第17話 湖水と城

 心地よい陽気に気持ちも明るくなる。

 木々は目に眩しく青々と枝を伸ばし、そよかぜがたわいもない草花をそっと揺らす。

 眼下には一面の麦畑。穂波が風にそよぐ。


 馬車は間もなくガーラント様のお城に到着する。侯爵のお住いになる居城は更に先にあるということだ。

 遠くに見える石組みの城壁。どうやらあれがガーラント様のお城らしい。確かに馬を走らせれば我が領地までそれ程時間がかからない。わたしが馬車に乗っていた時間もピクニック程度だった。


 ◇


 城壁の外に人影が見える。こちらに向かってくる馬上の人は、久しぶりにお会いするガーラント様だった。馬を走らせたりはせず、こちらにゆっくり近づいていらっしゃった。


「城でじっとお待ちするのが難しくなりまして。こんなことは普段ならしないのです。お客様をお迎えするよう、城主たるもの、しっかり準備をしてお待ちせねばなりませんから」


 美しい横顔が流れるような銀髪の隙間からのぞく。白い頬が、僅かに朱に染まっている。見間違いでなければ。


「ご機嫌よう、ガーラント様。この間お会いしてから、お時間が開きましたものね」

「ご令嬢、それ以上仰らないでください。私が子供のようではありませんか」

「申し訳ありません。お会いできてうれしいですわ」


 とりあえず、城へと誘われて馬車はまた走り出す。白馬に導かれて。


 まっ白い石で築かれたように見えた城門は、眼前に来ると硬い石組の、実践的なものだとわかる。ここは、戦を想定した城なんだ。


「無骨な城ではございますが、中はご令嬢のお気に召すよう、準備してお待ちしておりました」


 この間は気がつかなかった。

 華奢なその指は、よく見ると表面は硬く、この人も剣技を習得した方だということがよくわかる。馬車から降りる時に手を出されて、ふとそんなことを考えてしまい、テンポが遅れてしまった。


「あ、申し訳ありません。無骨なのは私の手ですね。お恥ずかしい」


 あちこちに傷がある。新しくできたものだけではない。訓練は激しかったのかもしれない。


「傷は殿方にとっての勲章だとうかがいましたわ」


 微笑む。

 ここへ来る前にアダムスに教えてもらったのは、本に記載されるほどではない小競り合いが二つの領地の間で度々起きているということだった。

 領地を出る前にも、確かに騎士の常駐する砦があった。つまり二国間はそういう関係なんだ。


「このような手で申し訳ありませんが、どうぞこのままエスコートをするお許しを」

「もちろんですわ。喜んで」


 重い扉を開けた大広間は青で統一され、よく見るとあちこちの生地に銀糸の刺繍が施されていた。ウェーザーを守護するグリフォンの紋章。


「ようこそ我が城へ。なにもないところですが、精一杯歓迎させていただきましょう」

「ふふ、こういう時には『フランクに』親しくお話いたしませんか?」


 ガーラント様の整ったお顔がキュッと一瞬締まった。提案が気に入らなかったのかもしれない。ライオネス流はやっぱりガーラント様にはお気に召さなかったのかもしれない。


「では失礼してニィナ様とお呼びしましょう。私のことも同様に」

「それではガーラント様、数日ですがよろしくお願いします」


 ドレスを指先で摘んで、正式なお辞儀をした。


 ◇


 そこからは怒涛のようなおもてなしだった。

 アンは隅に追いやられ、まるでなにもせずに座っていろと言われているかのようだった。


「なにもすることがありませんの。せいぜいお茶のお代わりでも汲ませてくださいね。こちらの侍女たちはお嬢様に夢中ですわ」


 青い長椅子にゆったり座って、お茶をいただく。

 窓の外にはきらきら陽の光を照り返す湖面と、その奥には森林地帯も見えた。


 ウェーザー侯爵領にはこれといった資源もなく、森を開墾して畑を作り、農作物を新しい資源にした。

 でも、農作物の出来はその年の天候次第。よって隣国との農作物の交易は毎年、その値を変えなければ損をする年が出てしまう。その交渉は時に決裂して、それを理由に隣国との小競り合いが時々起こるわけだ。


 だからウェーザー侯はわたしを迎えたい。

 僅かな投資でオースティンの安定した資源を平和的に交易して手に入れたいんだろう。


「失礼」


 ノックと共にガーラント様が部屋にやってきた。女性の部屋になど入らなさそうに見えたけれど、そんなに堅物ではなかったようだ。さっと部屋に入るとすっと椅子に座った。


「どうですか、この部屋からの眺めは」

「とても素敵です。来る途中に見た麦畑も美しかったですが、森に抱かれるような湖はおとぎ話の中の世界のようで」


 くすっとガーラント様はその端正な顔を一瞬崩した。そのお顔がチャーミングだった。


「おとぎ話、フェアリーテイルですね? 私も子供の頃は森の中のシダの下草の中にフェアリーサークルがあるんじゃないかって、よく探しに行きました」

「ガーラント様が?」

「ええ、意外でしたか?」


 わたしはうーんと考えた。ガーラント様の子供時代のことを。一体どんな男の子だったのかを。


「想像してみたんですけど、フェアリーサークルを探すガーラント様はわたしの中ではすんなり受け入れられたようです。きっと子供時代からたくさん本をお読みになったでしょうし」


 ああ、と彼は小さく相づちを打って、俯きがちにボソボソと語った。なんだか声だけじゃなく、ガーラント様自身が小さくなってしまったかのような錯覚に陥る。


「私の母は身体が弱くて、私と野外にピクニックに行ったりできない人でした。なので本を読んでもらうというのは母との少ない接点のひとつだったんですよ」

「まぁ······。失礼なことをお聞きしてしまって」

「いいんです。どうせニィナ様をお嫁に迎えるのであれば全部お話しなければいけないことですから」


 俯いた顔がパッと上がったと思うと、今度はわたしの目をじっと見つめた。まるで穴が空くかと思うくらい、深く。


「私は実は後継者の器ではないのです」

「どうしてそんな」

「迷いましたが、お話しておく方が良いでしょう。本城に行けばどうせいつものように父が大きな声で話すでしょうし」


 この繊細な方から横暴そうなお父上がいらっしゃるようには思えなかった。


「ニィナ様、私はこの家の二番目の息子なんです。つまりスムーズに継承権をもらったわけではないんです」

「ちょっとお話がわたしには難しいように」

「いえ、そう仰らずに最後まで聞いてください。それからわたしを裁定してくださって構わない。お願いします」


 洗練された動作が美しい人が、苦しげに顔を歪める。話を聞いてあげたら少しは楽になるということかしら? 懺悔なのか、それともただの一人語りなのか。


「私の母は実は側室なのです。⋯⋯正妃がいらっしゃるところに割り込んだということです」

「お母様のことをそんな風に仰らないで。それはガーラント様のせいではありませんし、お父上がお決めになったことです。ガーラント様が胸を痛める必要はないと思います」

「いや、問題は私が正妃の息子であるエドモンドを蹴落とすような形で第一後継者になってしまったということです」


 よく聞く話のようであったけど、身近な話になると複雑味を帯びてくる。

 少なくともガーラント様はこのことに深い後悔を抱いているようだし。わたしの中の新名もなにも言わずに話に聞き入っている。

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