第14話 襲撃、そして思わぬ貴人
「しっかりしろ! まだ誰も欠けてないんだ。我々だけでやれるはずだ!」
ヒューズ様のつけてくださった騎士ロナルドが、大きい声を上げ、士気を高める。「おー!」という声が上がる。⋯⋯よかった、みんなまだ生き残ってる。
行き帰りの道中も、海に行った時も、騎士たちはわたしにとても良くしてくれた。まるで自分の主君に対するように。そんなやさしい彼らを傷つけたくない。
剣と剣の交わる音に混ざって、ドカッとなにかがなにかを殴るような音が聞こえてくる。「なんだコイツ?」と言った賊が、次の瞬間、大きな声を上げて倒れる音がした。
「ロシナンテ様、剣を」
「うん」
「続け!」
いけない、と思いつつカーテンの隙間から外を見た。流血した賊は見ないことにして、ロシナンテの姿を探す。
ロシナンテ、ロシナンテ、⋯⋯。無事でいるわよね? 思いは祈りに変わり、一心にその姿を目に入れようと試みる。
ロシナンテは、剣を握っていた。初めて見る姿。
騎士たちに指示を出しながら、自分も剣を振るう。賊が後ろから襲いかかる! なんて卑劣な!
振り向いたところを、ロナルドがロシナンテの背中を守る。
「ロシナンテ様、馬車の近くを」
「申し訳ない」
「いえ、我々の仕事ですから」
賊の数が多いのかなかなか戦いは終わらない。アンがわたしに縋りついてかわいそうに泣いている。わたしのスカートに涙が滲む。
なんとか、なんとかならないんだろうか⋯⋯?
◇
「助太刀いたそう!」
明るい声で現れたその男性は、馬上から賊のひとりを倒した。
「助かります!」
「通りすがりゆえ、役に立つかはわからないぞ」
戦闘中であるにも関わらず、彼は声をかけた騎士に向かって笑った。金色の髪が陽の光を反射して輝く⋯⋯。逆光で顔は見えない。
ロシナンテは一歩下がった。
その男性の剣技は独特で、彼の操る剣は水が流れるように敵を翻弄した。わたしは武術に詳しくはないけれど、その人の腕前は他を凌ぐものであることはわかった。その人を中心に騎士たちは動く。的確な指示が飛ぶ。
――その時だった。
カーテンの隙間からわたしと彼の目が合う。忘れない、赤い眼⋯⋯。
「あ」と思うと戦闘中だというのに、彼はこちらを見て微笑んだ。まるで馬車の中にいるのがはじめからわたしだと知っていたかのように――。
「散れ!」
負けを意識したのか、賊はあちこちに背中を見せて逃げ始めた。何人かの騎士がそれを追いかけようとして、赤眼の男性に「今追いかけては分が悪いだろう」と言われた。
彼は悠々と歩いて馬車の扉を開き、わたしにお辞儀をした。胸の鼓動が大きすぎて、言葉が出てこない。目と目が合うと、人懐こい笑顔を見せて彼は話し始めた。
「令嬢、怪我は?」
「はい、お陰様で。あの⋯⋯助けていただき⋯⋯あの時も」
「はは、酔っていたので私のことはもうお忘れかと」
「いいえ、受けたご恩を忘れるわけにはいきません」
ロシナンテを始め、騎士たちも彼に礼節を表し、跪いて頭を下げた。
「みんな、頭を上げてくれ。僕はね、公爵領にたまたま来ていたんだけど、この辺は公爵領とオースティン、ライオネスの中立地帯だろう? 馬を走らせすぎてこんなところまで来てしまったらしい。決して護衛をまいてきたわけじゃないよ。そこでたまたまこの場に出くわしたわけだ。しかし」
彼はそこで言葉を切って、唇に人差し指を当てるジェスチャーをした。イタズラをした子供のような顔をして。
「僕がここにいたことは黙っていてほしい。バレてしまうといろいろまずいんだ。わかってもらえるかい?」
「殿下の仰せのままに」
ロシナンテが頭を下げたまま、そう言った! 『殿下』って⋯⋯。
「はは、君のことはよく聞いているよ、ロシナンテ。それじゃ僕の正体がバレてしまうじゃないか。今回は勘弁してくれ。――それからいつでも城に帰ってきてくれ」
「いいえ、卑しい四脚の私が王城に上がるわけにはまいりません」
殿下、と呼ばれた人物は小さくため息をついた。木漏れ日が彼に当たって、瞳の赤がいっそう際立って見える。ああ、あの人にまた会えるなんて夢みたい、と思ったけれど、やっぱり夢だった。
王城なんて夢のまた夢。その住人にもう一度会うことは叶わないだろう。
でも、もしも、二度あることが三度あるなら⋯⋯。
「ロシナンテ、無理を言って悪かった。君はそういう人だったな。とりあえず皆、無事でよかった。境界までは僕が送ろう。僕の護衛はずっと後ろからそのうち僕に追いつくだろうから心配しなくていい。
それからニィナ、とお呼びしていいかな? 次に会うのは君のデビュタントだろうか。招待を心待ちにしているよ。真っ赤な薔薇はもう浴びるほどもらっただろうから、なにか別のものを考えておこう」
口を開いた時に、彼は身を翻して馬を走らせた。馬車もそれに続く。
開いたままの唇からなにを言うべきだったのか、思い浮かばない。そう、まずはお礼の言葉を。それから再会できた喜びを。それから次の――次は本当にあるのかしら?
殿下にそれを期待する立場にわたしはいるのかしら?
馬車に戻ってきたロシナンテの左肩には切り傷があった。アンが「まぁ!」と言って応急処置を施す。ロシナンテは、なにも語らなかった。殿下のことも、王城のこともなにも。
それは聞いてはいけないことのように思えて、なにも言えない。「恐ろしかったですね」と、アンが一言呟いた。わたしは上の空で「そうね」と答えた。
領地の境まで来ると「では」と朗らかに手を振って殿下は後から来た護衛を伴って帰っていった。馬車の窓から見える範囲はあまりに狭くて、彼が本当にあの時のあの人なのか、混乱する。
あの人の赤い眼、赤い薔薇、目の前が真っ赤に染まる。小さくなる後ろ姿。見えなくなっていく……。
「お嬢様?」
「なんでもないわ、考え事をしてたの」
隣に座るアンが肩をさすってくれる。
「無理もないですわ、あんなに怖い思いをしたんですもの。お城までもう少しありますから、お休みになってください」
「そうなさった方がよろしいでしょう」
馬車に戻ってからロシナンテが初めて口を開いた。ロシナンテこそ、傷を負って憔悴しているように見えた。
「ええ、わかったわ。でもロシナンテもよく休んでね」
馬車の揺れが子守唄に聞こえることはなかったけれど、興奮と疲れでわたしの精神はすっかり疲れてしまっていたようだ。眠りの妖精はすぐそばまで来ていて、わたしを眠りに落としてしまった⋯⋯。
◇
翌朝、ヒューズ様から早馬で手紙が届いた。
昨日の襲撃の件について心配なさってくださってること、それから怖い目に遭ったことへの謝罪、助けに行けなかったことへの後悔が綴られていた。
あんなに普段は豪快で奔放なように見えて、誠実な方だ。
「手紙の用意を」
わたしは襲撃に遭っても誰一人犠牲にならなかったこと、騎士をつけてくださったことへのお礼、それからライオネス領で過ごした素晴らしい日々への感謝の気持ちを手紙にしたためた。そして、そこにお礼の印に菫の押し花で作った栞を入れた。
「アン、この手紙をなるべく早く、ヒューズ様の元へお願い」
「畏まりました。ヒューズ様には大変お世話になりましたものね」
「ええ、早くお礼を申し上げたいの」
心得たとばかりに、アンは手紙を大切そうに持って出て行った。
窓の外の景色はわたしを安心させる。ラベンダーが風にそよいで、次はラベンダーの栞を作ろうと思う。それでも疲れてしまって、足が動きそうにない。今日は無理をしないようにしようと決める。
コンコンコン、と聞き慣れたリズムのノックが部屋に響く。
「どうぞ」と言うと「失礼します」とロシナンテが顔を出した。
「まぁ! ゆっくり話をする機会は久しぶりね! ライオネスに行ってからなかなか時間が取れなかったもの。お茶を頼むから座ってちょうだい」
「いえ、その前に」
彼は跪いて、床につきそうなくらい頭を低く下げた。
「昨日はなんの成果も上げられず、挙句、貴人に助けられるなどお嬢様にお詫び申し上げることもできない失態」
「ちょっと待って。ロシナンテはわたしを守ろうと馬車から武器も持たずに出てくれたじゃない」
「しかし、やはり私の腕ではお嬢様をお守りすることができず⋯⋯」
わたしは自分もソファから下りてしゃがむと、ロシナンテの背に手をかけた。ロシナンテの体が小さく反応する。耳が、力を失う。
「ねぇ、それじゃわたしの『お兄様』じゃなくなっちゃうじゃない。二人きりの時くらい、『お兄様 』のように堂々としてくれなくちゃ」
「⋯⋯お嬢様、何度も申し上げておりますが、私にそんな資格などないのですよ」
「それはわたしが決めることだわ。いいこと、これからも一緒にいてちょうだい。武芸なんてどうでもいいわ。そばにいてくれることが肝心なんだから」
そう言うと彼は項垂れたまま、アンが戻ってくる足音が聞こえるまで動かなかった。アンは戻ると「ロシナンテ様、いらしてたんですね。すぐにお茶をお持ちします」ときびきび部屋を出て行った。
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