第32話 恋を語るには
ディナーには青いドレスを着た。
アンが「白い肌を引き立てるお色ですね」と言ったけれど、鏡の中の少女は顔色の悪い娘に見えた。表情のない、冷たい顔。
真珠のチョーカーと銀で作った髪飾り。ガーラント様に対する、わたしからの礼を尽くして作らせたドレスだ。似合わなくては困る。
「行きましょうか」
長いドレスを引きずってダイニングにつくと、その席には意外な人がいた。
「先生、ご用事は?」
「ああ、思ったより早く済んでしまってこうしてご夕食をいただくことになり、城主様には大変申し訳なく思っております」
「お気になさらないでください。ご高名な方にご列席いただけて光栄です。私は都と縁がない田舎者なもので、先生にお会いできるだけでうれしく思っております。どうぞ、ここが故郷だとお聞きしました。ご家庭にいらっしゃる気持ちでお過ごしください」
なぜか先生は、消えそうな返答をした。なにがわたしの知らないところで起こったのか不思議に思う。
「⋯⋯このような席で言わない方が良いかと思いましたが、私の生徒は好奇心に満ちておるので言ってしまった方が良いように思えてきました。実は最近、妹からの手紙が途絶えがちで気にしておったのですが、いろいろと仕事も多く。今日、尋ねてみたら数日前に亡くなり、墓前に花を手向けてきたのです」
「まぁ! 先生、ご実家にいらした方が――」
「いいえ、何十年も前に家を飛び出した身です。今さら、妹を弔う家族の輪には入れますまい。もしそこで私が死を悼んだとしても、それは自己憐憫に過ぎないでしょう」
そう言った先生の横顔は、とても暗く、人が死ぬということの重さを物語っていた。
「すみません、暗い話を」
「シュー、上等なワインを。妹さんのために杯を」
「滅相もありません。私はこうしてこの席につけたことだけでも――」
「先生、勘違いしないでいただきたい。彼女はこの地の領民なのです。弔って当然です」
「ああ、ガーラント様のお慈悲にどう感謝したら良いか」
「それなら誰も知らない令嬢の話を教えてください。こっそりですよ」
領主というもの、それはこういう気遣いのできる人なんだとわたしは学んだ。
決して、その席に座っていることが肝心なのではない。
民を思い、民を愛し、民のために政治を行う。それはその地に資源があるか、立派な爵位はあるかなどということとは比べようもない領主としての資格に見えた。
もちろん、ヒューズ様はその点、間違いなく立派な領主だ。ライオネスを愛していらっしゃる。
でもわたしは見間違いをしていたようだ。
ここにいる、見目麗しい殿方が立派な振る舞いをすることに感動を覚えた。
わたしの婚約者候補として、ヒューズ様と並ぶだけの素養がある方、尊敬に値する方だ。
先生は杯を掲げ、素晴らしい故郷の思い出の味を喉に流し込んだ。その思いは外からは見えない。
しかし、今日のことで先生のガーラント様への評価も上がったことだろう。
「ありがとうございます。妹もこのような方の元で生きてきたことに感謝していると思います。私は貴方様を誤解していたようです。過保護な父にかわいがられて育てられたのだとばかり」
「いえ、その通りです。もしもニィナ様を娶ることが叶わなかったら、爵位は兄に譲るつもりでおります。しかしニィナ様に選ばれた時は死ぬつもりで政務に励みたいと」
そこまで言ってガーラント様は苦笑した。
「この席で不適切な発言をしました。申し訳ありません。命はなによりも大切なものです。ですがもしニィナ様がいらっしゃる際には、先生も故郷に戻りませんか? 葡萄も嫌という程、贈らせましょう」
今度はそれに先生が苦笑する番だった。
先生はお酒のせいか頬を赤らめて「ありがとうございます」と一言仰った。
◇
「ガーラント様は思っていた方と違いましたな」
「まぁ、ではどのように?」
「お恥ずかしいことですが、女性好みのたおやかで気の優しい、争いごとを好まなず領地内でも安全な城に留まっている方かと。爺も
わたしは少し口をつぐんで思い出してみた。あの人の言動の数々を。
ただ、わたしの心を手にしようとしてるだけの方かと最初は思っていた。
しかし、知れば知るほど、自分に与えられた小さな領地の中でできる限りの施政を行っていることを知った。
そしてアイスプリンスという名の由来は、実は内向的で外に出ると表情のない人になってしまうということも。
「······ガーラント様はとても良い方ですわ。もしもここにわたしが来ることになったら、ふたりで可能性を探し合える仲になれるような気がします」
「お嬢様もガーラント様も聡明だ」
「いえ、そういったことではなく、志の方向が似ているように思うのです」
「ふむ。それは良いことですな。しかし爺はお嬢様の未来についてのご進言はできるだけ慎みましょう。お嬢様の未来はまだ幾つもの広がりを見せておりますから」
「昔はそう思うのは癪だと思っていたのですが、結婚というのは相手の殿方次第で良い物にも悪い物にもなると思うのです。そんなことを言ったいたら、ますます慎重になってしまいますが」
「人生はひとつ、だということだけ申し上げておきましょう。爺のお節介ですな」
そう言うとアダムスは自室に戻って行った。
······悲しみは少し癒えたのかしら? 領民を思う城主の姿を見て。そうであってくれたら。
◇
コンコンコン、と小さなノックが聞こえる。まるで小石が風の中、窓を叩くような。
わたしの心は一瞬震える。
だって、まさか、そんな――。
「ひとつ、リュートをいかがでしょうか?」
バルコニーに現れたのは思っていた人とは違った。けれどもその方がずっと自然だった。
「まぁ、どうしてバルコニーから?」
「詩人は窓辺から愛を囁くと聞いたものですから――それからニィナ様のバルコニーには時々、客人がいらっしゃるとの噂も」
「なにを仰っているのかしら?」
冷や汗ものだ。
まだ婚約もしていない男女が夜、ふたりきりで部屋にいることなど、決していい噂ではない。
「出処でしたらご心配なく。私にも独自の耳があるのです」
「では、迂闊なことは喋れませんわね」
ガーラント様はそれを聞いて少し悲しそうな顔をした。一瞬のことだったので、声をかける間もなかった。
「ニィナ様。少しでもそのお気持ちを傾けていただけたらと思っています。正直に言えば、私は婚約者としては格下になるでしょう。どの方も立派なお方ですし、あなたはそういう方を惹きつける魅力に溢れている。しかしそれでも私は愛を囁かずにいられない。ほかの殿方よりあなたをしあわせにできないかもしれない。どうか、政略結婚ということは忘れて、私を――」
跪いた姿勢でそう言った彼の手を取って立ち上がっていただく。この城の城主ともあろう方がそのような振る舞いをしてはいけない。
恋に溺れてもいけない。目の前が見えなくなってしまうから。
「お言葉はうれしいです。わたしのような小娘にもったいないですもの。ですが――」
「殿下は女性から見ても魅力的でしょうか? 例えば権力を除いても」
驚いて声が喉に張り付いたようになにも言えない。右手でそっと喉をさする。
落ち着いて――そう、呼吸を整えて。
「殿下が仮になんと仰るとしても、一国のことです。殿下の一存で決まることでもありません。殿下は確かに魅力的な方です。でも、それでもわたしには手の届かない月のような方ですわ」
「······そこに手を伸ばしていらっしゃる」
「いいえ、手を離すことができないのです」
言ってしまってハッとする。それではわたしが勘違い女みたいだ。
殿下に愛されていると思ってるなんて言ったら、バカにされてしまう。
「殿下のお気持ちもわかります。どのように条件の良い方を蹴ってでも、ニィナ様の手を離したくないとお思いなのかもしれません。なにしろ家柄的には伯爵家は申し分ないですし」
「そういう問題ではありませんわ。わたしも殿下も、まだ子供でいたいのかもしれません」
ポロン、とガーラント様はリュートを奏でた。その曲は麗しい女性に報われぬ恋をした男が、女性がほかの男と結婚すると聞いて湖に身を投げたが、それは単なる噂話で、彼女の気持ちは彼にあった。最後、彼女を最後に見たのは湖に浮かぶ船の上だった、という悲恋物だった。
彼女は彼を追ったんだろうか?
そこまでの情熱をわたしは知らない。
命をかけても結ばれたい想いを、まだわたしは知らない――。
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