第42話 引き潮
お茶をしながらリゲルを含むわたしたちは時に楽しく、時には頭を突合せて書類を見ていった。
確かに指摘されてみると、どれもこれも値段は一流のものではあるようだけれど、青いというだけで趣味が統一されているのかは不明だった。
それもこれも、買い付けをしている商人はジャイロと言って、社交界との繋がりが強いけれども、強引に高いものを買わせることでも有名だということだった。
手八丁口八丁とはまさにこの男のことだとキャロルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「なにしろ下品なんです。まず初対面の相手は上から下まで品定めするような目で見るんですよ。いやらしい。
多分、相手の中身には興味がなく、その人がどういう物を身につけているかで上客になるか見極めているんでしょうけど!」
噂ではジャイロは爵位の相続ができず、家から追い出された者だということだ。
わたしは世情に疎いので、そういう新聞のネタになるような話はあまり知らない。たまに侍女たちが話しているのを聞くことはあるけれど。
どこそこの令息が誰それの令嬢と、禁じられた恋に落ちた、とか、それは小説なんじゃないかしらと思うような話だったりした。
――でも、わたしだって殿下とのことが話題になれば。
今度のティーパーティーでは殿下はいらっしゃるのかしら? そんなに簡単にあちこちに顔を出したりはしないのではないかしら?
⋯⋯逢いたいのか、逢いたくないのか、気持ちが揺れる。だって、もしお顔を見てしまったら、きっと求めてしまう。ほかの令嬢と話をするのを見るのは嫌だし、だからと言って、殿下がどんなに誠実な方だといっても、パーティーの場で、わたしひとりに付きっきりになるはずがない。
まして、多くの人前だもの。
気持ちがシュンとなる。
きっとアイリス様はご出席なされる。殿下がいらっしゃるなら、きっとその隣はアイリス様だ。
殿下が、スマートにアイリス様をエスコートする姿をわたしはなにも言えず見ているしかない。
◇
こんこんこん、といつもと変わらない正しいノック。それに続いてロシナンテが現れる。
「お嬢様、お客様でございます。いかがいたしましょうか?」
心なしか、ロシナンテの顔に表情が見られる。戸惑ってる⋯⋯?
「どなたかしら? 今、大切なお話の途中なの。お急ぎかしら?」
「それが、ヒューズ様なのです」
「まぁ! あの方はまったく」
キャロルが大きな声を上げて、お茶をこぼしそうになる。それを見たリゲルはぽかんとした顔をして、バタバタとその場の書類を片付け始め、「失礼します!」と部屋から飛び出して行った。
「もう、どうして領地で大人しくしていられないのかしらね。困ったこと」
わたしは自体の収拾をつけるため、ロシナンテに「応接間でお会いするわ」と伝えた。
「畏まりました」
礼をしてロシナンテは部屋を出ていった。こんな時に限って、ロシナンテの本当の姿を思い出す。
わたしの前であんなに畏まらなくてもいいのに、なんだかわたしたちの距離は悪い方にどんどん広がっている気がした。
◇
「ニィナ、手紙を読んだ」
挨拶をするより先に、顔を見るとヒューズ様はそう言った。わたしは「お元気でしたか?」と取ってつけたように訊ねた。
「勉強に励んでいるのか? 結構。キャロルはお喋りが多いのが欠点だが、それ以外に文句のつけ所がない。元々、平民だが頭も良いし、センスもいい。男爵夫人としての品もあるしな。上手くやっているか?」
「大変楽しい方ですわ。それに、キャロル様とお話していると、新しい気付きがたくさんあって。ああ、わたし、今までどうしてこれを考えずに生きてきたんだろうって思うことがたくさんです」
「良い影響があるならよかった。正解だったな」
ヒューズ様でもご自分の行動の正解、不正解を気にするのかな、と思う。いつでも自信がおありのようだし、なにより取捨選択がお上手で、決断も早い。
迷うことなんてまったく無さそうに見えるのに。
ティーカップを手に取ると、窓の外に目をやって、突然黙り込んでしまわれた。
いきなりどうしたのかしら、と思う。
なにかご機嫌を損ねるようなことでもしてしまったのかしら⋯⋯?
「あの?」
「ああ、どうした?」
「いえ、急に黙り込んでしまわれたので」
「ああ⋯⋯」
今度は下を向くとやっぱりなにも言わない。なにを見つめているのか、じっとして動かない。
ヒューズ様でも困ったことがあるのかと、心配になる。
「あの⋯⋯なにか心配事でも?」
「いや、なんでもない。ちょっとな」
「ちょっとですか?」
「⋯⋯こんなことを言うのも癪だが、その、ニィナは殿下に嫁ぎたいのか?」
ええっ?
真正面からそんなことを訊かれてどうしろって。
だって殿下は⋯⋯。
「ふたりが並ぶとなかなか似合ってたよ。殿下の明るいブロンド、ニィナの透けるようなブロンド。顔を合わせたその横顔はまるで切り絵のシルエットみたいだった」
「ヒューズ様、わたしがどう思うかは肝心ではないのです。ヒューズ様だってそれはご存知でしょう?
高貴な方のお相手は、例えわたしの想いが募ったとしても自ら決めることはできない。わたしはそう思ってます。
ですから⋯⋯わたしの気持ちなんて関係ないんです」
わたしはヒューズ様に向けてにっこり微笑んだ。だって、こればかりは仕方ない。
殿下と結婚したら、嫌でもわたしは皇太子妃、つまりこの国の次期皇妃となる。
そんな大事なことを、わたしたちの「すきだ」とかそんなような気持ちで決められるわけがない。国の一大事なんだ。
「⋯⋯困らせないでください」
「悪かった。大人げなかったよ、許してくれ」
不意にヒューズ様は立ち上がり、じゃあな、と言った。
「あの! ご用は?」
「もう済んだ。お前の気持ちが知りたかったんだ。大丈夫、悪いようにはしない。それより素敵なデビュタントを期待してる」
「⋯⋯ご支援、ありがとうございます。できるだけ無駄は省きますから」
ヒューズ様はわたしの肩にポンと手を置くと、やさしく微笑んだ。その頼りがいのある温かくて厚い手のひらに安心する。
いつも通り、変わりはない。
「まぁ、勉強もいいけどほどほどにしておけ。みすぼらしい婚約者候補もちょっと嫌だろう? 倹約のしすぎを『ケチ』と呼ぶんだ」
ははは、と彼らしく、大きな声で笑った。
確かにヒューズ様の隣に立った時、資金を援助したいただいてるのにあまり粗末な格好はできない。言われるまで気にしていなかった。
「ほら、眉間にシワが寄ってる。考えすぎだ。16の乙女はもっとおとぎ話みたいなものに憧れててもいいんだぞ」
「そうでしょうか?」
「俺のところに来たら、お前のすきなようにさせよう。一緒に領地経営してもいいし、お前をお姫様みたいに毎日、すきなことだけさせて着飾っていてもいい。それでたまには海に行こう」
今度こそ、じゃあな、と手を上げて部屋を出て行ってしまった。たまには海に⋯⋯の部分に、ヒューズ様の本当に望むことが表れているような気がした。
波音がする。
足元の砂が引き潮にひかれる。奇妙な感覚。
思い出す、潮風の匂い。
◇
ノックが聞こえて、ロシナンテが戻ってきた。
「お送りしてまいりましたが、お話はもうよろしかったんですか?」
「ええ、いいみたい。不思議な方よね、ヒューズ様って。わたし、初めてお会いした時、実はちょっと怖そうな方だと思ったんだけど、すごく面白いし」
そうして話してるうちにいつも、心の負担が減っていく。引き潮のように、わたしの心のわだかまりをヒューズ様が流してしまう。
「⋯⋯ロバではありますが、お嬢様にはしあわせになっていただきたいと思っております」
「やだ、ロシナンテ。いきなりなにを言っているのよ」
「⋯⋯ロバの戯言です」
「ロシナンテは、殿下の親族なんでしょう? わたし、知ってしまったの。だからそんなにへりくだる必要はないわ。本来ならわたしから声をかけるのも憚られる人だもの」
ロシナンテは黙ったかと思うと、すっと片膝をついてわたしの前に座った。わたしは予想外の出来事に驚いてしまい、彼がわたしの手を取り、⋯⋯そのロバの口先までわたしの手を持っていき、唇をつける仕草をしたのを不思議な気持ちで見ていた。
「私がロバでなくなれば、ほかの皆様に並ぶことができますでしょうか? 私は幼い頃から一緒にいた貴女をこれからもずっとそばで」
「ロシナンテ⋯⋯」
「いや、ロバはロバですね。忘れてください。ロバなりのジョークですよ」
それだけ言うとわたしを置いて応接間を出て行ってしまった。いつものなにを考えているのかわからない顔をして。
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