第7章 サウシュラの月 ⑨


〈日輪の攻撃をうけて、よく、それだけで済んだわね?〉


〈とっさに勢いを抑制してくださったのかな?

 いくらか内臓を痛めても、折れた骨にやぶられることは、なかったようです。

 六本ほど折れたりヒビが入ったりしているそうで…。正直、やられたかと思いました……。

 とっさにあなたを呼んだ気がしますが、聞こえませんでしたか?〉


〈知らないわよ。ひと月も前には、星の子の数ほど、泣き言が聞こえたけどね。

 〝足が大地を滑るんです…〟とか〝伝言もなく、ひとりで、どんどん先へ進んでいるんじゃないだろうな…――進んでるんだろうな…〟とか…。

 慈悲ぶかぁーい、わたしの情け心を疑ったでしょう?(事実、進んでたけど)〉


〈ぁあ、そんなものでしたか…。心臓が一時静止するほどの危機だったのに、どうしてだろう…。

 やはり、なさぬ土地ゆえ、絆の反映にもゆがみが…〉


 フィンは、さほどがっかりしたようすもなく、生真面目な表情で独白した。

 そういった事態になれてしまっていそうな印象だ。


 ウエスノウの日輪が、平伏しないまでも所在なげに身じろぎし、視線を落とすのをよそに、自国の月輪の額に手をのせたトゥウェースが、ぐりぐり圧力をかけている。

 少年から放たれていた青白い光が強くなって、ぱぁっと、あたりをさらしだした。


 急にまわりの明度が増したので、無意識に光の根源を探した大陽の目が、トゥウェースのまん丸の光に埋れて見える少年にいきついた。


 あお向けに横たわっているそのフィンという少年だけ、南の陽姫の近くにいて、彼女の球形の輝きに埋没している。


 まっすぐ投げだされている彼の右足のふくらはぎから下の部分が、光からはみだしていたが、左足は曲げて立てているので、つま先以外が光球の中にあった。



(あれって…、いいのか…?)



 大陽は思ったが、三メートルどころが、その半分ほどの半径を備えた光核のボーダーラインまでわっている少年は、あるがままにくつろいでいて、特に支障はなさそうだ。


 周辺の物体を青白くさらしだしているのは、陽の宮の光核からはみ出しているその少年の足から放たれる繊細な光の燦爛さんらんだ。


 陽の宮はもとより。日輪の凝縮された輝きより、はるかにやわらかく清明で、必ずしも放射状とは限らない液体のようなゆらぎ…。環境と混ざりこみなじむようながあるので、ライトアップされた水槽の内にいるような気分になる。


 どうやら月輪に育まれる反照は、はね返しであることに違いなくとも、単調な反射ではないようだ。


〈トゥウェさま、ぼく、ケガ人なんですが…〉


〈だいじょうぶなんでしょ?〉


〈…はい〉


〈帰らなきゃならないほどなら、てきとうな日輪捕まえて、送ってもらうわよ?

 たとえば、そこにいるサシャとか〉


〈いえ、それは…。ご容赦ください。平気です…。ともに参ります…〉


 少年は、しかたなさそうに目を閉じて、トゥウェースの手の圧力にたえた。

 そんな南の月輪を、珍妙そうに見ていたサシャが、トゥウェースに視点を移す。


フィンこちらからお聞きしたのですが…。南の陽の方は、北の方角に見た怪光の正体を探りにゆかれたとか?〉


〈そうよ。見つけられなかったけどね〉


 そう聞きおよんだサシャは、残念そうに目蓋を閉じて、こころもち、うつむいた。


〈そうでしたか…。…〉


〈なぁに? あなた、あの光が目あてだったの?

 いまさら走ったって、遅いわよ?〉


〈そうでしょうか?〉


〈混迷の海まで行ったけど、何もなかった。

 きっと、その場にいなけれれば、見つけられないものだったのよ〉


 それは、大陽がここに来たばかりのころから、たまに耳にする話題だ。

 北の方角と表現されたが、単純に立って見る位置による違いや、そうでなければ、どんぶり勘定的なたくし上げによるおおよその認識……解釈表現だろう。


 思えば、トゥウェースと再度関わるきっかけとなった事象でもある。

 もう、過ぎたことで、彼女も、こだわっていないようだが、大陽は、少しばかり、その現象に興味をおぼえた。


 あの時。

 十八番街の東の海で、なにか光るようなことがあったのだろうか? と。


「テール。おまえも、見たんだよな…?」


「ぇえ。遠目に」


「じゃぁ、条件はトゥウェースとおなじか…」


「…。そうですね」


 たびたび起こるわけでもない怪奇現象など、そんなものだ。

 蓋をあけてみれば、肩透かしをくうことが大半だが、これという答えも出そうになかったので、大陽のそれに対する興味は、主に空想によるロマンとなった。


 大陽が知っている太陽の光が、瞬間的に、こちらの世界へ射しこんだのではないかと。

 もしかしたら、自分がまぎれこむ際にでも…。


 現実的な頭で考えれば、それなりの大きさの隕石が空中で燃えつき、崩壊した結果なのかも知れないのだが。


〈すごい光だったわよねぇー、太陽が暴れているのかと思ったわ〉


 トゥウェースが感動を口にすると、ウエスノウの日輪は、真摯なまなざしを彼女に注いだ。


〈そうなのですか?〉


〈あら、見たんじゃなかったの?〉


〈いいえ…。ノウシュラのほとりこちらで、太陽が輝いたといううわさを耳にし…、情報をたどってまいりました〉


〈…ですから、トゥウェさま。こちらは、自国の《陽の宮》をお捜しなのです〉


 フィンが、交渉なれした調子で、しきりなおした。


〈ん、そうなの? 無駄足だと思うけど、行くというなら止めないわ。

 見つけたわけじゃないから、正確な位置はわからないけれど、十八番街の東の海のあたりみたいよ?〉


 トゥウェースが気軽に情報を提供したが、北西の土地、ウエスノウの日輪の表情は、沈みがちで、晴れることはなかった。


〈ウエスノウの月の光は、こちらまで届きません。

 陽の活力を用いるのもどうかと思いますので、そろそろ、ひき返し時かと…。思案していたところです〉


〈そう…。じゃぁ、一度、もどるのね。また、探しに来るの?〉


〈それは、…まだ決めかねております〉


 伏せられがちだったサシャのまなざしが、すっと、大陽へ向けられた。


〈陽の方。あちらの、月の光を受けながら影をなされぬ方は、どういうゆうものなのです?〉


 どきっとした大陽は、足の筋肉をほぐす手をとめ、そのひとに警戒の一瞥をなげた。


 ちょうど、手がだるくなってきていたので、マッサージを終わらせるには、いい頃合だったが…。

 弱みを暴露あからさまにされたような気分になる。


〈タイヨウよ。自分をなくして困ってるようだったから、つきあってあげているの〉


 隣国の日輪は、とかく、興味をおぼえたようで、熱心にたずねた。


〈自分をなくされたとは? どういう…?〉


〈見てのとおり。変わった子でしょう?

 わたしは、輝きをなくした光輪だと思うんだけど、本人は違うっていうの。

 どこかに帰ろうとしているらしいけど、教えてくれないのよね。

 彼自身、わかってないのかもしれないわ〉


〈陽の方。では、いずれかの《陽の宮》なのではありませんか?〉


〈でも、この子。あなたたちみたいに、血が流れてるのよ?〉


〈血が……。それでも、わずかなりとも、光をたずさえていないこと事体が奇異。影もあられない…。それも異常のひとつかもしれません〉


〈それはそうだけど…〉


〈わたしは、そちらのお姿をお見うけした時、とても、なつかしい感動をおぼえました…〉


 サシャは、嬉しそうに所懐を明かしたが、大陽は、唇を一文字にひき結び、そのひとの行動や反応をあやぶみ、危険視した。


 品定めされているようだったし、異常とみなされたのだ。


〈違うなんて、言えないけれど…。どうかしらね……〉


 トゥウェースが、おもしろくなさそうに鼻をならして言う。


 じっさい、そうだったら、彼女が拾ったこの冒険は、彼をウエスノウに届けたところでおしまいになる。

 彼女としては、それでは、つまらないのだろう。


〈陽を探すなら、自国をあたるべきじゃない?

 あなたたちのところは、陽の活力が、まったくないわけじゃないんでしょう?〉


 そう聞くなり。球形の光に埋れておとなしくしていたフィンの瞳に、きらきらと、発見の輝きが宿った。


〈光輪同様、陽にも土地とたしかな絆がありますからね!

 居心地がよいのは、やはり、自国で――それも道理…ぁあ、……トゥウェさま、よく、お気づきになられましたねっ! ぅくく(痛い)…〉


 苦痛を堪えつつも、嬉しそうにしている。


〈道理なの? わたし、サウシェラで産まれたでしょう? ウエスノウの陽の宮も、きっとそうだって思ったのよ〉


 フィンが、え? と、トゥウェースを見た。

 こみ上げてきた咳をおさえて、呼吸を整えながらたずねかえす。


〈…それ、だけですか?〉


〈それだけとは何よ?〉


〈ぁあぁ…、いえ! それこそしんというものです、はい…〉


 フィンの芒洋とした応答には、そこかとない落胆、あきらめめいたものが漂っていた。

 ふたりのやりとりに耳を傾けていたサシャが、双眸を伏せて意向をのべる。


〈陽の宮交代から、一三〇年あまり…。一四〇年ほどになります。月輪も陽の所在を特定できないのです。他国におられる可能性も、あるかと考えまして…〉



(ひゃく…)



 三者の会話に聞き耳をたてていた大陽は、むむっと考えこんだ。

 またしても、聞こえた数字は、三ケタ…。

 そこで彼は、テールの視線をひろった。


「陽の宮って、何年、生きるものなんだ?」


「個体差はあるが、二〇〇年から三〇〇年ていどだ」


 大陽が目を丸くすると、テールは、さらに情報を捕捉した。


「崩御を間近に控えているこの土地の陽姫は、二一九歳だ」



(…にひゃく…。――まあ、血が流れていないみたいだし…。ここはここなんだし。……人生、長ければ一二〇年は生きるっていうし…)



 大陽は、わかったような、それでいて腑に落ちないような顔をして、むりやり自分を説きふせた。


 いまも、ここの年齢の数え方には、疑問をもっている。



(一日の長さは、あまり変わらない感覚でいたけど、体内時計まかせだし。日の出日の入りがないから、よくわからない…。

 こっちとあっちの時間……暦って、どれくらいの差違があるんだろう?)



 いっぽうでは、トゥウェースに頭をおさえられている南の月輪が、青い宝石のような目をなかば伏せて、所懐を口にしている。


〈月輪にも居場所がわからないというのは、理解できませんが……。それは確かに、性別による不具合なのかもしれません。

 陽の宮が女性のとき、月は対なす性を具えるものが増え、日輪は、陽の宮と同様の性をもつものへと移りゆく…。

 とはいえ、何割かはその例からもれるものですし、崩御前には、すでに兆候が現れているものです。

 多少、バランスがくずれたていどで役割に支障はございません。ただ…。感性的なところでは、狂いが生じるという……、話を聞いたことがあります。

 こちらは男性で、ウエスノウの日輪のあなたが女性…。ありえないとまでは言いませんが、しかし…。

 トゥウェさまが離れたサウシュラには、いま、センシュウの光しかないのです――少なくとも、ぼくが出る時はそうでした。

 ウエスノウでは、そんなことはないのでしょう? 

 トゥウェさまの言葉で気づかせていただきました…。

 ぼくは、そちらの陽の宮が、貴国にあるものと予測します〉


 少年がかもしだす青白い月の光が、そこにあるものすべてを、やさしくさらしだしていた。

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