うた」「日本酒」「未確認飛行物体」「モアイ像」《叙述トリックの使用》「ひしゃく」《飯テロ要素の使用》「念力」「万年筆」「ピアス」「カーテンコール」「紅茶」「深海」「赤信号」《和歌or俳句の使用》)

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