76話

「う、嘘でしょ……?! 惺夜くん早く逃げ――」


 つばきの首に何か掴まれる感触。

 龍康殿のゴツい手が彼女の首を潰そうとしていた。


 しばらくして、初老の声が落ち着く。

 不気味な笑みを浮かべながら、いつも通りよくわからない発言をする。


「ふう……。まさか、私に寄り添ってくる天使達がいるとは。いままでの行いが良かったからですね」


 まだ絶望は終わらない、終わらせない。龍康殿の言葉にはそう捉えるような雰囲気があった――。


 首を掴まれたつばきの死に悶えていた――。




 惺夜の記憶が失いつつある理由。それは、暴走天使カロルナに能力を分与したからだ。


 フィアナもそうだが、能力サナティオを奪略したり、分け与えたりすると、脳の海馬にダメージが起こる。


 それにより、記憶機能が低下、忘却しやすくなっていた。なので、能力を盗みとった彼女にも影響がでている。


 SFをつかって覚醒した司咲やつばきに、副作用はない。オリジナルの天使だからだ。


 だが、惺夜は違う。SFで洗脳されず目覚めた天使のうりょく。結果、脳に負担がかかり、デメリットが大きくなる。


 軽い記憶喪失の彼には、つばきたちの短い思い出が消えつつある――――。




 そして、いま危機的状況だ。ボスは倒されてないから。


「ふう……。まさか、私に寄り添ってくる天使達がいるとは。いままでの行いが良かったからですね」


「……単純に立ち直る体力があったからでしょう」

 つばきは絶望しながら言う。声が震えていた。


「お嬢さん、貴女は柊の魔力によって、洗脳されている。今から助けてあげますからね」


 龍康殿は能力を失いかけている彼女の首筋つかみ、締めようとする。


「なんて可哀想に……椿という首落とされる花をおとしめる為、柊の花は待っていたのでしょう。私はこの呪いの子を必ず始末しなければなりません」


「うぅ……私は違う! ちゃんと自分の意思で……」


「ダメだ! この少女は手遅れだ! 私が早く始末しないから……。助けられなくて本当に申し訳ありません……。全て私の責任だ!」


「さっきから変なこと言わないでよ! 惺夜くんは……惺夜くんは!」


「……そういえばさっき私が“クソガキども”と言いましたよね。あれは大変失礼な言い方でした。申し訳ありません。きっと貴女が幸せじゃなかったから、強い言葉を言ったのでしょう」

 龍康殿は少しずつ涙声になる。


「話の論点を、ズラさないで! 頭がこんがらがる!」


 少女は怒鳴りつけた、だが彼は言うことを聞かないで淡々と喋り出す。


「安心してください、このまま幸せにさせて、救って見せますね」


 どんどん力を入れて彼女の首をとぐろの巻いた蛇のように締め上げる。


(く、苦しい。も、もうダメかもしれない。最悪は自爆覚悟で――)


 つばきは持っていた爆弾で、彼女もろとも爆発するつもりだ。もうそれしかないからだ。

 そのとき、龍康殿の手の甲に銃弾が当たる。


 龍康殿が振り向くと、惺夜が一瞬のうちに銃をとり、それをスーツ姿の初老に向けて撃ったのだ。


「何から何までしゃくな子だな……」


 龍康殿は少年の方まで駆け寄り、そして泣きながら飛び膝蹴りをし、彼をボコボコにする。


「お前さえいなければ! こんなことにならなかった! 私との因縁をつけるわけにいかなかった!」


 スーツ姿の初老はどんどん泣き崩れる。そして喚きながら叫ぶ。


「うわぁぁぁん! なんでたった一人のかけがえのない家族を奪ったぁぁ! ふざけるなぁぁぁぁ! 死ね死ね死ね死ねぇ! 弟がいない日々なんて、私はそんなのいやだぁぁぁ!」


 駄々をこねる子供のように叫びつづけた。

 この光景はなんとも不気味だ。恐怖すら感じる。


 惺夜は何もできないまま、殴られる。

 鼻血も出てきたようだ、骨も少し折れているのだろう。


 「私の弟を返せー! 返せ返せ返せ! 心の奥底まで腐っている柊の子! やだやだやだやだやだやだ!」


 龍康殿は大粒の涙を流し出す。そして惺夜をとことん痛めつける。


「お前をボコボコにしても、可哀想だと思わない! 私の深く傷ついた心に比べたら、これは大したことないだろう!」


 その言葉に惺夜は返答した。


「……因縁。そのせいで俺は記憶を失い、西園寺さんを苦しめた。とりあえず関係ない人を巻き込まないでくれ」


 惺夜は淡々と言葉を吐いた。それに頭のおかしい初老はブチギレる。


「なんてわからないやつなんだァァァ! 関係ない人を痛めつけるのはお前自身なんだよ! 謝れ! 謝れ! 謝れ! 謝れ! そして弟に懺悔しろォォォ!」


「俺に懺悔という言葉は似合わない。逆にお前こそ似合うだろう」


「屁理屈を言うなぁァァァ! 永嗣えいじィ! 永嗣えいじに謝罪しろぉぉぉ! 伽耶というクソ女さえいなければ!」


 龍康殿の攻撃がヒートアップする。

 その様子に、彼女つばきはただ立ち止まったままだった。


(どうする? 今なら爆弾をセットできる……。だけどこのままじゃ惺夜くんが……)


 彼女は葛藤していた。

 今の状況じゃ惺夜を爆発に巻き込まれてしまう。

 そして、不発に終わる可能性だってある。悩みに悩んだ。


「惺夜くん……、ごめんなさい。私、自爆覚悟で行くわ」


 つばきはそう覚悟を決めるが、凪の言葉を思い出した。


「『死は救済なんかじゃない。死んでも何かなるわけでもない。自分から望んだ死は単なる自己満足な行為だ』」


 彼の顔が目に浮かぶ。とても真剣な表情だった。


「『死は救済じゃない――。自分から望む死はただの自己満足』……。天羽さんの言葉が浮かんだわ。私はここで死ぬわけにはいかない」


 つばきは考え方を改める。


「自爆するのは諦めたけど、今の状況でどうすれば……」


 少女が考えていると、屋上のドアから人影が見えた。

 それは惺夜の方に向かい、龍康殿の攻撃を止める。


「おいおい、結構お痛がすぎるんじゃないか?」


 人影の正体は“千木楽”だった。彼は惺夜を助けにきたのだ。


「これは、これは。元メンバーじゃないですか。先程は、生意気なことを言ってしまい、大変申し訳ありません。私は――」


 と、謝罪する前に千木楽は初老を容赦なく蹴り飛ばす。


「るっせぇぞ……。俺はいま機嫌が悪いんだ。平謝りするなよ。クズ野郎……」


 千木楽は両手がないまま、攻撃をする。

 なんとも器用に足技でテロリストのボスへ攻撃する。


「ち、千木楽さん! 助かりました」


「西園寺! ここは俺に任せて、お前は柊と共にここから逃げろ。俺からの指令だ!」

 彼は本気の目をしていた。


 つばきはその発言に驚く。


「?! 千木楽さん何を……!」


「……俺はもうボロボロだ。そんな奴がいても足手まといに決まっている。だから、ここでこいつと共に死ぬ」


 千木楽は一呼吸入れてから、

「だからお前らは逃げろ! はやく!」

 と急かすように叫んだ。


「わかったわ、ここは千木楽さんに任せるしかないわね。行きましょう、惺夜くん」


 つばきは記憶を失った惺夜を残った能力を使って一瞬で助ける。

 少年は拾った拳銃を肌身離さず持っていた。


 しかし、この能力も防御する力しか残ってない。

 もし、千木楽が負けていたら、もうなす術もない。SATの敗北だ。


 屋上の柵の近くに向かう、つばき達。


「はぁはぁ、ここまでくれば安心かもね」

「西園寺さん……、今からどうするつもりですか?」


「このまま屋上から飛び降りるの。大丈夫、落下ダメージはいま残っている能力で守るわ。そのぐらいの力は残っている」

 つばきはそう説明する。


「なるほど、それは嬉しいな」

 彼はそう言うが、内心嬉しくなさそうだ。


 つばきは、そんなことに気づかないで、喋り続ける。


「千木楽さんに悪いけど、私たちは自分の命を優先しましょう。自分から望んだ自己犠牲はただの自己満足……天羽さんが言っていた言葉を信じるわ」


「……ところで西園寺さん。何か隠しているものってない?」

 惺夜は質問し、彼女は解答に困る。


「……そんなもの持ってないわ。さぁ行きましょう」


 少女は嘘をつく。爆弾があることを知ったら彼は死を急ぐからだ。

 そう答えた後、惺夜は何思ったのか、つばきの身体を触る。


「な、何しているのよ! エッチ!」


 惺夜は散々彼女の身体を触り、隠していた爆弾を見つけた。


「やっぱり、隠し持っていたんですね。切り札を」

「?!! それを返して! あなたに使えるものじゃないよ!」


 彼は何を思ったのか、次の瞬間。

 つばきのことをお姫様抱っこで持ち上げて、屋上から落とそうとする。


「え?! なんで……! 惺夜くん!」


「俺の名前や西園寺さんの思い出は知らないが、ここが危ないことはわかった。だけど君が、何か不思議な力を持っていたことは、覚えている。だから君だけは逃げてほしい。生きていてほしい」


「だ、ダメよ! 惺夜くん! 私たちと共に生きましょう!」


 つばきは少年を呼び止めようとする。

 彼は聞く耳を持たなかった。


「自分から望んだ自己犠牲はただの自己満足……俺はそんなこと思わない。むしろ一生自己中でいい。君を助けられるなら」


「……いや! やめて! 離して!」

 じたばたと暴れる少女。


「安心してください、すぐ離しますから」


 ――――惺夜はつばきを下に投げるように、屋上から落とした。


「え? 惺夜くん……?」

「ありがとうございます。西園寺さん。あなたは俺の命の恩人だ」


 重力に従って、落ちていくつばき。どんどん下に向かう。


「惺夜くぅぅぅぅぅぅん! やめてぇぇぇぇぇぇ!」


 彼女は心の奥底から叫んだ。惺夜は聞こえないふりをしている。


(ダメよ、ダメよ、ダメよ! 惺夜くんは私と司咲くんと一緒にドーナツ屋へ行くのよ……!)

 つばきは約束を思い出していた。


 そして、つばきの目に映ったものは、何か言っている惺夜の姿。


 声は聞こえなかったが、彼の唇には「ナイスファイト」とえがいていた。


「惺夜くん! いかないで! 消えないで! 死んじゃいやァァァ!」


 もう彼の耳につばきの叫びは聞こえない。

 ただ龍康殿の方に向かう。

 正義の歩みを止めない。急いで彼を悪意を阻止するように走る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る