第20話 呼び鈴の鳴る時

 ――城での晩餐は最悪だった。




 料理のことではない。料理は贅を凝らした一流の食材ばかりが使われていた。緊張で味がわからない。

 そんな中、ほかの人たちは黙々と食べ続ける。


 もしここにロシナンテがいたら「お嬢様は食が細いので」と逃がしてくれたかもしれない。

 でも残念なことにロシナンテはここにはいないし、もし一緒に来ていたら、あの傲慢な領主に物笑いの種にされていたに違いない。


 ここに来てみてわかったことは、この城の財政も決して揺るがないものではないということだ。嫁いだところで苦労するかもしれない。


 幾らガーラント様がわたしを庇ってくれるとしても、あの親子とは上手くやって行けそうにないし、天候不順となれば財政はかつかつとなるだろう。

 ⋯⋯そうなっても助けを求められるほど、わたしの実家に資産はない。


 ここにあるのはガーラント様からの熱い想い。

 どう受け止めていいのかわからない。

 しかもここもかつかつだと言うなら、お父様はウェーザーとの結婚を望まないだろう。


 ⋯⋯社交界のアイスプリンスか。

 ガーラント様は良くも悪くも普段、感情を表さない。それは内側に荒れ狂うほどの熱い感情を秘めているからだ。

 ちらっと見ると目が合う。

 恥ずかしい。ガーラント様のすきなわたしはどのわたしだろう?

 お人形のようにかわいらしくて、決して反論しない、従順な姫君。

 この人はわたしの中の野望を知らない――。


 ◇


 なんとか解放されてガーラント様の馬車に乗り込む。もう一晩、あの水色の部屋に泊まって、明日の朝、出立する予定だ。


 昨夜のことを考えると、不安になる⋯⋯。

 殿方の力は強い。それはわかってる。だけどわたしが迂闊なんだ。


 ロシナンテがいればなぁ。上手く男性をあしらって、わたしに近づけないのに。わたしの寝室のドアを開けさせたり決してしないのに。

 今日、思い出すのはロシナンテのことばかり。

 ホームシックなのかもしれない。


 堅牢な城に戻り、また明るい顔をした従者たちの顔を見る。

 この城の者たちが笑顔なのはガーラント様がおやさしい方だからだろう。それがひしひしと伝わってくる。


『恋』はいつか降ってくるものだと聞いていた。そうしたらわたしは大きな幸福を得て、満足のいく人生を送る伴侶を持つことになるんだと思っていた。

 思っていたけど⋯⋯。

 愛って意外と重いんだな、と思う。性格悪いかも、わたし。


 ガーラント様はその美貌に見合うやさしい方なのに、ときめくというより、少し怖い。そんなのおかしいと思うけど、あの視線や気遣ってくれる声が少し怖い。

 殿方ってみんなそんな感じなのかしら? それがガーラント様じゃなくても、求婚されたら⋯⋯。


「素晴らしいデビュタントになるよう、お手伝いさせていただきますから。どうかその時はワルツを踊る権利をわたしにも分けてください」


 それが城を立つ時の彼の台詞だった。

 意外に普通だったので、少し拍子抜けだった。

 最も侍従たちの前で、そんなに感情的な姿はお見せしないのかもしれない。

 わたしは返事がわりに微笑んだ。


 ふう。

 馬車が走り出して、城が遠くなった頃、ため息が出る。気持ちが振り回されるのは疲れることなんだなぁと学んだ。

 あんなに素敵な殿方に求婚されたのにときめけないとは――新名が今度はため息をついた。


 でも! だって! 突然だったんですもの!

 しかもお相手が見目麗しく⋯⋯ぐっと彼の腕に力が入った時のことを思い出す。このまま離してもらえないかも、なんて馬鹿げたことを思ってしまった自分が恥ずかしい。

 まぁ、ニィナの恋愛に口出しする気はないよ、と新名は言って消えた。相談相手が消えてしまった。


 いよいよ我が領地に、と思った時、領地の境でロシナンテが騎士を二人付けて待っていた。

「お迎えにあがりましたよ。ここなら私も自由に歩けますから」

 この間のこともあるので念の為、ということ。

 もちろんガーラント様も先日のことは知っていて、屈強な護衛を付けてくださったんだけど、ロシナンテに早く会えたことがうれしい。帰ってきた、という思いが強くなる。


「ロシナンテ、お菓子をいただいてきたのよ。帰ったら一緒にお茶をしましょう」


 自然、微笑みがこぼれてしまう。ああ、もう緊張する必要はないんだ。


「お嬢様はまだ淑女には程遠いですね。お菓子をもらって喜んでいるようでは」


 くすくす笑ってアンが「上等なお茶を入れましょうね」と言った。空気がふわっとやわらかくなった。


「それでガーラント様は素敵なお方だったんですね?」


 アンに話を聞いた侍女たちがそわそわしながら話を聞きに来る。なんて言っていいのかわからない。

 えーと、えーと。


「社交界の『アイスプリンス』ですって。銀髪にアイスブルーの瞳で、湖と森に囲まれたお城にお住いなの」


 きゃあっという声が上がる。⋯⋯確かにそれだけ聞いたらうっとりしちゃうに違いない。

 問題は? ――新名は意地悪だ。

 問題は、多分、あの親子。父親と正妃、その息子。癖が強すぎる。上手くやっていく自信がない。


 その上、領地の経営状態が不安定となると⋯⋯。

 ガーラント様と力を合わせて乗り越えれば、と頭の中で声がする。そうなのかもしれない。でもまだわたしはその答えを出せずにいる。


 ◇


 お父様に呼ばれて執務室に行く。ほかには誰もいない。お父様付きの侍女ミーナがお茶とお菓子を持ってくる。

 お父様はミーナに下がるよう、言った。人払いをしているようだ。


「で、ウェーザーとライオネス、どちらが気に入ったのかな?」

「⋯⋯いきなりなんですね」

「どちらが居心地が良かったのかと聞いている」


 ここはなんて答えればスルーできるかしら、と考える。無難な答えを探している。


「ニィナ、留守にしている間に手紙が届いた」

「ロシナンテはなにも言ってませんでしたけど」

「公にできないので預かっていたんだ」


 すっと差し出された手紙には王家の紋章が入っていた。目眩がする。今回はプライベートな手紙ではないということ? あの、少し青い薔薇の香りを思い出す。まだ熟さない甘い香り。


「薔薇の花をいただいたというのは聞いていたが、殿下はお前に本気なのかな?」

「いえ、それはどうでしょう⋯⋯。殿下はユーモアがお好きのようですし。第一、わたしなんかでは」

「そうとも言えない。我が伯爵家は爵位の問題から言えば殿下に嫁いでもなにも問題はない。歳の頃も二十二。まだお若いがお前との歳の差を考えたら丁度いいと思うが」


 満足気ににこにこしながら温厚なお父様はそう仰った。確かに王宮に入れば我が領地も安泰だろう。どこよりも条件の良い縁談だ。


「でも、レイモンド様は公爵令嬢とご婚約を」

「うむ。だが正式なものではない。口約束のようなものだ。あれでなかなか公爵は政治がお上手だからな」


 お父様も他人の批評なんかしてないで、政治にもっと興味を持って! 領地を他人任せにしてはダメなのよ。


「なんだ。なにか言いたいことでも?」


 ぐっと声が喉の奥に詰まる。わたしの学んでいることはまだ理論的なことで、実践的ではない。でも、もしかしたら今なら⋯⋯。


「あの、お父様。出すぎたことだとは思うのですが」

「言ってみなさい」

「あの⋯⋯お母様がデビュタントに向けてドレスを仕立ててくださることになって、わたしも何枚も試着したんですけど」

「ああ、デビュタントの件ならなにも心配はいらない。ウェーザーとライオネスから援助の申し出が出ている。お前は恵まれた娘だな」

「いえ、それで、あの⋯⋯」


 ヒューズ様が迷うわたしの背中を、大きな手で後ろからドンと押した気がした。気持ちが前のめりになる。


「わたし、ドレス代はおいくらなのかしらって不思議に思って、請求書を何枚か見せていただいたんです。そうしたら――」


 お父様はわたしがなにを言いたいのかさっぱりわからないという顔をした。それはそうだろう。ある意味、前代未聞だ。

 普通のお嬢様はお金のことなど一ミリも気にせず、毎日を楽しく、豪奢に暮らしているんだろうから。

 そしてそのうち政略結婚の相手に会わされて、なにも考えないまま、結婚してしまうんだわ。

「そしたら、請求書に誤りを見つけて。しかもそれが何枚も――」

 お父様は机の上に置かれた呼び鈴を鳴らした。

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