第3話 政略結婚、殿方とのティータイム

 陽光が肌にやわらかい午後だった。

 さらりとした微風が肌に心地よく、前を歩くわたしの後ろから、アンがレースの日傘をさしてくれる。


「日焼けしてそばかすになるとそれはもう悲惨ですわ」


 日焼けしてそばかすのある働き者のアンは、真剣な目でそう言った。そばかすだってチャームポイントだわ、と言おうとしてやめる。

 本人が気にしていることを取り上げるのはどうかなと思う。


 わたしだって、みんながどんなに容姿を褒めてくれても自分の背の高さが気に入らない。だから背の高さに話が及ぶとなんだかイライラしてくる。


 そんなのって子供っぽいかもしれないけど、本人にしてみたらすごく切実な問題だ。だから、ヒールの高い靴を履いて上手に踊れるようになりたいと実は切に願っている。

 デビュタントはもうすぐなのに、ダンスの腕があがらない⋯⋯。


 ◇


 公爵夫人の庭ほどではない、ささやかな庭園のガゼボは初夏の庭に丁度いい影を落としていた。お誂え向きに赤い薔薇が咲いている。よく見るとテーブルにも赤い薔薇が飾られていた。


 ロシナンテはわたしの姿を認めると、それをその場にいた殿方たちに告げた。


 わたしは二人の顔を見ずに、マナー通りの挨拶をした。ドレスを指でつまみ、お辞儀をする。そこで顔を上げて、できるだけ上品に微笑んだ。


 ほら、わたしだってちゃんとできるでしょう、とロシナンテに言いたいところだけど我慢して目の前の二人の殿方を見る。


 ひとりはサラサラの銀髪を青い紐で束ねた線の細い男性だった。背は標準で、品良く、やさしいアイスブルーの瞳でわたしを真っ直ぐに見た。


 もうひとりは対象的で、燃えるような赤い髪とブラウンの瞳、よく日に焼けた肌、圧倒される体躯。射るような目でわたしを見た。


 ⋯⋯年上の殿方と正式にご挨拶するのは初めてで、ちょっと緊張する。唇の端が引きつるような、そんな感覚。


「お嬢様、向かって右の方が次期ウェーザー侯爵ガーラント様でいらっしゃいます」

「噂に高い姫君にこうして直接お会いできる機会をくださったことに感謝しております。どうぞよろしければお手に触れる機会を」


 え、と想定外の事態にロシナンテに目を送る。ロシナンテは目を伏せて、つまり、イエスと言えと合図を送ってきた。


「ガーラントと申します。以後、お見お知りおきを」


 わたしは薄い絹の手袋をはめていた。彼はその手を自分の手に取ると、そっと⋯⋯唇をつけた。

 それは今までのわたしなら絶叫するほど憧れていた光景だったのに、怖いという気持ちの方が先に立ってしまった。

 なぜなのか、わからない。


 ロシナンテを見ると「お次はライオネス伯爵ヒューズ様でございます」となんでもない顔をしてガーラント様が下がるようにそれとなく伝える。ガーラント様は紳士的にすっと後ろに下がった。


 前に出てきたライオネス伯は身体が大きく圧巻で、わたしは思わず目を見張ってしまった。我が家の守護騎士の中でも、彼に匹敵する体躯を持った者はいないだろう。


「お嬢様――ニィナ様とお呼びしましょう。俺はライオネス伯、ヒューズ。名前で呼んでもらって結構。美しいとは聞いていたが、まるで人形みたいですな。お会いできて光栄です」


 さっとしゃがんでわたしの手を取ると素早くキスをしてわたしをまた強く見た。まるで転がる太陽のような人だ。ライオネス伯は何事もなかったかのように下がった。


「お二方ともどうぞお席にお着き下さい。城の者に作らせましたささやかなお菓子です。今、熱いお茶を持たせましょう」


 ロシナンテがイスの背に手をかけてゆっくり後ろに引く。わたしはそこに座る。膝がガクガク言いそうだ。


 ⋯⋯怖い。


 わたしがきちんと座ったのを確認するとロシナンテはわたしのことを置き去りにするように下がってしまった。ひとりぼっちのような気持ちになる。


 目の前には真っ赤な薔薇がこぼれんばかりに飾られている。


 不意に、今思い出すことじゃないのに、あのワインを持ってきてくださった方の姿が頭に浮かぶ。


 ――あの人の、赤い瞳。そう、そのせいで赤い薔薇がすきだなんて嘘を言ってしまったんだ。

 初めて見た、赤い瞳。その奥に煌めきが見えなければ、知らず知らず惹かれることもなかったかもしれない。


 ……やだ、惹かれるなんて、とんでもない。たった一度お会いしただけなのに。

 わたしはこの与えられた二択の中で、結婚を決めなければいけない。


 ◇


 うちは傾きかけている。お母様は美しい物に目がなく、お父様はそれに寛容だった。


 お母様の装飾品から始まり、家の中のいたるものまで華美なもので揃えられた。今座っているイスにさえ、小さな宝石が埋め込まれている。


 ――たったそれだけのことでわたしの運命は決まってしまうんだ。


 俯いているとアンが寄ってきて「お嬢様、どちらをお召し上がりになりますか?」と尋ねられる。

 そのやさしさに気づかないわけではないけど、心の中では泣いてしまいたい気持ちだった。


 ◇


 政略結婚なんて珍しいものじゃない。

 中では子供の頃、或いは生まれる前から結婚相手が決まっている場合もある。

 しかもわたしには二択と言えども選択肢が与えられた。破格の待遇だ。


「すきな方を選ぶといい」とお父様はディナーの席で仰った。お母様もその言葉ににっこり微笑んだ。


 そして「ニィナはきっと天使のように美しい花嫁になるわね。それに相応しいドレスを仕立てなくちゃ。次にマリアンヌが来たら相談してみるわね。見た者が皆、驚くような誰よりも豪華なドレスにしなくちゃね」と仰った。


 その言葉に他意はない。美しいドレスを娘に着せたいと誰もが思うんだろう。

 でも、わたしはそのせいで身売りのごとくお嫁に行かなければいけなくなった。別にお下がりのドレスだってなんでもいいのに。


 悲しくなってシルバーを置くと、ロシナンテがさっとやって来て「どうなさいましたか?」と小声で囁いた。「食欲がないの」と答えると「本日のメインはお嬢様のおすきなローストビーフでございますよ」と言った。暗に「席を立ってはいけない」と含んだ言葉だった。


 わたしは仕方なく、ため息を小さくついてシルバーを握り直した。


 ◇


 お話をうかがってみると、ガーラント様は様々な学問に造詣が深く、またバイオリンの演奏が得意でいらっしゃることがわかった。と言っても鼻にかけるわけではなく、才能はなくても子供の頃から習わされてるだけなんですと仰った。


 すきな作曲家の話になると、急に人が変わったように雄弁になった。まるで今、楽器を演奏しているかのように。


 ヒューズ様の顔には「つまらない」と書いてあるようだった。

 ガーラント様は控え目で繊細な方だということがうかがえる。


 一方、ヒューズ様はお父様を亡くし、若いながらも当主として領地の運営に熱心だということを知った。

 ライオネス領には海があり、子供の頃はずっと船乗りになりたかったと少し恥ずかしそうに語った。

 そして領地の海はいかに雄大であるか、船がどれくらい立派であるか、いつかわたしにそれを見せたいと語った。


 見た目は身体の大きいちょっと怖い人だけども、人間味のある暖かい人柄だということがわかる。


 ガーラント様のウェーザー領は我がオースティン領の西にあり、今回の結婚で領地間の交易の自由化を求めている。

 ヒューズ様のライオネス領は我が領地の南にあり、北方に領地を持つことで中央にも近づき、また自分の領土にはない資源を求めている。


 どちらの方も、わたしと結婚することで得るものがあるわけだけれど、それ以上にわたしをよく思い、やさしくしてくださったのは事実で、それを素直に受け止められないのはわたしがまだ子供だからだろう。

 あの、やり過ぎと思える真っ赤な薔薇の花束がその象徴なんだ。


 ……お相手が決まれば、その方を第一と思うことができるのかしら?

 それが一番の不思議だった。

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