第18話 月光
ガーラント様のお母様はガーラント様生き写しの、銀髪に青い瞳を持った美しい人だったそうだ。
その方がどうして側室になったのかというと、生まれが貧しい男爵家だったからだと。つまりわたしと同じく、お金のために嫁ぐことになったわけだ。
「そういう訳で、実は私はニィナ様との婚約に、始めは気乗りがしなかったのです。
父上は『伯爵』という爵位が欲しかったようですが、ニィナ様にはお兄様がいらっしゃる。
けれども父上はそれさえ蹴落とせば爵位を手に入れられると思っているようで⋯⋯申し訳ありません、心の貧しい人で」
「確かに爵位はわたしのおまけで付いてきたりはしませんが、お父様をそのように仰らないでください。胸を張っていらして」
ガーラント様は一瞬わたしを見て、またそっぽを向いてしまった。
「父上は母を深く愛していたようです。本妻がありながら母を愛した結果、母は身体を壊しました⋯⋯。毎日飲むお茶に、薬が入っていたそうで、気づいた時には手の施しようがなく、また巧妙な手口で犯人も捕まらず。多分、母の侍女のひとりにお金を握らせていたのでしょう」
「そんな!」
「ですから、父上は私を本城から離すことにしました。北と西は山に囲まれていて、魔獣や強盗団、そして他国との小競り合いも多い。
南はご存知の通りライオネス領です。あの方は非常に賢く、こちらを攻めなくてもいい治世を行っています。なので我が領地も軍を置いていません。
美しい土地だったのではないですか? 街も人も海も」
「ヒューズ様は確かにすごい方ですね。横に長い領地のどこを取っても、恐らく同じように素晴らしいんじゃないかと思います。攻められやすい土地柄にありながら、交易を巧みに使って戦争を避けていらっしゃるんですもの」
物思いに沈んでいたガーラント様の顔が上がって、ハッとした顔でわたしを見た。唐突だったのでとても驚いてしまった。顔が赤くなる。
「な、なにかおかしなことを⋯⋯」
「いいえ、前回お会いした時に比べて非常に世情にお詳しくなったと思いまして」
そう思われても仕方ない。なんとか誤魔化そうと理由を考える。
「ええ、わたし、ガーラント様にあの日、歴史についてのお話うかがってから領地経営について、真面目に学ぶことにしたんです。
だって、どちらに嫁ぐにしても必要なことですし、勉強を始めるのに早すぎるということはないですよね?」
「あなたには驚かされます。それにしても大変お勉強なさったようですね。私も負けていられないなぁ」
すらすら嘘をついてしまって真っ直ぐに顔を見るには気が引ける。扇子を顔の前に持ってくる。
二杯目のお茶を、アンが運んできた。
「まぁそういう訳で、この城にやって来たのです。オースティンとは多少の小競り合いはあっても、それ以外の大きな問題はない土地柄ですから」
わたしにとってはその『小競り合い』自体が怖いものだった。その度に人が死ぬに違いない。けれどもそれを小さいこととするくらい、この国は常に危険に満ちている。
「孤児となったわたしを父上は愛してくださる。先に男子を産んだ正妃とその息子、私の兄上以上にかわいがってくださる。お気持ちはうれしいのですが、それはやはり公平ではないですよね」
瞳が湖水がさざ波を立てるように震えていた。
ガーラント様は爵位を継ぐことに前向きではないということだ。
わたしにとってそれは重要事項ではないけれど、ガーラント様にとっては大きな問題で。深く寄り添ってさしあげられないことが少し悲しい。
「ニィナ様のように可憐な方に、後継者争いに巻き込まれていただきたくないのです。もし私の元へいらっしゃってくださったら、もちろん全力でお守りします。けれども、母のようなこともある」
「その時はガーラント様にすべてお任せしますわ」
素直な気持ちだった。
もし、命を狙われるようなことになっても、この人を愛そうと決めたら、わたしは盾となってくださる方を無条件に信じようと。
「恥ずかしながら、剣技にもそれ程優れていないのです。練習は欠かさないのですが⋯⋯」
扇子を下ろして、とびきりの笑顔を見せる。
常に背中から襲われるかもしれない危険に脅かされている人に、安心をひとときでも与えたい。
多分、それが姫としての在り方のひとつだ。
「それより、お約束だったではないですか。バイオリン、今日こそお聴かせくださいね」
そんなに期待されても、とガーラント様は照れた顔をした。最初は表情の乏しい、美しいけれど氷のような方かと思っていたけれど、本当はこんなに表情豊かな人だったなんて。
人は知ってみないとわからないことが多すぎる。
◇
「ニィナ様、起きていらっしゃいますか?」
寝ようと思いベッドに入ったところだった。深夜の訪問に驚く。もうアンも下がってしまっているし、こんな夜中に殿方に会うことを躊躇う。
でも、突っぱねることもできず、スリッパを履いて扉に向かった。
わたしの与えられた部屋は白を貴重に、全体を水色で飾った清楚な部屋だった。家具に宝石がはめ込まれていたりせず、安心した。
白い扉を少しだけ開く。
「どうかなさいましたか?」
「申し訳ありません。お休みでしたか?」
「いいえ、そろそろ休もうかと⋯⋯」
寝る前にここの歴史についての本を再読していたところだった。本は枕の下にある。
彼はわたしの腰に手を回し、するっと部屋に入ってきた。回された手の力が思ったより強く、大きく身をよじらないと抜け出せなさそうだ。
本意を確かめようと顔を上げると、そこには強い眼差しがあった。さっき、バイオリンを弾いてくださった時のような、自信に満ちた光を宿していた。
月明かりだけが部屋を照らす。
星たちはその眩しさに恥じらうように瞬きしていた。銀色の髪が光を反射して流れる。
「ニィナ様⋯⋯」
彼の手が、わたしの頬に⋯⋯。その親指は頬から唇に滑り落ちる。
「うわっ」とわたしも新名も心の中で反応する。どうしよう、と聞くと新名は訳がわからない、と答えた。
そっと頬に触れられ、腰に回した腕を解かれた。
「やわらかな唇ですね。かわいらしく聡明なお方だ。こんなやり方はフェアではないとわかっておりますが⋯⋯」
すっと一歩下がって跪くと、静かに、そして芯の強い声でこう言った。
「お慕いしております。薔薇のつぼみが少しずつ開くように、いつかあなたは誰よりも大輪の花を咲かせるでしょう。あなたが毎晩、安心して眠れるようお守りすると誓いましょう。
どうぞ、私を選んでください。返事はすぐとは申しませんので」
うわぁ、こんなこと、小説でしか起きないと思ってた! 想定外のことに頭がパンクしそうになる。小さな想像がそれぞれ入り交じって、なにもかもよくわからなくなる。
――手の甲にされた口付けは、今日は意味が違うんだ。誠実で、真っ直ぐな瞳。
「やたらに触れたら壊れてしまいそうに繊細だ。今宵は大人しく退室するとしましょう。⋯⋯ですから殿方には気をつけなくてはいけませんよ。バルコニーではなくても」
ふふっと微笑んで、颯爽と扉から出ていってしまわれた。胸の鼓動はまだ速い。
だって、政略結婚ていうのは形だけのもので、まさかこんなにロマンティックなことが待っているなんて思ってもみなかった――。
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