第7章 サウシュラの月 ⑧
ともなく、身軽な動作で動物から降りた手前の女性は、四、五センチほど、大陽より背が高かった。
トゥウェースを光の球体として映したそのひとの目が、横に移動して、大陽を見たところで、ひたととまる。
彼の姿を映してるのは、はてがみえない真夏の空のように青い虹彩の
また、光らないおかしな人間とでも思われたのだろう。
大陽は、文句があるのか? というように、眼力をこめたまなざしを返したが…。
気力が続かなかったので、すぐに目をそらした。
これまで思い知らされてきたので、自分のあり方が異質に見えているのだろう自覚も理解もある。
大陽は、こっそり、あるかなしかの吐息をついた。
いまも動物の背中にあって、鞍頭をしっかとつかんでいる黒髪の少年が、トゥウェースをうかがいがちに見ている。
彼が彼女の知り合いと思われたが、トゥウェースは、相手に声をかけないばかりか、そっぽを向いていた。
〈トゥウェさま…〉
〈なぁに?〉
トゥウェースが、顔をそむけたままに応じた。
〈何を…怒っているのです? さきほどは、姿を見せずに行ってしまうし…。
何か気に障ることがあったとしても、こっちは負傷しているのですから…。お目こぼしが…ほしかったです…〉
少年が、胸のあたりをおさえながら息も絶え絶えに訴えると、ぽかんと口をあいたトゥウェースの表情から
〈ぬくぬく寝てると思ったら…、胸をどうかしたの?〉
〈骨が、何本か折れたようなのですが…〉
〈はぁ? なんですってっ?〉
彼女を包むまんまるの光が、瞬時に彼のもとに…(懇意の少年を間において、いまひとりの人物とは逆の手になる方面の数歩手前まで)移動して静止する。
〈だいじょうぶです。位置はもどしていただきました…。
まだ、ちゃんと、くっついてませんので、むりすると、ずれてしまうかもしれません。
トゥウェさま。いま、降りますから、あまり近くに来ないでください。
グァナクが火傷してしまいます…〉
〈力もないくせに、のろのろ歩いているから、そう
トゥウェースが問い質していると、かたわらにいた女性が、すと、一歩、ななめ後ろに身を退き、地面に両膝をつかんばかりにしゃがんだ。
〈御身の月輪に手傷を負わせてしまいました…。おわびの申しあげようもございません〉
〈なによ、あなた?〉
〈ウエスノウの日輪……サシャと申します〉
上半身は立てたまま、うつむいている女性を、トゥウェースは、じろりと見おろした。
〈トゥウェさま。こちらが、ぼくの骨をくだいた方ですが、治療してくださった方でもあります…。
それで、そちらの方々は…?〉
〈こっちのことは、どーでもいいのよ! それより、きちんと説明して!〉
〈は、はい! では、そのあたりで…〉
青白い光をひろげ放つその少年が、こころなしか、うれしそうに目を輝かせた。
そこで、トゥウェースが、はたと、なにやら思いだしたようにまばたきする。
〈あ…、だけど…。細かいところは、きり捨てなさいよ?
おまえは、話が長すぎるわ〉
〈…。はい〉
銀色がかった青の双眸。宝石のような目を持つ少年は、しかられた子供のようにシュンとした。
〈すぐ、脱線するし…〉
〈いえ…。脱線といわれてしまえば、そうな…かもしれませんが…。
知った方が、わかりやすいかと思えば…。
横路にそれても、その後……本筋に戻るつもりで…〉
〈もたもたしないの! さっさと降りて、
〈はぅい…〉
彼が鞍の上で苦慮していると、立ちあがったサシャという女性が手をさしのべた。
その手を借りた少年の体が、ふわりと浮き、怪我人とは思えない身軽な動作で地上におり立つ。
日輪だというサシャによる不可視の補助が活きてるようだ。
彼らの一連のやりとりは、すべて、大陽にも理解できた。
(トゥウェースの月輪……。ということは、サウシュラの月輪か…)
霊的なエコーがかかっているように感じられる、ここの言葉。
うっかりすると、特定の相手としか会話していなかったりする、よそ者の大陽は別として…。
ここのひとたちは、その場に立ちあったものをひと通り、意識してコミュニケーションするようだ。
できなければ、伝言ゲームのような状況が生まれる。
相手の存在に気づいていない場合はしかたないが、可能ならするのが、あたりまえだ。
一〇〇人単位になっても、いきわたるのかは不明でも…。道中、ちょくちょく他人と接する機会があったので、大陽は、もう気づいていた。
テールのように、いちいち、他者をしめだすような話し方をする者のほうが珍しいのだと。
たいがいの星の子は、好き嫌い、苦手があるにせよ、そこにあるものを個別に排斥するような屈折したこだわり・意思表示をしないようだから、テールは、外見だけ、星の子のふりをして、それらしくないふるまいをしていることになる。
指摘してやろうかと思った大陽だったが、こちらの事情に通じている彼が、自覚してないということもないだろう。
黙って聴いていればいいような場面では、主張したい事柄でもなければ口も開かないので、テールはいま、大陽のかたわらにあり、しごく退屈そうに見えた。
〈一昨日。就寝時刻間近な五番街の郊外で、こちらをお見かけし……声をかけようとしたのです…〉
合流した道の片側で、おのおのが思い思いの姿勢で座し、足を休めるなか。
賢しげな目をした黒髪の少年が、ことの経過を語り始めた。
〈後ろから近づいたのが、いけなかったのか…。こちらが所持されておられる護身用の棒で、一蹴されてしまいました〉
〈…申しわけありません。過剰防衛でした〉
〈それなら、謝ることはないわよ。ナンパしようとして、失敗したのでしょう? お尻でも触ったの? とんでもないわね〉
〈トゥウェさま…。ぼくを、どうゆう人間だと思っているのですか。違います…。
いえ、おそらく…。ぼくが疲れていて…。
足がおぼつかなく、よろめいて…、はじめに武器に触れそうになったのが、不味かったようなのですが…〉
フィンは、自身の胸のあたりに、やんわりと手をそえながら、神妙に首をふった。
完治していない傷が痛むようだ。
〈横になった方がいいですよ?〉
サシャの助言を受けて、地面に手をつき、もぞもぞと、肩からあお向けに横たわる。
〈こちらの祖国は、ウエスノウ。姿をあらわさない自国の陽の方を捜して、土地の外まで、わたり歩いていらしたそうです。
もちろん、西の国境もまわっていますから、腕が達つのです。
慈愛深き日輪であろうと、惑わされてはいけません〉
〈誰に言っているのよ。惑わされたのは、あなたでしょう?〉
〈ぼくは、ただ…。この地を訪れている余所の者同士…、礼儀として、あいさつしようと考えただけで…〉
ふたりの口論を視界に、隣国ウエスノウの日輪だという女性が、そっと、言葉をさしはさんだ。
〈条件反射でした。この身に意思を向ける光を見たので、とっさに…。
うちの月輪の光ではありませんでしたし、
不覚にも、その性質までは頭が回りませんでした。
気をつけるように、…してはいたのですが、あちらでの癖が出てしまいました〉
ここの言語は、嘘をつく方が難しいようだ。
警戒心を高く保っていたというニュアンスが感じられたが、言い分を口にしながら、とても後悔もしているようで、ウエスノウの《日輪》だという女性の表情は暗かった。
彼女の体によりそう光は、厚さだけを見れば、星の子のふりをしているテールのものより薄い。
密度だけは濃そうだが、ちり拡がることもなく、三センチほどの空間に滞っている。
ひと月前、テールに見た輝きや、ノウシュラで見かけた日輪の光の量とは、くらべものにならなかった。
中の形容を見てとれない者には、光るヒトガタと認識されるのだろうか?
そう気づいてしまうと、なんとも珍奇だったが…。
ともあれ。
その人が日輪であることを疑っている者はないようだ。
だから大陽も、そうなんだろうな…ていどの感覚でいた。
草地になげだし両脚をマッサージしながら、こそっと、となりにいるテールに情報提供を求める。
「西の方って、危険なのか? 戦争中?」
「戦争というよりは、こぜりあいだ。
形成時から
それでも、あそこまでではなかったのだが…。このところはずっと、関係が泥沼化している…」
平穏を絵に描いた世界だと思っていた大陽は、半信半疑、表情を曇らせた。
耳にしたことから、陽の宮と
「ウエシュラの陽の宮は辛辣だが、思いやりがある。
あれはあれで、見どころがないこともない。
テールが、めずらしく、ひとに好感をしめしたので、大陽は、その先が語られないかと、耳をすました。
けれども、彼は、そこで話すのをやめてしまった。
いっぽうでは、三者の会話がすすんでいる。
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