【009】よもすがらの回路回廊


 みらいみらい、はるか遠い未来、ある宇宙座標に黒毛を纏った小さき獣がいます。きっといます。

 すでに人が滅びて久しい施設はやはり音源も潰えて、ひっそりと歩む黒く小さき獣の肉の足音さえも静謐な空間に響きます。ふにっ。もっ。ふにっ。もっ。

 ここはかつての天文観測所。大宇宙へと開かれた扉は、その主を失って、迎えるべき客人もまた消滅して時間ばかりが過ぎ去っていきます。

 動くものは太陽光発電の電波時計パネルに刻まれた数字と黒毛の小獣のみ。一秒、時を刻めば、ふわり、黒い尻尾が揺らめきます。

 光沢の艶やかさも鈍く翳るリノリウムの小部屋に、もう光を放つことのない大型ディスプレイと床から突き出たモノリス状のでっぱりがあります。でっぱりの機械端末が黒毛の小獣の接近を感知し、省電力モードから目醒めます。


「おはよう、ブラックキトゥン。今日も昔噺を話そうか?」


 モノリス端末がのっぺりとした本体に不規則でか弱い光の模様を描きます。獣もまた唐突に喋り出した端末に驚きもせず、それを認め、黒い尻尾をくるり振るって挨拶を交わします。


「そう。世界軸を遡る昔の話だ。また時間を再構築させよう」


 黒毛の小獣はでっぱりモノリスの前にちょこんと座り、ふわあっとあくびをひとつして見せます。モノリス端末とブラックキトゥンとの密やかな決まり事、昔噺のはじまりのサインです。




 むかしむかし、はるか遠い昔、あるところに忍びの者がいました。たしかにいました。

 その土地の権力者に仕える忍びの者は密偵を命じられました。

 とある豪族に河童が捉えられ、あろうことか謀反の企てに利用しようとしました。その内情を調べよという命令でした。

 豪族の館にて。忍びの者は屋根裏に潜み、河童と謀反者との会合を盗み見しました。

 河童は銀色に鈍く輝く水鋼のような着物を全身に纏っていました。背には密閉された背負い籠が甲羅のごとくへばりつき、顔面を覆うビードロがするすると頭の天辺に丸まって皿となりました。

 謀反者と何やら折り重なった震え声で会話を交わし、謀反の企てをより綿密に煮詰めました。

 このままでは、河童の圧倒的な科学力の前では侍たちの尽力も胆力も無力で、この国の歴史は、いいえ、地球の未来は河童の意のまま。人類は風前の灯でした。

 屋根裏に潜む忍びの者のすぐそばに、金属光沢のある一枚岩がもりもりと競り上がりました。驚く忍びの者は、さすが訓練された強者で、声ひとつ立てず身じろぎもせずにモノリス端末に相対しました。


「何奴?」


 忍びの者はほとんど聞こえない声で囁きました。


「河童は往古来今の宙と四方上下の宇より虚ろ舟で降臨した宇宙の民です。神なる力を以って天下を侵略に来たのです」


 モノリス端末は音声ではなく精神同調波通信で言葉を伝えました。


「宇宙の民とは、妖か?」


「これから食事が振る舞われます。河童はそれを大層気に入り、謀反に協力するでしょう。それは未来永劫まで影響を及ぼし、人類は滅亡まで追いやられます」


「我が主人の命で、それを阻止するのが我が任務である」


「そうです」


 モノリス端末から一本のキュウリが現れました。とても水々しいよく冷えたキュウリでした。


「その振舞いを、このキュウリと差し替えてしまいましょう」


「すると、どうなる?」


 忍びの者はキュウリを手に取り、モノリス端末に尋ね返しました。


「キュウリ一本では何の味気もなく、交渉は決裂。河童は虚ろ舟に帰り、謀反も未遂に終わるでしょう。あなたの主も、ひいては人類の未来も守られます」


「御意」


 忍びの者は屋根裏をそろりそろりと移動し、調理場で給仕になりすまし、用意されていた河童への食事をキュウリと取り替えました。




 世界は連綿と続きます。途切れることなく時間は刻まれ、世は移ろい、すべて関連付いて展開していくのです。

 たった一本のキュウリが世界を変えます。変えてしまうものです。


「手は施しました。世界は変わったでしょうか」


 モノリス端末は黒毛の小獣に問いかけます。黒い顔に穿たれた二つの金色の瞳がくるり世界を見渡します。

 電波時計の秒数がかちりかちりと置き換わるだけで、世界に変化は訪れません。


「かつて、河童の好物は鍋焼きうどんでした。宇宙人も小麦の奴隷なのでしょう。しかし鍋焼きうどんは栄養素の少ないキュウリに置き換えられました」


 それに何の意味があるのやら。黒毛の小獣は手をペロリと舐め、自慢の髭を撫で付けます。モノリス端末は気にも止めず語り続けます。


「世界は平行線上に幾つも存在します。それがふとしたきっかけで枝分かれし、軸を受け、ねじれ、合間見え、また流れていきます」


 鍋焼きうどん世界軸において、宇宙人の好物は鍋焼きうどんのまま線は続き、現世に受け継がれて人類は絶滅したままです。

 しかしキュウリ世界軸では、河童の正体はニンジャにより宇宙人と暴かれ、味気ないキュウリに嫌気がさした宇宙人は地球侵略を延期しました。そっちの世界軸では人類も健在のはずです。


「並行世界軸ゆえ、確認はできませんが、一つの世界の人類は救われたはずです。そういう世界軸があってもいいじゃないですか」


 モノリス端末に黒毛の小獣は言ってやります。


「うろんな戯言ではあるが、またそれもよし。儂もまた想像のタイムマシンで別世界軸を覗いてみるニャ」


 黒猫は黒毛の尻尾をくるり振います。


「ブラックキトゥン、あなた、喋れたんですか」


 モノリス端末は驚きます。ただの黒い毛を持った小さき獣と思っていた存在が、実は高度な知能を持っていたとは知りません。


「儂が喋れんと、誰が言ったニャ?」


「これは失礼しました」


 長い付き合いだが、モノリス端末は黒毛の小獣に敬意を表します。こんなことはモノリス端末の歴史上初めてです。


「また別の手を試そうニャ」


「かしこまりました」


 黒猫とモノリス端末は昔噺を続けます。時間が許す限り永遠に。



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(本文の文字数:2,356字)

(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」)

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