第25話 港の見える昼食会

 ヒューズ様はソファにでんと座って、わたしを見た。腕組みをして、いつも通り眼力を強く。

 わたしは自分の中のどうしようもなく持て余している気持ちをバレないように、必死だった。


「殿下とはいつ?」

「公爵夫人のパーティーで。たったひとり、お声をかけてくださったんです」

「ロシナンテは?」

「⋯⋯半獣禁止のパーティーでしたから」


 ヒューズ様はそこまで聞くと顔を背けた。なにかご気分を不快にさせることをしてしまったのかもしれないと、不安になる。


「俺はあのパーティーには行ってなかったんだ。ガーラント殿は参加していたんじゃないのか?」

「多分。でもあの日、お父様もお母様もご挨拶に忙しくて、誰もわたしの相手をしてくださらなかったんですよ。そこに現れたのが殿下で、それで⋯⋯」

「甘い言葉でも囁かれたのか?」

「とんでもない! ただ酔ったわたしの介抱をしてくださって、とんだとばっちりを」


 ああ、例の――とヒューズ様は呟いた。


「それと、俺がこの前、ニィナを領地に送らせた時の襲撃。あれは」

「⋯⋯はい、殿下が助けてくださいました」

「殿下は腕が立つらしいからな」


 そうなんだ、それは知らなかった⋯⋯。確かに殿下の剣の腕前は特別に優れていらっしゃった。流れるような剣さばきに、敵も翻弄されていた。


「で、惚れてしまったわけか」

「ほ、惚れてなんてそんな!」

「男女の間には段階がある。殿下とニィナはその段階を上手く上がっているように思うが?」

「⋯⋯公爵令嬢が」


 失礼します、と声がかかって、馬車の準備ができたと知らせが来た。

 そもそもヒューズ様はわたしの恋愛相談をするためにいらっしゃるわけではなくて、わたしに見聞を広めるよう、お誘いくださったんだ。それを忘れたらいけない。


 ◇


 馬車の中にも潮風の香りがプンと匂う。

 この香りが生臭くてすきじゃないという人も多いらしいけど、わたしにはなにもかもが目新しい。すべてを包んでしまうような、荒々しい海。ヒューズ様のようだ。波がすべてを攫ってしまいそうな。


「ん? どうした?」

「いえ、なにも。海の匂いがいいなって思って」

「殿下の嫁になったら、ここもお前の領土だ。今日の観光は見聞を高めるのに大いに意味があるものになったな」

「意地悪ばかり言わないでください。その前にヒューズ様の領地ではありませんか!」


 ははは、と冗談で笑い飛ばす。どこまでが本気でどこからが冗談なのかよくわからない人だ。でも憎めない。こういう方こそ、中央に近いところで政治に携わると国益になるんじゃないかと思う。

 世の中、不思議に満ちている。


 ◇


 港に着くと、たくさんの人たちが忙しそうに仕事をしていた。

 それこそ、半獣も。力のある半獣はここでは特に重宝されているようだ。馬や、熊、ゴリラなどの大型の半獣は荷物運びを、荷物の仕分けはキツネやビーバーなど荷物が持てない半獣たちが担当していた。


 その他の複雑な仕事や現場監督、船員は人間が多く、わたしの知らないところにも半獣はたくさんいるんだなと興味を持つ。


 この半獣たちも、半獣に生まれたかったわけではあるまいし。中には完全に動物に近いロシナンテのような半獣から、チラッと見ただけではわからない人間に限りなく近く、耳や尾から半獣だとわかる者もいた。


「どうした?」

「いえ、半獣って意外と多いんだなと思って⋯⋯」


 今日はロシナンテは馬車の外、馬に乗っているので話を聞かれる心配はない。


「ニィナはあまり街中に出たことがないのか?」

「ごくたまに、侍女と買い物に。評判のお菓子や、ブティックに」

「なるほど。貧民街などには行ったことがないわけか。まぁ、そりゃそうだな。危険が多いし」


 自分が物知らずであることを恥ずかしく思うと同時に、どうして男に生まれなかったのか悔やまれる。そうすればこんな思いをしなくて済んだのに。


「ニィナ、俺だってお前を貧民街に行かせたくないさ。気にするな。でも見たことがなくても世の中には貧民もいるし、隠れるように生きる半獣もいる。知らないフリをしても、そいつらはいなくならないから、政治を良くするんだ。貧民がいない街を目指して、半獣が胸を張って市民権を行使できる国を目指して」


 こういう時のヒューズ様はいつもより輝いて、大きく見える。頼もしい姿に、思わずついていきたくなる。この人といれば、十分、満たされた人生が過ごせるだろうと思う。

 二人で領地を肥やして、二人で人生を共にして。

 仕事が忙しいからと言って、わたしを蔑ろにしたり、決してしないだろう。


 どうして自分が目の前にある幸運に飛び込まないのか、なんて愚鈍なんだろうと思う。

 分相応のしあわせ、それでいいじゃないか?

 ――殿下のことは、そっとしまっておけばいい。


 きっとほかの令嬢の中にも、心の中に秘められた想いを持ったまま嫁いだ方がいるだろう。わたしだけが例外じゃない。


 ◇


 その日の昼食は港が一望できるレストランだった!

 しかもテラス席で、大きな帆船の白い帆が風にはためくのが見える。物語の中だけにあった世界が、目の前に広がる。


「素敵! ヒューズ様、なんて素敵なんでしょう?」

「そうだろう? ニィナはお城にこもってばかりのようだから、喜ぶと思ったんだよ」

「その通りです! お城の外でご飯をいただくなんて滅多にありません。ピクニックでもなければ」

「はは、これからは嫌でも馬鹿げたパーティーにため息が出るほど呼ばれるさ」


 そんな日が来ることは正直、実感がない。いつまでも今のように自由に、自分の世界に生きられるわけがないような、そんな気がしてしまう。

 時間はわたしを待ってくれない。わたしは十六になって、まるで査定を受けるようにパーティーをたらい回しされて、条件に合う方に嫁ぐ。――新名がそっと慰めてくれる。


「そんな顔するな。ほら、お前が普段、食べられないものばかり用意してやった。生の魚や、エビや蟹、お前が拾った貝殻の中身もこのテーブルに乗ってるぞ。さぁ、口を動かせ」


 そう言うとヒューズ様はわたしのお皿に様々なものを取り分けた。素手を使って、エビや蟹の殻を剥き、濃厚なソースを添えて。或いは貝の身が貝殻に入った焼き物や、大きな魚の身を薄く切り、スパイシーなソースをかけたもの、すべてが目新しくあり、海は素晴らしい食べ物を育む畑であることも知る。


「元気になったか?」

「あら、最初から元気ですけど 」


 すまし顔でそう言うと、ヒューズ様は「一本取られたな」と笑った。

 そして「少しだぞ」と透明なお酒をグラスに注いでくれる。そのお酒は爽やかで甘く、幾らでも飲めそうだった。


「おいおい、また倒れるのは勘弁してくれよ。それこそ殿下が後ろから」

「僕を呼んだ?」


 グラスを持ったままの手で、ヒューズ様の後ろに立つ方を見上げる。――どうしてここに? まったくわからない。


「伯爵、ここに僕の席はあるかい?」


 ヒューズ様は堅い顔をして礼節を顕した。

 レストランの支配人が大急ぎで椅子を持ってくる。その椅子より、こっちを、なんて声が店の中で轟く。辺りは大騒ぎだった。


「殿下、どのようにしてここに?」

「僕は早駆けが得意なのさ。ニィナは知ってると思うけど」


 わたしはなぜかとてもバツの悪い思いをして、手をぎゅっと握って、顔を上げることができなかった。

 まったくどうしてここに、と呆れると共に戸惑い、ときめく気持ちが止まらない。⋯⋯わたしのために?


「時に伯爵、海賊の件は上手く処理できたのかい?」

「お陰様で王家から精鋭をお借りしたことで、上手く生かしたまま捕らえることはできました。大掛かりな組織のようですので捜索中です」

「ふう、じゃあ心配の種はひとつ減ったということか。もうひとつの問題は、目の前のまだ若い蕾の薔薇をいかにして手折るか、ということだ」


「殿下、お戯れを」

「なにも戯れなどではない。僕は今日、僕のライバルとなる君の顔を見に来たんだから――。でも面白くないね、君たち、遠目に見てても、すごくお似合いだ。ニィナの着ているライオネス流のドレスもニィナによく似合ってる。これも伯爵が用意させたんだろう?」


 両肘をテーブルにつけた姿勢で、殿下はわたしたちの顔を見てにっこり笑った。そのなんの思惑もない、と作った笑顔が怖い。

 ヒューズ様は領主の顔をしていた。


「失礼ながら、ニィナ嬢とは婚約が許される一歩前の状況ですので。できるだけ丁寧に扱わせていただいております。こちらの誠意をオースティンにもわかっていただけるように」


 殿下は、それまで見たことのない顔をした。

 目を見開いて驚いたのは、殿下にこんなに堂々と意見する人はそうそういないからだろう。

 驚いた顔は一瞬にして険しくなった。


「うん、その話は聞いてる。オースティン伯の許しが出れば、君は名実ともにニィナの婚約者だ」


 殿下はお酒の注がれたグラスを持つと、ぐっとそれを飲み込んだ。⋯⋯傷ついた人の顔をしていた。

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