第16話

 おじさんはにこやかに笑ってみせた。彼の気持ちに感謝すると同時に、彼の淋しい心持ちが僕の気持ちにひっかかって揺れた。僕はおじさんを心の通わす数少ない人だと思っている。だがこれからは彼がどんどん不要になっていくと僕もおじさんも知っている。もしかしたら大学を卒業したら会わなくもなるかもしれない。携帯の番号は知っているが、彼に電話してもいつも繋がらなかった。彼にも都合というものがあるし、僕にもあるのだから深く問い詰めたりはしないが、生きるためには汚い仕事もたまに必要になってくるなどと言っていたことから推測すると、そんな哀しい立場にもついているのかもしれない。


 おじさんはそれからすぐに、じゃあ、それじゃあなと言って雪片付けを再開しだした。僕は一人のままもう一度空を仰いでみた。空は鈍い灰色の雲の隙間から広く青さが見えていた。青さの隙間から白い大きな光がのぞいた。空を仰ぐときは大抵感傷的になっているなと僕は思った。空の美しさで僕は美的な感動を生まれさせて気持ちを変えようとしているのかもしれない。それだけでは満足できないことは知っていても、その癖は止めることができないようだ。


 突然電話が鳴った。塔子からだった。僕は冷たくなった手でゆっくり受話のボタンを押した。


「もしもし」

「……ああ、良次くん? こんにちは」


 彼女の声は泣きからしたようなかすれた音調があって、不安定な精神状態でもあるようだった。重い沈黙が彼女の電話から発せられているようだった。その沈黙は少し長く、それからええと、と話していいかも躊躇した、ビクビクと怯えているかのような声がした。


「私、辛くて。なにが辛いか具体的には言えないんだけど、良次くんの声聞ければ落ち着くかなと思って電話したの。だるくてなにもできないし」


 彼女はゆっくりと話し、僕の態度を窺って、一言一言に注意し、まるで僕との恋人という関係性が違うものに変わりでもしたかのようだった。


「そう。生理か何かかな?」


「そういうのじゃない」


 彼女は苛立って僕が不謹慎なことを言いでもしたかのように声を荒げた。僕はたまに無神経になるときがあるようだ。怯えたり怒ったり情緒が安定していなかった。


「私、インターネットで自分の症状調べたし、先生からお薬も貰ってるんだけど、病名が分からないらしくて。でもやっぱり、病気みたいよね」


 彼女は最近精神的錯乱があったらしくあまり仕事にも没頭できていなかったし家で一人こもって休みがちだった。彼女は自分の最近の孤立した何も出来ない状況に落ち込んでいたし、人と会うのにもだるさと疲れを感じて億劫になり淋しさがあった。彼女のその沈んだ心や病を僕にはどうすることもできず、ただ一緒に居てやれればよかったなと後悔するだけが出来ることだった。今の僕は忙しく、彼女の話を聞いたり同じ部屋にいてやれることも満足にできそうになかったからもどかしかった。

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