第13話 気の置けない友人

 その晩のディナーに、ルシアン様は姿を見せなかった。お屋敷がこの別邸の近くにあるので、ご挨拶にいらしたらしい。

 ディナーの間中、彼女が同じテーブルにいるような気がしてそわそわしてしまった。彼女に比べたら、わたしなんて本当に『小さな女の子』だ。


「今夜の食事は胃に合わなかったか?」

「いいえ、そんなことはありません」

「ヒューズ様、お嬢様は些か少食なのです」

「ふぅん、それは良くないな。ニィナはもう少しふっくらした方がいい。十六の娘にしては細すぎるだろう。オースティンでは滋養の高いものを食べないのか?」


 ヒューズ様はご機嫌だった。

 しかしロシナンテはそのジョークには笑えないようだった。


「あの、海の食べ物ばかりなので少し驚いてしまっただけです。貝などはわたしの領地では食べませんし」

「確かにそうだな。海鮮は鮮度が落ちると腐る。だからオースティンと交易のしようがない」


 欲しい物があったとしても、絶対交易できるわけではないというわけだ。確かに北部にある洞窟から掘り出す氷塊も、ライオネスに持ってくるのは難しい。たどり着くまでに溶けてしまうもの。


「なぁ、政治に興味を持つことはいいことだと確かに俺も言ったが、食事中までそれに取り憑かれているのは考えものだな。仕事はする時はするし、休む時にはしっかり休まなくちゃいけない。休むのもまた仕事の一部だ。確かに学び始め、気づき始めは楽しくてそれどころじゃないけどな」


「ヒューズ様も?」

「俺も始めは楽しくてな。世界がいっぺんに海の向こうまで広がった気がした。勉強すればなんでも手に入るような気にもなったよ」


 子供の頃のヒューズ様を思う。

 まだその頃にはお父様がいらっしゃっただろう。お父様の右腕になれるよう、きっと希望に満ちていたんだろう。そうしてよく勉強して、今のヒューズ様がいる。


 スタート地点に立ったばかりのわたしには、まだまだこれからだ。


「でもな、ニィナ。良かったら俺のところに来ないか? あのガーラントよりは俺の方が退屈させないと思うが。誰かと比較するなんて俺らしくないか。まぁ、あれだ。俺のところに来て、俺が留守の時にはここの経営を頼むよ。領民も喜ぶだろう」


「⋯⋯ヒューズ様」

「答えはすぐじゃなくていいよ。だがそれとは別に、デビュタントの準備は手伝わせてくれ。これは婚約とは別だ。もし婚約が成立しなくても、金を返せとは言わないから安心しろよ」


「ヒューズ様、それはこの場で話されることでは」

「固いことを言うなよ、ロシナンテ。オースティン家におもねるわけじゃない。ニィナがかわいいだけさ」


 顔が、みるみるうちに上気するのを感じる。

 すっかり忘れてた、というわけじゃなくて、甘えてた。婚約者候補というよりもまるで先生と弟子であるかのように。


 そうだ、わたしは嫁がなくちゃならない。でもその運命を変えるために自力で道を切り開こうと決めたんだ。

 こんなところで赤くなってる場合じゃないのに。


「正式な求婚っていうのはきっと、女の言うところのロマンティックなやつじゃなくちゃいけないんだろうな。なんてったって一生に一度だ。お前が年頃になるまでに計画することがたくさんありそうだな」


 大人の余裕だな、と思う。ともすれば政治的な話でもあるのに、まるで本当に恋の話のようにすり替えてしまう。……それに騙されてもいいなって思う時が来ることがあるのかしら?


 ――それとも、運命に抗うこともできずに両親の決めた人のところに嫁ぐこともあるのかしら?

 わたしの人生を、わたしのものにしておきたい。

 その小さな願いが叶うことはないんだろうか?


「うん、この白身魚のムニエルはレモンを搾るとずっと食べやすくなる。もうすぐここを立つんだろう? なんでも食っておけ。それから後は俺がオースティンに行って畏まった料理をマナーを守って食べるからさ」


 ぷっ、と食事の時間なのに吹き出してしまう。口元をナプキンで押さえて、わたしはくすくす笑った。


 紳士的なヒューズ様はどこか窮屈そうに見えた。本当の人柄がこんな人だったからだということを知った。そして、帰ってからもまた会えることをきっと楽しみに待ってしまうだろうということも。


「寂しくなります」

「そうか、それでいい。わざわざ遠路、会いに行く甲斐があるというものだ」

 とても真面目な目をして、そう仰った。


 ◇


「ロシナンテ、結婚相手ってどうやって決めるのかしらね」


 ライオネスからの馬車の中、わたしはその揺れに疲れて眠気に襲われていた。アンは少し寝ても構わないと言ったので、馬車の窓に寄りかかるように座っていた。


「私にはなんとも。旦那様のお考えはわかりかねますから」

「そうね。わたしもお父様の考えはよくわからないわ。でももし、公爵家に丁度いい方がいらっしゃったら、その方がどんな方でも嫁ぐことになったかもね。公爵家は爵位も上だし、潤っていられると評判だし、なにより第一王子様のお母様は公爵家の出ですもの⋯⋯」


 ゆらゆら、まだ波に揺られているようだ。貝殻を拾う。巻貝、二枚貝。手にいっぱい拾うと、代わりにヒューズ様が持ってくださった。

 貝殻はほかの荷物と一緒にどこかにしまってあるはず。引き潮の、不思議な感覚。


「お嬢様、ご結婚のことが気になるのは自然なことと思われますが、その前にまだデビュタントもございます。楽しいことを少しは考えてみてはいかがですか?」

「楽しいこと? うーん、じゃあ、帰ったらわたしの庭を散歩しましょう。ヒューズ様は素敵な方だけど、気の置けない友人ほど大切な人はいないってみんな、よく言うもの……」


「私の話ですか?」

「ほかに誰がいるのよ。わたしたち、まだ一緒よ」


 ◇


 城に帰ればライオネス領にいた時のようにはいかなくなる。刺激的な毎日は消え去り、何事も音を立てず暮らさなければならない。退屈、とは少し違う。やりたいことが見つかったから。

 でもやっぱり旅は疲れたし、少し眠ろう……。


 ◇


 お嬢様、とやさしく呼びかける声がする。聞き慣れた声の持ち主は、まったく見覚えのない青年だった。美しい流れるようなダークブラウンの髪をしている。心地よい風に吹かれて、彼の長めの前髪が揺れる。


 そんなに近いところから顔をのぞき込まないで。貴方の前髪が、わたしの額に触る。

 わたしたち、顔が近すぎる。このままだと⋯⋯?


「お嬢様」

「あ、はい、着いたんですね。自分で降りられます」


 目を覚ますとロシナンテの顔が間近にあり、飛び上がりそうになるほど驚いた。美しい髪の青年は夢の中の人物だったらしい。


「いえ、決して降りないでください。馬車のカーテンでは心許ないですがしっかり閉めて、中でいっそ丸まっていてください。私が声をかけるまで、扉は開けないで」


 キーンという金属同士がぶつかり合う音がする。怖い、あれは剣の音。怖い。背筋がゾッとする。『死ぬかもしれない』という思いが頭の中を駆け巡る。


「お嬢様、大丈夫です。ヒューズ様がつけてくださった護衛たちですから、腕は確かですよ。万が一の際には私がおります」


 ロシナンテはそのしっかりした五本の指先でわたしの手を握った。

 子供の頃からわたしが習い事をしてる時間にロシナンテが武術を学んでいたのは知っていたけど⋯⋯。


「うわぁ!」

「畜生!」


 普段は聞かない罵声が飛び交う。どうなるのかわからない。怖い⋯⋯。震える手をロシナンテは更に力を入れて握り返す。


「ロシナンテ様、コイツらプロです! どうなさいますか? 馬車を捨てますか?」

「いや、剣を」

「ロシナンテ、馬車を捨てて逃げましょう!」

「お嬢様を無事に城にお送りするのが私の役目です」


 すっと立ち上がると、ロシナンテは扉の向こうに消えていった。消えて⋯⋯。

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