第35話 持たざる者

 とても有意義な一日だった。

 アダムスも機嫌よく、自分の出身地が正しく統治され、家族の先行きに不安を持つ必要もないと確認できた。······ただ、ガーラント様の才覚についてはもったいないと思ったようで。


 確かにとても賢い方だ。しかも、それを隠していらっしゃる。誰もウェーザーの状況も、ここにいる素晴らしい後継者の存在も知らない。

 ウェーザーには傲慢な統治者、弟に後継者の立場を簒奪されたといきり立つ長男、気が弱く女性に人気のある優男の後継者しかいないと思ってる。

 ――ガーラント様は特別な方だ。


 ◇


 夜空を見る。

 星々に殿方を重ねる。

 そして思う。

 いいな、みんな必死になれるものを持っていて。

 わたしはどうなんだろう?

 急務課題は嫁ぎ先を決めることだ。


「やあ」


 バルコニー脇の木の下から声をかけられる。

 ああ、もうどうしてこんなに物事を複雑にするんだろう? わたしに考える時間を与えてくれない。


「他人の城に突然普通ではないやり方で訪問するのは、良い事のように思えませんが」

「いいな、そういうの。ほら、想像にかたくないと思うんだけど、僕を叱る人はこの世に数人だからね」

「⋯⋯すみません、生意気申し上げました」

「そういうところがね」


 幼い男の子がするように、殿下はするりと木を登ってきた。よっと、とバルコニーに降りられる。

 わたしの頭を撫でるように自分の方にわたしを寄せて耳元で、「そういうところに惹かれるんだ。君は人形のようだとみんなは言うかもしれない。だけど人形はこんなに温かくないし、胸の中はもっと熱いに違いない」と囁いた。


 どん、と腕で突っぱねるべきなのかもしれない。実は殿下は一番よく知らない殿方だ。

 知らない人とは距離を取るべきだろう。

 でも、なぜかできない。この人のそばから離れることができない。この人のそばにいたいと思ってしまう。


 いいのかな、と迷いつつ、自分から一歩踏み出してみた。頬が、殿下の胸に当たる。――心臓の鼓動が聴こえる。規則正しいその鼓動、呼吸。

 殿下の手がわたしの頭を自分にもっと抱き寄せた。

 どうしよう?

 鼓動が重なる。殿下の鼓動も同じくらい早鐘を打つような速さだ。

 どうしよう?

 ⋯⋯背中に殿下の腕が回る。月だけが、わたしたちを見てる。


「いつもどこから現れるのですか? 王宮はずっと遠いところにあるのに」

 ふふっと耳元で笑われる。くすぐったい。

「秘密にしておこうと思ってたけど、それじゃ不公平だね。実は公爵領にずっといるんだ。さすがにウェーザーは遠かったけど、オースティンやライオネスには近い。僕を止められる者は少ないからね。そして君のためなら千里でも万里でも――」


 大袈裟ですわ、と言おうと動き始めた唇を塞がれる。あまりに突然すぎてただ驚いて、身体はビクッと動いた。

 チュッでは済まない、口付け。顎が上がっている。おとがいに殿下の手が添えられているから。


「ニィナ、ずっと一緒にいたい。でも僕は残念ながら皇太子という首輪をつけられていて、親族である公爵領に囚われている。その下に隠されている本当の意味がわかるよね?

 自分のためにも国のためにも学ばなければいけないことが多いのは百も承知。君に負けないよう、僕も学んでいる。でも求めてしまう気持ちが、君の元に僕を走らせるんだ。ダメなのはわかってるんだよ」


「君に恥ずかしくない僕になりたい。ほかの人に攫われる前に僕の君にしたい。待ってて。きっと、誰にもなにも言わせず君を迎えに来るから――」


 それはどうだろう? どこまでが信じられる言葉なんだろう?

 殿下がそれを望んでも、周りは許さない。殿下の従姉妹の公爵令嬢が、殿下の婚約者候補だということには大きな意味がある。公爵は王家に対する力を固めておきたいんだ。


 殿下の腕に力がぐっと入る。わたしの腰のラインにその腕が回される。身体が、密着する。ドキドキする。こんなことが許されるわけがない――。


 その時、チラチラとバルコニーの下で灯りが揺れた。ハッとして、ふたり、灯りから目を離せない。見回りの騎士だ。

 まだ、腰に手が回ったまま。


「⋯⋯殿下」

「また逢おう、ニィナ」


 殿下は素早く下まで降りて、どこかに向かって走っていった。多分、馬をとめてあるんだろう。

 こんなに遠い、ほかの領地まで走らされた馬はかわいそうだ。だけどそこまでしてやって来た殿下の気持ちに応えることが、わたしにはできるんだろうか⋯⋯。


 もちろん、うちの者は喜ぶ。お兄様はそれを望んでいるし。

 でも、公爵家がなにも言わないわけがない。間に入って、皇太子殿下と娘を結婚させることで国を左右できるほどの力を持つ。

 公爵家が『持つ者』なら、オースティンは『持たざる者』だ。王家に縁故がない。


 ◇


 涼しい夜風が湖面を撫でて部屋に流れ込む。

 悲しい?

 政治の道具として使われることが?

 わたしも殿下も同じ。自分の意思で結婚相手を選ぶことができない。例え、どんなに惹かれあっても。


 その一方で、やっぱり「怖い」という気持ちが消えない。

 わたしは殿下のことを本当にまったく知らない。わたしのところにやって来て、甘い言葉を囁いて去っていく、その姿しか知らない。

 なのにどうして『愛』について話し合えるんだろう? なにも知らないのに。


 殿下はわたしのことを少しは知っていたのかしら? あの、パーティーで声をかけてくれたのは偶然じゃないかもしれない。

 今思うと、みんながわたしをいない者として扱ったパーティーで、高貴な方が声をかけてくれるというのは妙な話だ。殿下も取り巻きがいたに違いないのに。


 殿下に温められた身体はすっかり冷めてしまって、ベッドに入ってもすぐに休めそうになかった。

 ベッドサイドには香り高い白百合が活けてあった。その香りに酔いそうだ。

 堂々と咲き誇る白百合の花は、まだお会いしたことのない公爵令嬢を思わせる。

 同じ花壇に咲くことも許されない、威厳がそこにはあるだろう。


 やっぱり、わたしなんかじゃダメだ。

 相応しい女性が、すぐ隣にいるのだから。

 殿下だってそれにすぐ気がつくに違いない。

 わたしとは比べ物にならない、誇り高く美しい女性の存在に――。

 そう、それこそが政治なんだ。


 ◇


 日差しがまだ弱い散歩の後、庭で昼食をいただこうという話になって、涼しい軽い素材のドレスを着る。

 アンと揉めたドレスで、ピンクの小花模様。幼く見えるんじゃないかとわたしは言ったけど、アンはかわいらしくてきっとガーラント様も気に入られるに違いないと言った。

 袖の一部分がレースになっているのがマリアンヌの凝らしたデザインだ。


 白い日傘をアンがさしてくれる。わたしはアンと玄関前でガーラント様を待っていた。

 アダムスはこんなに良い陽気なのに、図書室を解放していただいて、本の山に埋もれることにしたらしい。まったく根っからの学者肌なんだ。


「お待たせしました」

 ガーラント様は白いシンプルなブラウスをさらっと着こなしていらっしゃった。なにを着ても美しい容姿をつい見つめてしまう。

 さらりと長い銀髪を細紐で結わえて、流していらっしゃる。目の色と同じ青い紐が印象的だ。


「ではレディ、お手を」


 言われるまま手を伸ばすと、するっと腕が巻きついてきて⋯⋯腕を組んで歩くことになった。


「ニィナ様、具合でも?」

「いいえ、その、慣れていないもので」


 くすくすとガーラント様は笑った。リラックスされたその表情は、昨日の険しい顔を忘れさせる。

 笑われても嫌な気持ちにならない。


「そうですね、夜会にもまともに参加なさってないのでしたね。これはフライングだったかな?」

「フライングですか?」

「ええ、ほかの殿方より一歩リードです。皆さん、ニィナ様と腕を組まれたことはないのでしょう?」

「⋯⋯そうですね」


 一歩どころか、百歩リードしてる人がいる。なににも怖気づかないのは、その身分のせいなのか、持って生まれたなにかなのか。


 人の前に立つ人は、あれくらい豪胆な人じゃないといけないのかもしれない。⋯⋯そうかしら? 意外と繊細で傷つきやすくも見えるけれど。

 歳はほかの殿方とそれほど変わらないのに、どこかまだ幼さが残るように思う。抱きしめてあげたいと庇護欲求をそそる。


 殿下は今頃、なにをしていらっしゃるのかしら?

 また公爵領に着いたのかしら?


 こほん、とガーラント様は咳払いをした。驚いてその顔を見上げる。真面目な顔をなさっている。


「隣にいる男を忘れて、物思いにふけるのは禁止事項ですよ」

「ごめんなさい、ぼーっとしちゃって」

「考えるのは食後のデザートのことくらいにしてください」


 今度はわたしが笑う番だった。

 ガーラント様はわたしの悩みに薄々気づいているのに、知らないふりをしてくださる。おやさしい方だ。できることならそのお気持ちに応えられたらいいのに。


 そもそもなぜ二択なんだろう?


「ああ、それは社交界で目を引くためですよ」

「なんの利益があって?」

「ニィナ様の評価が上がります。言葉が悪いですが、市場価値が上がるのです。こういった方がニィナ様にはしっくりするのでは?」


 影は、わたしたちの前を歩いていた。わたしは傘の中にすっぽり入り、アンに守られていた。


「昼間の散歩というのも趣深いかと思いましたが、これでは敵いませんね。すみません、傘は私が責任もって持ちましょう」


 アンはマナー通りガーラント様に日傘を渡すと、そそくさと城に帰って行った。


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