【045】密猟の夜【残酷描写あり】
「死ぬ前にもう一度、河童で出汁とった鍋焼きうどんを食いてえなぁ」
病床の祖父がこぼしたひとり言が、ジロウの胸にやけに残った。
なんでも祖父が若い頃はよく食べたのだそうで、大変美味いものらしい。河童からはあっさりとした、それでいてコクのある、輝くような金色のスープがとれる。それを使って作った鍋焼きうどんはまさに絶品で、日本酒などにたいそう合うという。
祖父の話を聞いているうち、ジロウの口の中には唾が溜まってきた。かぐわしい香りが鼻腔の奥に感じられる気さえした。
「獲るしかねぇな、河童」
長兄のイチロウが言った。ジロウはうなずいた。それで話は決まった。老い先短い祖父に食わしてやりたい――というより、もはや自分で食いたくなっていた。
で、罪を犯すことにした。
なにしろ河童というものは貴重で、現在は一部の保護区にしか生息していない。当然狩猟だの出汁とって食うだのといった行為はご法度だ。「海坊主の稚魚をひしゃくですくって三杯酢で食った」とかいう祖父の若い頃とは時代が違うのである。法を守っていてはおそらく永遠に食えぬ。
密猟するよりほかにない。
ジロウたちは隣町にある保護区に向かった。細い三日月が空にかかる静かな夜のことだった。
イチロウは気合が入っているとみえ、ニンジャのような黒装束に身を包んでいる。ジロウは反対に動きやすい普段着のままで、ポケットの中には小銭入れだの万年筆だのが入れっぱなしになっている。こういう時、イチロウとは気が合わないと思う。とはいえ、悪事を共に働くのは兄弟と相場が決まっている。
保護区の入口には動くモアイ像が鎮座しており、鋭い目つきで辺りを監視していた。彫の深い顔の前に自動操縦のドローンを飛ばしてやると、モアイはすぐにこの未確認飛行物体に夢中になった。ドローンに向かって目からレーザービームを放つモアイを後目に、一行は保護区の中へと侵入した。闇の中を走る最中、後方でレーザーを受けたドローンが爆発する音が聞こえた。帰り道はひとまず考えないこととする。
「河童はどこだ」
「そんなもの、水辺に決まってる」
イチロウが言った。そのとき、足音を殺して走る道なき道の先を何かが横切った。
ジロウの心臓が飛び跳ねた。ふたつの光る物体が彼の方を向いた。黒猫だ。
「なんだ、猫か」
ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、すぐにただの野良猫が保護区の中にいるはずがないということに気づく。直後、黒猫は夜目にも赤い口を開けて高らかにうたった。
「まずい」
イチロウが言ったそのとき、歌を聞きつけたのだろう、ゴトゴトと音を立てて暗がりからモアイ像が現れた。落ちくぼんだ目からレーザービームが放たれ、危うく避けたジロウの爪先一寸手前を焼いた。あっと声をあげて転倒した彼の背後に、深い沼があった。
ジロウの体はみるみるうちに泥水の中に沈んでいく。水を吸った服が重くなり、手足が冷える。河童を密猟しに来ておいて何だが、ジロウはあまり泳ぎが得意ではない。イチロウもモアイのビームを避けながらジロウを助けることはできないだろう――諦めかけたそのとき、何者かがジロウの腕を掴んだ。
そのまま引っ張られ、ジロウは水面に顔を出した。水かきのついた手が彼の体を支えていた。河童である。あ然としているジロウを、河童は岸へと押しやった。そして彼が危機から脱したことを確認すると、嘴の端でニッと笑った。
次の瞬間、河童の首がグリンと捻じれた。
あっけにとられているジロウの眼の前で、河童は岸辺に突っ伏して死んだ。
「念力だ。一日に三回だけ使える」
イチロウであった。傍らには粉々になったモアイ像が倒れていた。
「何てことを。おれの命の恩人だぞ」
ジロウは後先考えず、イチロウに飛び掛かった。
「お前こそ何だ。おれたちはそいつで出汁を取るのだぞ。邪魔するなら弟とて容赦せん」
イチロウが今日最後の念力を放つ。
ジロウの胸元に黒いしぶきが弾けた。
イチロウは目を見張った。彼がひねりつぶしたものはジロウの心臓ではなく、彼の胸ポケットに入れっぱなしになっていた万年筆だったのだ。
「おれの念力が的を違えるとは」
「なに、これはおれの心臓のようなものよ」
万年筆はむかし、ジロウの恋人から贈られたものであった。そのお返しに彼はイヤリングを贈ったが、「私、ピアス穴空いてんだけど」と言われ、それがきっかけでふられた。以来、万年筆を見ると彼の心臓はキュンとかなしく鳴いた。そういう曰く付きのものであった。
「モアイ像、河童、万年筆。もう念力は使えまい」
ジロウは体勢を整え、再び一気にイチロウに接近した。イチロウが哄笑を放った。
「ははは! 馬鹿め、日付が変わるぞ! おれは再び三度の念力を使えるようになる!」
次の瞬間、イチロウの首がグリンと捻れた。
一呼吸おいて、その体は地面に倒れた。
「サブロウ」
ジロウがこちらを見た。
おれは草陰から姿を現した。このようなこともあろうかと、ずっと気配を消し、地に伏して潜んでいたのである。ふたりの兄のうち、どちらかに味方するならば、より気の合うジロウにしようと以前から決めていた。
「サブロウよ、お前も念力をもっていたのか」
「おう、色々あってな。だが話は後だ」
ぐずぐずしていると警備員が来るかもしれない。イチロウの死体を沼に沈め、カッパの死体を携えて、見張りのいなくなった門から、おれたちは外へと逃げ出した。
祖父の言ったとおり、河童からは美しい黄金のスープがとれた。それをふんだんに使った鍋焼きうどんは天上の味がした。刻んで入れた河童の肉もコリコリとして実に美味い。あまりに美味かったので、おれとジロウとですっかり平らげてしまった。
祖父が知ったらさぞ残念がるだろう。というわけで、この一件はおれとジロウだけの秘密になった。イチロウも謎の失踪を遂げたことになって、そのままである。
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(本文の文字数:2,356字)
(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「うた」「日本酒」「未確認飛行物体」「モアイ像」《叙述トリックの使用》「ひしゃく」《飯テロ要素の使用》「念力」「万年筆」「ピアス」)
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