第13話 レシーア邸襲撃事件 悪魔との取引

 



 理解出来ない。

「あれだけ人を傷付けておいて、人が好きだなんて⋯⋯正気とは思えませんね」


 私のこの言葉を聞いたルカ様の表情が少し動く。


 その冷たい視線に込められた感情に何が含まれているのかは分からない。

 だが、少なくとも彼女が異常な存在だということは分かる。


 その一挙一動に反応して冷や汗が止まらなくなる程に、同じ人間だとは思いたくないと身体が拒絶する。

 身に纏う気配は異質なもの。まるで世界にぽっかりと穴が空いたような異物に近い。

「あら残念。これでも未来の為を考えての行動なのだけれど」


 と、自慢げに笑う彼女は実に五歳児らしいと言える。

 胸元のポケットから小さい棒状のものをクルクルと手元で回す姿は妙に様になっている。

「これが気になるの? ボールペンっていうのよ。筆記用具ね。中にインクが入っているから、別途で用意する必要が無いの」


「便利な代物ですね」

 その手に持つ小道具もそうだが、先程座っていた動ける椅子やこの部屋に点々と置いてあるものといい、明らかにのものにしか見えない。


「話を戻すけど、私は未来の為に動いているの。これも、それも⋯⋯」

 座っているソファと肉塊に指を差す。

「文明を進める⋯⋯いえ、そこに至るまでの道筋を短縮する為の行動よ」


「そこに至るまでを⋯⋯短縮?」

「もう少し説明した方が良さそうね」

 さも当然だと笑うルカ様。



「例えばそう⋯⋯百人の命で今の文明が百年進むのなら、あなたはどっちを選ぶ?」



 唐突に突きつけられた選択肢。

「それは今関係ありますか」

「ええ。私が今しているのはソレだもの」

 ルカ様はクルリとボールペンを回す。


「今から文明が百年進めば、死傷率や出生率に大幅な変化が訪れるでしょう。それだけじゃない、ここから更に二百年、三百年と進めていけばそれが顕著に見えてくるでしょう」

 そこまで言われれば私でも何となく理解出来る。


「つまり、百年進めればその犠牲に見合う命が産まれると⋯⋯?」

 正気じゃない、と言おうとした時、ルカ様が小さく唸る。


「うーん、少し違うかも。人的資産の消費に見合うだけの成果が生まれると言った方がいいわね。文明が百年進化する過程をたった百人の命でスキップ出来る。コスパがいいと思わない?」


「コスパ⋯⋯とは⋯⋯?」

「コストパフォーマンス。費用対効果よ。お得って事」

「お得って⋯⋯人をモノみたいに⋯⋯」


「実際モノでしょ。彼らだって天秤に掛けてたじゃない。命と報酬を」

 それは今は元の形の無い傭兵の事だ。


「それだけじゃない。人は自然と自らをモノ扱いしている。無意識にしている行為だから気が付かないとは思うけど」

「それは自身を掛けるものであって、他人が物差しにしていいものでは⋯⋯」


「いい事を言うのね。でも、それなら余計にちっぽけなものじゃない」

「ちっぽけ⋯⋯ですか?」

「えぇ。この先歴史に名を残す人間が何人いると思っているの? 生きる意味、理由。大半の人のソレは取るに足らない"あってもなくても世界は変わらない"程度のものでしょ?」

 よいしょ、とルカ様は立ち上がる。


「だったら、明確に役立って貰いましょう? 世界の礎、歴史の転換点を作る為にその命が消費されるのなら、少なくとも他人が作ったものを享受するだけの人生にも意味があるというもの」

「それは⋯⋯! あなたは⋯⋯他人の生や命を何だと⋯⋯! 神になったおつもりですか⋯⋯!」


 ハッと我に返った私は口を閉じる。

 ルカ様の言い分を認めてしまえば、私の復讐は⋯⋯ただ取るに足らないものになってしまう。


 だから私は否定しないといけない。

 でも、本当に否定すべきなのだろうか。

 彼女がもし本心で言っているのなら、少なくとも今よりは世界が豊かになる。

 それは私一人の感情で推し量っていいものなのか。


「別に私はあなたを否定している訳じゃないわよ? 人間らしく憎悪を燃やし、人間らしく悦に浸る。それ自体は何も悪い事じゃない」

「じゃあなぜそのようなちっぽけだと⋯⋯!」


「ちっぽけよ。その憎悪の後に何が残るの? その悦楽は人の歴史にどう貢献したの? その復讐の先でどう世界が変わるのか。きっとあなたは考えた事が無いのでしょうね」


 スケールの違いなのだろうか。個人として重要な事であったとしても、人の歴史という観点から見れば確かに小さいものだ。

「あぁ、気にしなくていいわよ。個人の行動で世界を変えられるのは極小数の人の特権だもの。それに、さっきから私は感情というのは人間らしいものと散々言っている訳だし、個人の思想を押し付けるのも良くないわよね」


 ソレを個人の思想で収めている彼女はハッキリ言ってイカれているのかもしれない。

「それにしても、神⋯⋯神ねぇ。私は神じゃないわよ。むしろ神様だったらそんな事をする必要が無い。が他者に気なんて配ることは無いはずだもの」


 そしてルカ様の人差し指が私の顎に当たる。

「それに、幾ら減らそうが、人なんて後から増やせるでしょう? 根源的に私達は生き物だもの」

「⋯⋯」


「魔術という私の知らない理があるのなら、それに適した進化がある。私はソレも見てみたい、科学に基いた地球とはまた違った進化を」


 地球⋯⋯。彼女は⋯⋯。


「ルカ様⋯⋯あなたは一体⋯⋯何者なんですか⋯⋯?」

 そう尋ねると、彼女は目をぱちくりと驚くような仕草をとった。


「何って。私は単なる科学者よ」

「かがくしゃ⋯⋯?」

「そう。事象を観察し、実験し、神秘を淘汰する。世界に未知が無くなるまで永遠にソレを繰り返す生き物」


 科学者という概念を私は知らない。

 私から見れば、彼女は悪魔にしか見えない。


 犠牲を容認し、人の文明を加速させる為ならば何であろうと行う、合理性の塊。


 長期的に見れば釣り合うだけの命が芽生えると、個人を無視するような発言。産まれてくる命と消えた命が同じでは無いというのを知らないのだろうか。


 人を、命を数字として見た時にしかその思考は正しいと言えない。

「⋯⋯」

 だからルカ様は先程人的資産という言葉を使ったのか。


 決して認めてはいけない主張。

 だが、それを正しいと思わせるような魔力がその言葉にはある。

 魔術を使う魔力では無く、その言葉に宿るもの。深淵から差し伸べられる手に惹かれつつある自分が怖かった。


 彼女は本当にその未来へのビジョンが見えているのかもしれない。

 彼女の通りに行けば、本当に世界が豊かになるのなら。


「そういう訳だから、私と取引しない?」

「⋯⋯いきなりですね。飛躍があり過ぎて私にはよく分かりません」


 何がそういう訳なのだろう。

「私は今欲しいものがあるの。ソレはあなたにも都合のいいもの。いえ、この後の事はきっとあなたの望んだ通りになる」

「⋯⋯」


「過程は違えど結果はその通りに収束する。採算は充分。いえ、お釣りが来るくらいの収穫が待っている」


 その瞳はまるで子供が新しい玩具を手に入れた時のような喜びに満ちたもの。でも、この状況で手放しに喜べる私じゃない。

「私と取引という事は⋯⋯私はこの後生かされると?」


 確証は無い。ただ、絶対的有利な立ち位置にいる彼女からの取引というのは⋯⋯。

「ええ。あなたは私に生かされる、証人になってもらう」


 証人⋯⋯?

「私の研究を未来永劫観測し続ける証人。何も無いあなたが、どこまで行けるのか。ふふっ、楽しみだわ」

 理解出来ない。いや、私が彼女と同じ領域にはいないだけなのかもしれない。


「スクワール、あなたは何も無い、憎しみをかかえた復讐鬼でしかない。くだらない、人間らしい感情しかない。特別な才能も、魔術も、卓越した身体能力も。何一つ持ち合わせていない」


 彼女は私の全てを否定した。


「だからこそ、被検体に相応しい。何一つ持っていない存在が、どこまで行けるのか。新品同然の真っ白なキャンパスだからこそ意味がある」


 そして私を肯定した。


「根源的に見れば、その役割は誰でもいい。あなたの代わりは幾らでもいるでしょう。でも、今この場にいるのはあなたしかいない」


 きっと彼女は悪魔なのだろう。人類が進化する為であればどのような犠牲も厭わない。


「その幸運に、運命に感謝するべきね。果てしなく続く人の歴史、その終着点までの切符を手に入れる事が出来るのだから」


 それは人という種への歪んだ愛故なのだろう。



「さて、スクワール。ここがあなたの分水嶺」



 顎先に当たる人差し指の力が強くなる。少女らしい肌の温かさとは裏腹に、ナイフを向けられているような冷たさが背筋に走った。



「あなたが絶対に拒めない取引条件を提示しましょう」



 悪魔との取引。



 その甘言は非常に魅力的で。



 その対価は大きい。



「わ、私は⋯⋯」



 私は⋯⋯。



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