第16話 招待状
マリアンヌと共にティータイムに誘われたけど「試着ばかりで疲れてしまったわ」と適当な理由をつけて部屋に戻ってしまった。お母様はドレスに夢中でわたしには無頓着だった。
ああ、本当にうんざり!
最初は物珍しさに喜んでいた新名も、鏡の中の自分を見飽きたようだった。数着目から声がしない。
新名は時折現れては消えていく。まるで幻聴のように。本当はわたしの頭がおかしくなってしまったんじゃないかと思う時がある。
でも、授業を受けている時、書面を見つめている時、自分の中の新名も共に見つめていると感じる。
おかしいかもしれない。でもわたしの中では事実だ。でなければただの着せ替え人形に過ぎなかったはずだから。
◇
その手紙は部屋に戻るとすぐ、ロシナンテが持ってきた。恭しい態度で持ってきたのを見ると、わたしにとって面白くない手紙に違いないと思う。気持ちが重くなる。
ありがとう、と手に取るといつもと同じ無表情でロシナンテは軽く頭を下げて戻った。
ロシナンテは最近、なんだか変わってしまった。以前は少しおどけたところのある楽しくて頼もしいお兄さんだったのに、今ではすっかり一家臣になってしまった。
それが当たり前のことなのかもしれない。それでも今までのわたしたちとはすっかり変わってしまったことが悲しくて、わたしは寂しくなる。
手紙を開こうとすると、ウェーザー侯爵家の封蝋があった。とすると、殿下のように親しげで個人的な文書ではないことがわかる。ついため息が出て、薄いペーパーナイフを重く感じる。
『オースティン侯爵令嬢』という文字がまず目に入る。やはりこれはガーラント様からの私信ではない。じゃあなんだろう、と頬杖をつきながら手紙を眺める。
――要するに、領地にご招待されたらしい。正式な招待状だ。つまりわたしひとりの判断で決められることではない。行けと言われれば行くし、行くなと言われれば留まるし。
ロシナンテを呼んでお父様に届けてもらう。
ウェーザー侯は、多分、わたしがライオネス領に行ったことを聞いたんだろう。その対抗心からお招きを受けたんじゃないかと思うと、領地の外に出られるというドキドキより、面倒な気持ちが勝る。
ヒューズ様はあんな人柄なので、緊張を感じることなく接することができる。わたしたちの間には『秘密』もできたし。
でも久しぶりにお会いするガーラント様にどんな顔をして会ったらいいのかわからない。まだ、お人柄を掴みきれていないし。なんだか腰が引ける。
「お嬢様、モテモテですわね。アンはとてもうれしいです。お仕えしているお嬢様が殿下からもお声がかかっているなんて、素晴らしいことですもの」
「そうね。分不相応ね」
髪をとかしながら鏡に映る自分を見る。
プラチナブロンドに青ざめた白い肌、冷たく澄んだ紫色の瞳。確かにヒューズ様の言う通り、不健康かもしれない。もっと滋養のつくものを食べた方がいいかもしれない。
⋯⋯悩みが深いからかな?
それとも慣れない勉強の時間が多すぎるのかもしれない。ううん、悩みが深い。
勉強が日々進むにつれて我が領地の経営の穴が目立ってくる。これじゃ蜘蛛の糸に吊られて生きているようなものだ。政治も経済も官僚に操られている。
お父様は領主としての仕事に興味がなく、仕方なく決済の印を押しているようなものだ。
このままじゃこの領地はわたしが嫁いだところで空いてしまった穴が塞がったりはしないだろう。
ちょっとしたお金が手に入っても、それはするりと官僚の懐に入る、ここはそんなところだ。
◇
「ニィナ、先程の手紙の件だがな」
「はい」
最近ではよく知った執務室に呼ばれてお父様から予想通りの話を切り出された。
「どうしたものかと思っている」
「なぜですか? ライオネスには躊躇いなく送り出してくださったじゃないですか」
「うん。今回はそなたが使者となるからな。
ただ私的に呼ばれるなら問題ないんだが、公式となれば領地間の問題だ。まぁ、お前がいたらないとは思っていないんだよ、実のところ。要は花嫁候補が見たいだけだろうし。しかし、どちらがどちらを招くかは問題だ」
「そうでしょうか?」
「うん、一応爵位も我が家が上であるし、望むのなら行かせないこともないが、あんな呼び出し状のような手紙ではなぁ」
言外に、あまりウェーザー侯と上手く行ってないんだなということを感じる。そう言えば二国間の取引は、ここ数年減少していく一途だった。
「でも、わたしは行ってみたいと思いますわ。もしかしたら自分が嫁ぐかもしれないところでしょう? 一生を捧げるかもしれない土地をこの目で見てきたいと思います」
「ふむ、お前は賢いな。⋯⋯もしかしたらウィルヘルムより賢いかもしれん。アイツはこの領地についてなんの興味も抱いていないし、妹の嫁ぎ先など知りもしないだろう。
――そうだな、立場やこれまでの経緯より、これからを考えるきっかけになるかもしれない。少し考えてみるか」
失礼します、とわたしが部屋を出る時、政務官のロジャー男爵が横を通り過ぎた。すれ違うわたしに礼節を尽くすこともなく目礼だけをして、いやらしい蛇のような目でわたしをちらりと見た。
◇
部屋で本の山を少しずつ崩していると、ロシナンテがやって来た。ティーポットの乗ったトレイを持っていた。アンにどうせなら、と頼まれたんだろう。
紅茶にはたくさん穫れた苺のジャムが添えられていた。そう言えば甘いものを食べるよう、言われたっけ。頭を使ったら甘いものを食べろって。
今頃、ヒューズ様はどの辺りにいらっしゃるのかしら? わたしの知らない、砂浜以外の部分の海はどんな風なのかしら? 知らないことばかりだわ。
それに比べてウェーザー侯爵領のことは、本当になにも知らない。西部にあるということ以外、なにも。本に書いてあるのは侯爵領の成り立ちと、功績ばかり。なにもわからないのと変わらない。
⋯⋯知らない土地に行くには勇気がいる。
「お嬢様、ガーラント様からのお招きには応じるのでしょう」
静かにお茶を飲んでいたロシナンテが話し始めた。
「そうね。お招きくださったのはどうもガーラント様ではなく、そのお父様に当たる侯爵様なの。領地間に関わることだから、お父様は慎重に考えたいそうよ」
「そうですか。⋯⋯先に申し上げておきますが、今回、私は領地の境までしかお送りすることができません」
「どうしてそんな意地悪を言うの?」
「意地悪もなにも、仕方のないことでございます。
こちらの領地では半獣が人と同じように生活できる権利を与えられております。これは、お嬢様のお父様のお決めになったことで、オースティンはいろいろな独自の技術を持つ半獣が根づいているところは強みになっているのではないでしょうか?
対して彼国では半獣は一歩たりとも脚を踏み入れることは許されません。ガーラント様が本心、私をどうお思いになっているか、ご覧になったでしょう?」
「ガーラント様のお城はうちの領地からすぐのところなのに」
ロシナンテはなにも映さないような暗い瞳でわたしを見た。
「近ければ近いほど、火種は遠ざけねばなりません。そのようなことを毎日、お勉強なさってるのではないのですか?」
――確かに。
歴史は語る。どうすればそうなるのかを。ガーラント様もそこに歴史を学ぶ意味があると仰っていた。
ガーラント様も、そのことを考えていらっしゃるのかもしれない⋯⋯。
複雑な事情が、わたしたちの間には横たわっているのかもしれない。
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