第15話 王宮に咲く花
薔薇の香りで目が覚める。
⋯⋯いつかのあの日のやり直し? 目覚めると真っ赤な薔薇で部屋が染まっているのかしら? 目を開けるのを面倒に思う。瞼が重い。
そうだ、昨日中立地帯で⋯⋯。
ガバッと身を起こした。
「お嬢様、おはようございます。今度は色違いでございますよ。わたくしたちも赤ではなくて安心しております」
テーブルの上に、美しい緑からピンクへと変化する花弁を持った薔薇が、積まれていた。
「まぁ」
「先程、届いたばかりなのです。どの花瓶に活けましょうか? とても可憐な花ですね。根元のグリーンから淡いピンク。年若いお嬢様にピッタリなお色ですわ」
ベッドから下りてスリッパを履く。テーブルに近づくにつれて、華やかな中に僅かに青い香りのする薔薇の山に近づいた。
わたしの庭にはない花だった。
でももし苗をいただけるなら、この花を庭中に咲かせたいと思うような素晴らしい薔薇だった。花弁を包むように咲く姿は清楚でもあった。
「こちらの封書が一緒に届けられました」
そこにはRという文字の封蝋があった。R⋯⋯?
『昨日は突然の事でさぞかし驚いただろう。僕もまさかまた君に会うことがあるとは思っていなかったから、あんな形で再会してとても驚いているよ。
始まりの日に踊れなかったワルツを今度は踊ろう。デビュタントで踊る順番に入れておいて。僕はワルツの練習をしておくから、君は今度は飲み過ぎないように。――R』
ボッと顔から火を噴きそうになる。恥ずかしいという気持ちだけが胸の内にどんどん重なっていく。
もしかして、あのパーティーの日から殿下はわたしのことを知っていて、声をかけてくださった? その疑念が頭の中でぐるぐる回る。
R――レイモンドのイニシャルだ。第一皇子に間違いない!
ドタドタとすごい足音で誰かが部屋にやって来る。扉が派手に開く。
「ニィナ! すごいじゃないの! 貴女、ライオネスに行って殿下を釣ってくるなんてどうやったの?」
お母様は至極、上機嫌だった。
すごいわ、を連発して薔薇を一輪手に取ると、その匂いを嗅いだ。
「王宮の温室にしかない薔薇よ。私も話に聞いたことしかないわ。まぁ、殿下がニィナに興味がおありだなんて。大変、招待状のリストに殿下のお名前の漏れがないか、確認しなくちゃいけないわね! もちろん、リストの一番上よ」
嵐のような勢いで、お母様は来た時と同じように靴音を響かせて戻って行った⋯⋯。
「まぁ、王宮にしかない薔薇ですって」
侍女たちはわっと盛り上がり、幾つもの花瓶を比べ始めた。尊いお方からの尊い贈り物を飾る器をどれにするのか。あれこれ楽しそうな声が上がる。
⋯⋯信じられない。
それがわたしの素直な感想だった。
王宮にしかない薔薇を、わざわざ個人用の封蝋を使って送ってくるなんて面白い方ね、と同時に思った。ちっとも身分が隠れてない。
特別に用意させた薄い菫色の便箋に文字を綴る。
『R様
昨日は大変お世話になりました。お陰で城まで無事に戻ることができました。
ご身分を存じなかったとは言え、度々失礼を重ねたこと、どうぞお許しください。ご親切にしていただいたひとつひとつ、忘れずにおります。
またたくさんの美しい薔薇の花をありがとうございました。とても良い香りが部屋に漂っています。可憐で貴重な花はわたしにはもったいなく思います。でも正直に申し上げますと、わたしのとても好みの花で夢心地でいます。
デビュタントの夜、ワルツのレッスンを怠らず楽しみにお待ちしています。足を踏んでしまってもお許しくださいますように。
今度は殿下の赤い瞳に惑わされず、赤いワインには気をつけようと思います。
N』
◇
その日からロシナンテは口をつぐんでいることが多くなった。有り体に言えば、不機嫌そうだった。お父様は心配して、ロシナンテに数日、休暇を与えると言った。ロシナンテは当たり前のようにそれを断った。
頼んでおいた領地経営のための先生は着けてくれた。
「アダムスと申します。王都のアカデミーで歴史と民族を研究しておりましたが、退いてもうどれくらいになるか。お嬢様のお役に立てるのであれば、幾らでもこの年寄りの知識をお貸ししましょう」
「リゲルです。王都で官僚をしておりましたが、地元に残した母が心配になりましてこちらに戻って職を丁度探していたところです。ご令嬢のお役に立てるかわかりませんが、一生懸命やらせていただきます」
このことについて、お父様とお母様はなにも言わなかった。むしろわたしが嫁ぎ先での領地経営をするための花嫁修業を始めたと思い、喜んだくらいだ。
アダムスの知識はこの世界をより良く理解するためにとても役に立ち、リゲルは王都の予算編成やその書面の作り方にも詳しく、この古風な執務室の書類を新しいものに一新できそうに思えた。
わたしはライオネス流に、二人にフランクに接することを勧めた。最初は遠慮がちだった二人とも、いつしか和やかに話ができるようになっていった。
それと共に、二人は惜しみなくわたしに知恵と知識を与えてくれた。そう、そしてわたしの中の新名も······。
よくよく帳簿を調べていくと誤魔化しは大量に見つかり、杜撰な領地経営をしてきたことが露見した。
でもわたしはすぐにはお父様に報告しなかった。今までなにも知らずにいた姫が、急に財政について財務長官を告発することになっても笑われるだけだと考えたから。
とにかく詳しく細かいところを調べて、なにが誤りで誤魔化しで、正しいものはなになのかを明らかにしようと思った。
ヒューズ様からはたまに手紙が送られてきた。手紙と一緒に、綺麗な貝殻が贈られることもあった。「元気か?」と書かれたその手紙の裏の意味がわかる。潮騒が聴こえるような気がする。
わたしが財政立て直しに苦労してるのではないかと心配しているのが、ひしひしと伝わってくる。とにかくじっとしてられない性分、というのがヒューズ様の口癖で、内政に外交、あちこちを忙しく走り回っているらしい。
機会を作ってそのうち会いに行く、というのがヒューズ様の婚約者候補への甘い囁きらしかった。その機会がいつになるのかはさっぱりわからず、わたしは笑うしかなかった。
◇
そうこうしているうちに、仕立て屋のマリアンヌは幾度か城を訪れ、わたしは採寸され、お母様は光沢ある美しい布を幾反も広げて比べていた。
「この布のスカートの部分いっぱいに花の刺繍を入れたらどうかしら? 上半身は宝石は控えめにして、装飾品の宝石を目立たせたらどうかと思うのだけど」
マリアンヌは「さすが奥様ですわ」と感嘆の声を上げた。書面を調べていてわかったことだけど、こうして下見に来た日にも法外な出張費が請求されていた。わたしはなにも言わず黙っていた。
お母様は第一皇子がパーティーに出席なさる誉れで胸がいっぱいのご様子で、わたしの意見なんて少しも聞いてくれそうになかった。なので美味しそうなケーキをいただきながらお茶をいただくことにした。アンが給仕してくれる。
「そう言えばお嬢様に手紙が届いているとほかの者が申しておりましたけど」
「あら、最近多いわね」
「お嬢様が魅力的だからですわ。今すぐお読みになりますか?」
「重要な手紙ならロシナンテがここに持ってこさせるわよ」
「確かにそうですね」
マリアンヌが帰ったら読もうと、彼女の働きぶりを少し離れたところからじっと見ていた。それに気づいたマリアンヌが声をかけてくる。
「やはりお嬢様も夫人と似てらっしゃるのかしら? お洋服に興味がおありですか? さっきから熱心にこちらを見ていらっしゃるでしょう?」
わたしは飲みかけのカップをソーサーに戻して彼女を見た。マリアンヌは流行のファッションで固めてるいるものの、年齢は誤魔化しようもない。
結局、お母様と歳が近いからセンスや話が似通っているんだろう。
⋯⋯わたしは本当のことを言うとお母様が苦手だった。その身に美しいものをまとえばまとうほど、無邪気に笑うお母様にいつしか反感を持つようになっていった。
自然、ドレスなども自分からマリアンヌに頼むこともなく、困ったことにお母様がずっと選ぶことになってしまった。まったくの逆効果だ。
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