第19話 謁見

 翌日、侯爵に謁見するために支度を調える。

 なぜか城の侍女たちが盛り上がって、あれこれドレスやそれに合う装飾品を持って来ては並べてくれる。中に、菫色のアメジストを嵌め込んだ髪飾りを見つける。


「お目が高いですわね。そちらはガーラント様がお嬢様に似合うものを、と特別に作らせたものです。ですが、直接お渡しするのではなく、気に入ったようならお渡しするよう申しつかりました」


 ああ、どこまでロマンティックなんだろう?

 そうするとガーラント様のお母様と侯爵様の間にはやっぱりロマンティックな恋愛があったんだろうなと想像が膨らむ。

 それとも、侯爵が一方的に強い情を抱いていたのかしら?


 ――恋のことは相変わらずさっぱりわからない。恋愛小説も読む時間がぐっと減ってしまったし、それに⋯⋯本の外の世界に素敵な殿方がたくさん現れてしまった。それをどのようにしたらいいのか、わからない。

 やっぱりわたしはまだお子様だ。

 殿方たちはそんなわたしを真ん中に置いて、ふふっと笑っているに違いない。


 ◇


 さぁ、気持ちを切り替えないと。

 なにしろ婚約問題はわたしの抱える最も大きな問題だ。


 本城は湖水の向こう側、一段高いところに立っていた。防衛上の理由もあるのだろう。ぐるりと掘りがめぐらされていて、城内に入るための橋が下ろされる。


 ガーラント様は憂鬱そうな顔をして、その光景を眺めていた。そうしてわたしに「なにを言われても本気に真正面から受け取ったりしなくて構いませんから」と言った。

 ふとその目が大きく開く。さっきまでの憂鬱が嘘のように消え去り、瞳が生き生きと輝いた。


「その髪飾り、お気に召しましたか?」

「ええ、瞳の色に合わせてくださったんですよね?」

「はい、城下で一番と言われる細工師に頼んだのです。簡単なデザイン図を渡してニィナ様の髪に挿した時に目立つものをと」

「ドレスもご用意くださって」

「それくらいは当然のことです」


 その日は部屋の装飾と同じく淡い水色のサラッと滑るような生地のドレスだった。胸元には美しいフリルと宝石が飾られ、裾には繊細なレースがあしらわれていた。お母様の用意するどのドレスより品良く、ガーラント様の美意識の高さが表れていた。


「お似合いですよ」

「⋯⋯ありがとうございます」

「いいえ、早くマイ・レディとお呼びできるといいのですが」


 馬車の中にいたアンはわたし以上に顔を赤らめていた。まるで今にも飛び上がりそうだった。


 もしここにロシナンテがいたら⋯⋯。「まだご婚約は決まっておりませんから」とかなんとかお堅いことを言ったかもしれない。

 元気かしら? 思い出すと急に寂しくなる。昨日、森の中で別れたばかりなのに。


「なにをお考えですか?」

「いえ、侯爵様はどのようなお方なのかと」

「頑固で常に自分の利益しか考えていない人ですよ」


 また、ガーラント様の顔が険しくなった。

 そんな顔をしてほしくないのに。


 ◇


「オースティンの令嬢が大した美貌の持ち主であるとは聞き及んでいたが、まさかここまでとは。確かにどこにでも嫁がせられますな」


 謁見室の壁が震えそうな大きな声でウェーザー侯はそう仰った。大きなお声の通り、がっしりした身体をなさっている。その武勲は周囲に鳴り響くもので、ガーラント様が細身なのはお母様に似ていらっしゃるんだろう。


 本妻でいらっしゃるアデレード様は扇で顔を隠したまま、こちらを見ようともしない。ただそこにいるだけ、と言うのが正しく思えた。


「いかがですかな? ここは」

「はい、わたしは世の中をよく知らないものですが、湖と森に囲まれたとても美しいところだと感銘を受けております。また、どこまでも広がる麦畑には圧巻されました。風にそよぐ穂波が、今年の実りを約束してくれているように見えました」

「ほう。見た目だけじゃなく聡明なお方ですな。聞いていたのとは少し違うようだ」


 ドキっとする。

 でも新名がわたしの中にいることは、わたしと新名しか知らないことだし、怯える必要はない。伯爵令嬢として、堂々としていればいい。


「そんなことございません。まだ子供です」

「ああ、デビュタントがもうすぐという話でしたな。なんでもライオネスが資金を出すとか。もちろんうちからもお出ししよう。ライオネスと同じ条件で、婚約が不成立でも返済義務はなしでいい」

「そういうことはわたしには難しいので、父を通してお話ください」


 それもそうですな、と暗い茶色のあごひげを手で撫でた。


 体格もそうだけれど、それだけじゃなく、髪も瞳の色もガーラント様とはまるで違った。その髪もひげもほとんど黒に近く、真っ黒な目は、わたしを見透かすように暗く光っていた。

 そして、立派な玉座と大きなルビーの入った立派な冠を被っていた。あれこそが侯爵自身の象徴なんだろう。


「そう言えばかの有名な御仁は今日はご一緒じゃないのか」

「有名な御仁とは?」


 ウェーザー侯はにやにやしながらヒゲを触った。肘掛けに手を置いて、斜めになった姿勢でわたしを見下ろす。


「ほら、例のロバですよ。一緒に来るのだとばかり。期待してたところだったに。我が領地には半獣はほとんどいないので珍しいものを見られる機会だと」

「失礼ながら、彼にはロシナンテという立派な名前があります。故あって家にまいりましたが、卑しい身分のものでもありません」


 とは言ったものの、わたしが一番ロシナンテのことがわからなかった。ロシナンテがどこから来たのか、その出身も、年齢さえ知らない。もしかしたらお父様が慈善の気持ちで拾ってきたのかもしれない。なにも、知らない。


「まぁなんでもいい。またこちらに来ることがあったら今度はぜひ見せてくれ。楽しみにしている」


 ははは、と大きな声でまた笑い、奥様は顔をしかめた。ガーラント様は顔を上げずにじっと押し黙っていた。


 ◇


「不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」

「いいえ、お気になさらないで」


 神経質な横顔を見せて、ガーラント様は歩いた。

 その向こう側の大きな窓ガラスからは今日もきらめく湖面が光っている。あの湖面にはたくさんのものが映ってきたんだろう。この国のいろいろな――。


「やあ、ガーラント」


 目の前に黒髪の背の高い青年が現れた。歳の頃はガーラントとほとんど変わらない。

 ガーラント様はわたしを庇うように一歩前に出た。


「なにか御用でしょうか、お兄様」

「ふん、お前に『お兄様』なんて呼ばれると虫唾が走るな。どうせ爵位を継げない僕を嘲笑ってろんだろう? その女はお前の母親のようにお前をきっとダメにするだろう。見目麗しいところが特に良くない。な、そうだろう?」


 ガーラント様が大きく一歩前に出た。怖くなってその袖を掴む。「いけません」と言葉にした。


「はは、女にたしなめられるとはな、さすが社交界のアイスプリンスだ。滑稽なあだ名だな」


 そこまで言うと気が済んだのか、エドモンド様は行ってしまった。外見だけで言うと、エドモンド様の方が余程後継者に相応しく見えた。あの父あってこの子あり、という意味で。

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