第37話 貴方はそのままで
「さぁ、お城に帰りましょう。きっとロシナンテ様もお待ちですわ!」
アンはうれしそうにそう言った。
ロシナンテは半獣であるにも関わらず、男女関わらず人気があった。誠実で気が利き、マナーも良く、紳士的だ。うちではロシナンテがロバかどうかなんて誰も気にしていない。わたしだってそうだった。
でも······半獣じゃなかったら?
半獣だからと嫌がられることは正しくないがよくあること。でもわたしにとってロシナンテがもし人間であったなら――幼い頃からそれを願ってたのに、どうしたらいいのかわからない。
そう考えると、帰りの支度も遅くなる。
最後までガーラント様はやさしくて、領地境まで馬で送ってくださった。なぜならそこに、ロシナンテが迎えに来ていたから。
ガーラント様はロシナンテに頭を下げて挨拶をした。これは、ウェーザーでは有り得ないことだ。
ウェーザー侯爵は半獣を嫌っている。このことがバレれば侯爵にお叱りを受けるだろう。
「ロシナンテ様も次回にはぜひご一緒に。心配はいりません。私に与えられた領地は田舎なので、わざわざ領地のほかの者が訪れたりはしませんからご不快な思いはさせません」
「お誘いありがとうございます」
「ロシナンテ様、ガーラント様の領地は素晴らしいですよ! 森林地帯運用のモデルケースになります。一見の価値はありますぞ。それに葡萄も大変美味しゅうございました。残り短い人生に、とても良い思いをさせていただいた。幸福の意味を考え直す時間をありがとうございました」
アダムスは目に涙を滲ませて、ガーラント様に握手を求めた。
「この季節だからこそ、すべてが美しく見えたのですよ。冬は冬でまだ苦労があります。問題点も山積みです」
「ガーラント様ならやり通せますよ、きっと」
「買い被りすぎです」
顔を赤らめるガーラント様は新鮮だった。
初めて会って、何度かお会いして、こうして自然体で接するようになると、初めてお会いした時の印象とガラッと変わってしまった。
明日はあの方がいらっしゃらないのだと思うと、少し寂しい自分は勝手だと思った。
やさしくしてもらったからといって、甘えすぎてはいけない。まして、そのやさしさに報いる覚悟ができずにいるなら――。
「では我々はこれで。どうぞ騎士をお連れください。短いとは言え、道中、お気をつけて」
馬が落ち葉を踏む音が遠ざかる。
今度お会いした時にはどんな顔をしたらいいんだろう?
◇
「有意義な訪問だったようで、なによりです」
突然、話しかけられてびっくりする。いつもはそんなことはないのに、ロシナンテがいることに驚いた自分が不思議だった。
「自然がとても豊かなの。オースティンにもああいうところがあればいいのに」
「風光明媚、というのであれば、北部にそういった場所があります。湖水があり、小川が細く流れ、草原が風にそよぐようなところです。庭園に水場がありますが、そこを模して奥様が作らせたものです」
「そうなの? ぜひ行ってみたいわ」
「それはいかがでしょう」
ロシナンテは眉を寄せた。よく思っていない証拠だ。行ってはいけない場所なんだろう。
「ニィナ様、そこは北部の民の地に非常に近いのですよ。今は和解しておりますが、とは言え緊張状態でもあります。ニィナ様が避暑にいらっしゃるには少々、不適切かと」
アダムスからの忠告が入る。
北部には元々住んでいた民がいて、今は自治が守られている。しかしオースティン領地内であるので、そこで採れる鉱物は差し出してもらっている。
さらにそこで働く者をオースティンは雇用しているのだけど、その雇用契約が問題のひとつなんだ。それに気づいた北部民が、いつ反旗を翻してもおかしくない。
「ニィナ様、今ここで考えられても仕方がありますまい。どうぞ楽しんできた帰りには笑顔でいらっしゃらなければ」
「そうね、本当に。楽しかったんですもの」
わたしはアダムスに向けて微笑んだ。
アダムスは本当に優秀な師だ。わたしの頭の中は丸見えなのだから。
きっと、わたしがガーラント様に嫁いだ時のウェーザー家の経営についても考えているに違いない。
「先生は楽しかったですか?」
「最高でした。本に埋もれているだけではダメですな。生きた経験に勝るものはありません」
彼は珍しく破顔した。いつもの難しそうな顔は森林を抜ける風に吹き飛ばされてしまったのかもしれない。
◇
「道中無事でなにより」
「はい、お父様。次期侯爵様には大変お世話になりました」
帰城の挨拶をしに、お父様を訪れた。
お母様はまた誰かを呼んで、おしゃべりの途中だ。華やかな笑い声がどっと起こる。
「ガーラント様は良い殿方か?」
「はい、とても心根のおやさしい方だと存じ上げます」
「ではウェーザーに嫁ぐか?」
「それは······そのことについてはまだ、考えさせていただけますでしょうか? デビュタント前でもありますし、お待ちいただけるなら慎重に決めたいのです」
「うむ。そうだな、お前のお陰でウェーザーともライオネスとも良好な関係が築かれた。交易も上手くいっている。その上、皇室との繋がりが細くとも作れた。素晴らしい娘だ。結婚のことは少し先延ばしでも良かろう。デビュタントでお前を見初めるほかの者もおるかもしれぬしな。帰ったばかりだ。少し休むといい」
「ありがとうございます」
スカートを持ち上げて、一礼する。立ち上がりかけたところで「ウィルヘルムにもお前のように気の利いた女性が現れるといいのだがなぁ」とお父様はボソッと呟いた。
◇
廊下をカツカツと歩いて部屋に向かう。アンが気をつかって、「いつものお茶をいれましょうね」と言ってくれる。笑顔で応える。
「ねぇ、アン。ロシナンテも一緒にお茶をしたいんだけど、声をかけてきてもらえる?」
「もちろんです。お部屋でお待ちくださいね」
旅で知らない侍女たちに囲まれて疲れているであろうアンは、きびきびとした足取りで歩いていった。
楽しかったはずの旅も、帰ってみると不思議と自分の部屋が一番落ち着く。
いつものソファ、いつものテーブル、食べ慣れた好みのお菓子とお茶。ホッと一息つく。
コンコンコンといつも通り、正しいノックの音がして、どうぞと言うといつも通り、ロシナンテが現れた。
······そのロシナンテは難しい顔をしていた。なんとなく、気まずくなる。
「ロシナンテ、今日はこのお菓子が一番美味しいわよ。焼き加減が丁度いいのよ」
プレートに幾つか盛って、いつものように彼に渡す。「ありがとうございます」と陰鬱な顔で、プレートを受け取った。
「次はきっと一緒に行きましょうね。素敵なところがたくさんあったの。ライオネスも面白かったけど、ウェーザーもそれとはまた違う趣が」
そこまで言ったところで、ロシナンテはわたしの目をじっと見た。言葉に詰まる。上辺だけの言葉ではごまかせないことがたくさんある。
「お嬢様、ロバでない私はやはりお好みではないですか?」
思わぬ直球に、すぐに返答ができない。混乱が渦のように押し寄せる。
「ここに来て十年ほど、お嬢様のお相手をさせていただきました。伯爵様の御恩に報いる為です。ロバのロシナンテ、というのは居心地の良い立場です。ロバでいれば面倒事に巻き込まれず、みんなも同等に接してくれます。ずいぶん良くしていただきました。
⋯⋯しかし、お嬢様がご覧になった通り、もう隠し事はできますまい。ロバのロシナンテがお嬢様にとって都合がよろしければ、私は一生をロバとして過ごしても良いと思っております。許されるなら、ロバとして嫁ぎ先にもお供してまいりましょう」
ロシナンテの一言、一言に重みを感じる。
要するにこれは夢ではないということだ。ロシナンテはやっぱり、人間の男性なんだ⋯⋯。
俯いて、握った両手を見ている。あんなに望んでいたことなのに、なぜか涙がこぼれ落ちそうになる。
あの、深いブラウンの瞳は確かにロシナンテのものだった。人間か、半獣か、それだけの違い。そういうふうに物事を見られるよう、勉強してきたつもりなのに⋯⋯どうして心は揺れるんだろう?
「冗談です。忘れてください。私はロバですから」
「そんな言い方ないわ。そもそも事情があったにせよ、秘密にしてたなんて。もちろん、言えなかったんだってことはわたしにも想像できるけど、でも、だって、ロシナンテ⋯⋯ずっと一緒にいられると思ってた」
「お嬢様がお望みなら、ウェーザーだとしてもついていきましょう」
「そういうことではなくて」
子供の頃でもないのに、わたしは彼にきつく抱きついた。陽だまりの匂いがする。昼間は外に出ていたからだろう。
「どっちもロシナンテだっていうことは頭ではわかっているの。ただ、心がついていかなくて」
ロシナンテの最も人間らしい部分、五本の働き者の指がついた手が、わたしの頭を撫でる。
庭園を散歩途中、転んで泣くと、今みたいに抱きしめて頭を撫でてくれた。そういう思い出の積み重ねがわたしたちの間にはたくさんある。
「せめて私が女であればよかったですね」
「いいえ。貴方は貴方でいいのよ。わたしの理解が追いつかないだけなの。ごめんなさいね」
ロシナンテはわたしをそっと離した。
丸い瞳の中に映るわたしは、彼と出会った頃とあまり変わらないように見えた。
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