第23話 恋の順番

 その馬車は、ある日突然、城に入ってきた。誰も事前にそのことを知らなかった。

 城門の騎士が馬車に乗った人物を問い質さなければならないほどだ。城の中はざわついた。


「ウィルヘルム様がお帰りになった!」


 第一報は執事ではなく、庭師が持ってきた。それくらい門前でもめていたんだろう。


「ウィルヘルム様が? 本当に?」


 皆がそのニュースに驚き、飛び上がった。とりあえず、お迎えする支度を調えなければならない。

 わたしもアンと一緒に衣装部屋に行って、客人を迎える時のようなスタイルに着替える。


 ◇


 お兄様は悪い方ではない。

 子供の頃、手を繋いで歩いてくださった覚えがある。あまり覚えていないけれど、なにか難しい話をした。その時、丁度ロシナンテがうちに来た頃で、お兄様は寄宿舎に入っていらっしゃった。夏休みだった。


 敷地内の木陰の道を、手を繋いで歩いた。難しい話はよくわからず、お兄様は頭が良いんだなと子供ながらに解釈した。


 わたしは遅くに生まれた子供で、お兄様とは七歳、年が離れていた。つまり、わたしが五歳、お兄様は十二歳。


 寄宿舎での生活がどんなに素晴らしく都会的であるか、事細かにお話してくれた。


 特に同じ学年にレイモンド殿下がいらっしゃることがお兄様にとってのトップニュースだった。

 うちと王都との間には広大な公爵領があるため、王家と軽々しくお付き合いできる距離ではない。にも関わらず、寄宿舎では同じ屋根の下に殿下がいらっしゃるという。


 お兄様は要するにそれを話したかったようなのだけど、その頃のわたしは王家がどれくらいすごいのか、まったくわかっていなかった。

 王子様のいるところ、というのがわたしの認識だったのに、王子様は学校にいるらしい。不思議な話だなぁと思っていた。


 するとその日の午後、庭園の片隅で一緒に花輪を作っていたロシナンテが、どういうわけで王子様が学校にいるのか説明してくれた。一国の王にいつかなる為には勉学に励む必要があるということを。


 ついでに「王子様」ではなく「第一皇子殿下」であるということも。


 ロシナンテはどうしてそんなことを知っているのかしら、と思ったけれど、よくよく考えたらロシナンテとお兄様の年は近かった。多分、そのせいなんだろうと、その時はそう思った。


 ◇


 お兄様は玄関ホールに入ると、執事を殊更大きな声で呼んだ。


「トーマス! 僕だ! 今帰った」


 トーマスはかわいそうに、なにかの仕事の途中だったんだろう、慌てて飛び出した。


「僕が帰ったのに出迎えがないとは。次期当主だというのに」

「お兄様、お帰りなさいませ」


 お怒りだったお兄様は、わたしを振り返ると一瞬止まった。わたしは間を持たせるためににっこり微笑んで、お辞儀をした。


「ニィナか? 幾つになった?」

「はい、今度十六になります。お兄様は息災でいらっしゃいましたか?」

「⋯⋯王都でもお前のことが噂に上がることがある。なるほど、子供が育つとこうなるのか。これでは王都でのお前の噂のあれこれを否定しきれないな」

「噂でございますか?」


 お兄様はそのまま屋敷の奥に向かって歩いていった。


 ちなみにわたしとお兄様の容姿は割と似ている。あまり一緒にいたことがないので比べられた経験が少ないけど、違いはお兄様の髪がお父様譲りで赤みのかかったハニーブロンドであることと、女のわたしとは違い、肌の色が濃いことくらい。

 そして残念なことに背の高さも似てしまい、お兄様もあまり背が高い方ではなかった。


 ◇


 お兄様は一体どこへ向かわれたのかと思ったら、それは先生のところだった。わたしが着いた時にはひどいことになっていた。


「先生! 先生がうちの財政についての情報を上に流したのではないですか?」


 お兄様はすごい剣幕でまくし立てた。

 先生は逆に落ち着いて、毅然とした態度で静かに語った。


「ほう、生徒が教師に疑いをかけると? そもそもどういう報告が行ったのか、私は知らないが。

 ウィルヘルム、君は少し早とちりなところがある。よく考えてみたまえ。アカデミーをとっくに退いた私が王に意見を言える身かな?」


 ぐっとお兄様は黙ってしまった。握りしめた拳は震えていて、身の内は怒りが渦巻いていることがわかる。お兄様の性格はお母様譲りで、なにより外からの目が大切だった。それなのに自分の家の醜聞を聞かされて腹が立って帰郷したんだろう。


「じゃあどうしてこんなことになったって言うんだよ。僕は王宮の官僚になって、殿下の右腕になるため努力を重ねているのに。大体⋯⋯ニィナ」

「はい」

「お前、殿下に嫁げ。そうすれば僕は側近になれるだろう」


 これには周りの皆も驚いてしまって、誰も声さえ出なかった。

 特にわたしと殿下のことを知っている侍女たちは、決して知っていることを口から漏らすまいと決意したようだ。


「ウィルヘルム、落ち着きなさい。本当に君は変わらない。ニィナ様の立場もお考えにならなければならないではないか。

 第一、王家の官僚になる前に、ここで領地経営をするための帝王学を学ぶ方が優先だろう。妹を手駒にしようだなんて、どこからそんな考えが出てきたのやら」


「火のないところに煙は立ちませんよ。ニィナが何人かの男を弄んでいるという噂は王都では誰しもが知るところです。

 僕は恥ずかしくてパーティーでも隅に隠れるようにいなければならない」

「まぁ!」


 声を上げたわたしを先生が手で押しとどめた。


「それはニィナ様の美しさが評判だということでしょう。

 しかし、ニィナ様の男性関係については、ここの財政難のせいですよ。お父上にお聞きするといい。

 ニィナ様は政略結婚させられるのです。好んで複数の男性とお会いしているわけではない。そんな噂が立つなら、その責任の一端は君にあると、ウィルヘルム、考えたことはないのかな?」

「政略結婚? どこにでもある話じゃないか」

「左様。ウィルヘルム、君がしてもいいのだよ」


 お兄様はギョッとした顔をした。

 自分がまさか政略結婚させられるとは考えてもみなかったんだろう。もしかしたら気になる貴婦人でもいらっしゃるのかもしれない。


「ニィナはまだデビュタント前じゃないか」

「左様。しかし早く婚約者を決めなければこの傾きかけた城は財政の立て直しができないんだ」

「⋯⋯僕が城に帰るよう言われたのはそのことだったのか⋯⋯そこまで深刻なのか?」

「ご自分の目で確かめられるのが良かろう」


 お兄様は先生の部屋を出ると、足音を高く響かせてどこかへ向かった。

 先生の部屋にはわたしと先生、二人きりとなり、さっきまでの喧騒が嘘のように消えた。

 お兄様のたてた埃が穏やかな光の中、舞い上がって踊っていた。


 ◇


「まったく殿下もウィルヘルムもどうしたものか。どうしてこう浅はかなのか。⋯⋯その教師が私なのだから、ニィナ様にはなにも申せませんな」

「そんな⋯⋯。例え王都で悪い噂が立っていようと、公爵領を挟んだここまでは聞こえてきませんわ。幸い王都まで遠いのですから」


 先生はわたしの肩をぽんぽんと叩いた。元気づけようとしたに違いない。


 なにをどうしたら元気になると言うんだろう?

 なにもかもがもうめちゃくちゃで、そもそもどうして婚約が二択である必要があったのかしら?

 最初から決まっていればこんなことにはならなかったのに――。


「ニィナ様、瞳が濡れておりますぞ。おかわいそうに」

「先生、わたし、どうしたらいいんでしょう?」

「⋯⋯残酷なようですが、こうなった以上、どちらかに嫁いでしまわれた方が厄介事は少ないかもしれませんな。それとも、王宮を目指されるか?」

「⋯⋯まさか、わたしなど」

「困ったものですな、殿下は。物事を掻き乱すことに関しては一流で。そればかりは私にも御することが敵いませんでした」


 ふぅ、と先生の部屋のソファに腰を下ろす。お父様とお兄様が財政のことを話し合っているに違いない。

 でも、派手に騒いだら不正を働く官僚に証拠を処分されてしまうかもしれない⋯⋯。


「先生にわたしの秘密をお教えしますね。

 ――実はどの殿方よりも先に知り合ったのは、殿下だったのです」


 わたしは微笑んだ。

 ちょっぴり心が痛んだ。

 婚約は早い者順ではないと、わかっているからだ。


「おかわいそうに」

「いえ、ガーラント様もヒューズ様もとても素敵な方ですわ。尊敬に値する方たちです」


 その気持ちに嘘偽りはなかった。

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