【047】どうしても好きだった

 ゆうちゃんが、そっと黒猫のシールを差しだした。


「やだぁ! はカッパンがいいの!」

「でも、もうお小遣いないし。これも可愛いよ?」


 きらきら。クロニャンの持つ万年筆ペンが光った。うん、可愛いよ。

 でも私が欲しいのはカッパンなの!

 納得できない私の頭を、悠ちゃんが撫でた。


「さゆ、泣かないで」

「やぁだぁカッパンがいい!!」


 薄ピンクのシャツを力任せに引っ張った。


 カッパンはアニメ『ワンニャンパン!』に出てくる河童だ。柴犬のシバワン、黒猫のクロニャン、そしてカッパン。柄杓ひしゃくで悪い敵を倒すのがカッコいい。大好きだった。

 二十円のチョコ菓子に入ってるシールが欲しくて、親戚の悠ちゃんと駄菓子屋に買いに行った。一個だけ、念力でもあるみたいに、これ! って決めた。走って公園のコンクリ山に入って、わくわくしながら開けた。絶対カッパンが入ってるって信じてた。


「帰ろう、さゆ」

「やだ! もう……もう悠ちゃんなんて嫌い!」


 私は、どうしてもカッパンが欲しかった。



  ******



 二学期の、秋晴れの教室。教科書の挿絵は並ぶモアイ像で、生徒私たちのほぼ半数はイースター島に思いを馳せていたと思う。もちろんあとの半数は、席順指名への緊張感と眠気との戦い。給食が大盛りの鍋焼きうどん風で、みんな胃に血が集中してたことも大きい。


「『一体この膨大な数の巨像を誰が作り、あれほど大きな像をどうやって運んだのか』」


 そして私は、首をかくんと揺らす男子ごし、流暢りゅうちょうに音読する悠ちゃんを眺めていた。白シャツの背が眩しい。一番後ろの席はぼんやりするのにうってつけで、襟足を見てそろそろ髪切るのかなぁなんて、油断していた。


「あー答えを、市川。……市川?」

「へ……あっはい!」

「なんだ、大丈夫か?」


 はいとは言えず、口ごもった。


「先生の話はちゃんと聞いとくように」

「はい……」


 怒られてしょんぼりする。でもすぐに呆れた声で「モアイ像を作ったのは誰と書いてある?」と再度問われ、私は慌てて教科書を持ち上げた。前の男子がしれっと起きて、未確認飛行物体UFOに乗った宇宙人じゃね? とふざけた。そんなわけあるか。さざめく子たちも私に注目する気配――悠ちゃんも。


「ぽり、ネシア人?」

「……まぁよし」


 一応の肯定に、こっそり息を吐き出した。

 その時間、私は深く反省した。だから悠ちゃんの襟足が揺れても、他の子と話す声が気になっても、授業に集中できた。


 ――今、私と悠ちゃんは仲良くない。「おはよう」と「さようなら」、それから教室で少し話すくらいの関係。ただの親戚。仲良くしなきゃいけないってこともない感じの。

 それに学校では、私は目立たないタイプだけど、悠ちゃんはたぶん人気がある。優しいからかな。そうでなくても生徒会とかバスケ部で忙しそうにしてるから……。

 から、って何だろう。

 もうとっくに夜で自分の部屋なのに、悠ちゃんのことを考えると落ち着かない気持ちになる。いつもだった。別に話すこともないし、仲良くするつもりもない。仲良しだったのはずっと前――小二くらいのことなのに。むしろ私は避けられてる、気がするし。

 ボキッとシャー芯が折れた。ポリネ、で折れた。国語のワークは書くところが多くて面倒。ペンを放る。勉強机のライトがイースター島の青空を明るく照らしすぎている。


「あーあ」


 ポリネシア人がモアイを作らなきゃ良かったのに。そしたらきっと、こんな気持ちになることもなかった。


 ***


「さゆは……まだ高校生か。日本酒はダメか」

「ダメ、じいちゃんが捕まるよ」


 そりゃ困る! じいちゃんの高笑いにつられて周りも騒がしくなった。乾杯が終わった披露宴では、乱入した忍者の格好のコスプレ集団が踊り始めたところ。友人たちの余興らしい。去年流行ったダンスだ、みんな笑いながらスマホを向けている。

 お祝いで親戚が集まったのは久しぶりで、大人はみんなお酒が進んでいた。でも私は未成年だし、初めての結婚式お呼ばれでどう楽しんでいいか分からず、運ばれてくる料理をただ食べてるだけ。

 ……やっぱり来なきゃよかった。

 袖のレース模様に目を落とした。ラベンダー色のドレスも、合わせて買ったピアスも可愛いと思ったのに、他の大人の人に比べると子どもっぽくてがっかりした。

 黙ってステーキを食べる。ファミレスとは違って、内側が少しレアだ。とろりとした茶色のソースはフォアグラらしいけど、何せ初めてで味の良し悪しは分からない。ただ、お肉もソースも少し噛んだだけで舌の上からなくなって、酷く頼りない。


 突然、じいちゃんが「おっ」と立ち上がった。


「悠!」


 私の肩は誰が見ても揺れたと思う。

 もちろん親戚だから悠ちゃんがいるのは分かってた。でもまだ挨拶もしてない、中学を卒業してからは会ったこともなかった。三年ぶり。


「悠とさゆはこの前まで学校も一緒だったろ。ほれ、ステーキ食えここ座れ」

「ちょっと、じいちゃん!」


 私はたまらず声を上げた。でも立派な酔っ払いはお猪口とどこかへ。私が目を泳がせていると、上から「久しぶり」と声が降ってきた。


「う、うん。久しぶり、です」


 私は俯いた。暗くてよかった。


「今って、M高?」

「うん」


 明るい音楽のおかげで沈黙が重い。今度は誰かの弾き語りが聞こえていた。

 悠ちゃんが「歌、結構上手いね」と言いながら腕を伸ばすと、烏龍茶の瓶を取った。空いてるグラスに勝手に注ぎ始めて、私の隣に腰を下ろした。ブレザーの銀ボタンがちかっと目を灼いた。


「大学とか行くの?」

「い、一応」


 こっちを見た。


「どこ大?」


 言いたくない。

 私が咄嗟に息を飲んだ瞬間、「新郎新婦がお色直しのために中座いたします」司会の声が響いて、わっと拍手が起こった。パッと周囲が明るくなる。

 私は思わず、悠ちゃんを見てしまった。悠ちゃんも、私を見ていた。

 整えた前髪、たぶん初めて見た形のいい眉。

 切れ長の涼しい目、少し伸びてる襟足――どこか幼いときの面影。

 私たちは数秒間、ただ見つめ合ったと思う。でも先に、悠ちゃんがぶぶっと吹きだした。えぇ? 唾の軌跡を見た。

 そしてすぐ、あっはっは、と顔が卓に突っ伏した。笑ってる。私は何故か恥ずかしくて頬が熱くなって、でも顔を寄せた。「なんで笑うの!」「さ。……だめ、だあはは」


 悠ちゃんがようやく落ち着いたのはメモリアル動画の最中で、また暗くなってからだった。悠ちゃんは私の耳に口を寄せて言った。

「ドレスなんか着てるから、大人っぽくなったかと思ったけど……ぶふっ」

「ちょ! 耳元でっ」

「ごめ。やっぱ、さゆは全然変わってなかったわ」


 悠ちゃんの手がきれいに編み込んだ髪を撫でた。そして私たちはそのまま隣で、一緒に紅白うどんとデザートを食べた。


 *****


「さゆ」


 無視だ。私にもむくれる権利はある。

 もう何度も二人で会ってるのに、手しか繋いでくれない。チューしたい。


「もうやだ。悠ちゃん嫌い」


 駆け出す。涙が滲んだ。せっかくの水族館も、ただの青い陰鬱な場所になってしまった。――今、私たちは仲良しで、でも心は永遠に遠い。悠ちゃんは私とただの親戚同士でいたいんだ。惨め。他の男作ってやる。


「待って、さゆ」


 手首を掴まれた――青いトンネルの真ん中。

「やだ」触れられて鼓動が跳ねたのは知らないふり。今さらだよ、振り払ってやる。


「嫌いなの分かってる」

 

 え? 何かが掌に捻りこまれた。何かちくっとした。

 ――きら、きら。

 紙? 指の隙間で何か光った。

 青い光が紙の表面を鱗を撫でるみたいに滑った。


「欲しがってたやつ」


 河童のイラスト?


「もう覚えてないか」


 はは。薄青に染まった彼はひどく老けて見えた。私は言葉が継げず、続きを待った。


「昔さ、さゆと一緒にこれ買いに行ったんだ。でも当たらなくて泣いて、俺のこと嫌いって」

「……うん」

「俺、さゆのこと可愛くて好きだったから、どうしてもあげたくて……何回も買って当てた。でも、さゆは『嫌い』って会ってくれなくなってさ」


 思い出した。


「実習中は話せるわけないし」


 カッパン。


「これ渡さないと俺も踏ん切りつかないっていうか。けじめっていうか」


 そうだ私、好きだった。


「ごめん……気持ち悪いよな。親戚のおじさん相手じゃ、さゆも断りづら」

「好き!!」


「は?」くっつけた頭に息がかかった。遅れて悠ちゃんは「ちょ、おい!」と離れようとした。でも私は懸命にしがみつく。

 好きな理由は、優しい悠ちゃんにそっくりだったから。

 だからそう、私どうしてもどうしても――。


「私、カッパン好き!」

「お、おう」

「嬉しい! 悠ちゃん好きすごく好き! 私と付き合って!」


 そ、そこまでかカッパン。戸惑う声が私の髪を撫でた。他のお客さんが私たちを避けるようにして通っていく。

 握るシールが掌にちくっとして、私はもっと悠ちゃんに強く抱きついた。



 了


 引用出典 光村図書・安田喜憲『モアイは語る 地球の未来』



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(本文の文字数:3,499字)

(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「うた」「日本酒」「未確認飛行物体」「モアイ像」《叙述トリックの使用》「ひしゃく」《飯テロ要素の使用》「念力」「万年筆」「ピアス」)

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