第12話

 彼女の家の玄関前の雪は何度か頻繁に片付けられたようだった。シャベルで雪片付けをして引きずった鉄の赤い線が残っていた。深くは降っていなかったが、靴下をわずかに湿らせている。僕は呼び鈴を鳴らして挨拶をし、彼女の家へとあがった。もう何度も訪れていたので、僕はそれほど礼儀に気を使わずに入った。おばさんと塔子が出てきた。塔子におばさんへ挨拶しに来たと伝えたら、彼女は習慣のヨガをしに自分の部屋へと戻っていった。


 おばさんは、穏やかで心の平和を他人にもたらすような柔らかな微笑みを僕にして、客間として使っている畳の部屋に連れてきてくれた。上品で上流階級に居そうな人だったし、おばさんは過去に少しだけそれを経験しているらしい。しかしこの貧相な田舎では少数ではあるが近所で異端視するものもいて、そのうえ変人扱いされている兄の家族である僕が頻繁に出入りするので、周りでは少し大げさな話題になった頃もあったらしい。僕らはそんなことにちっとも気づかなかったし、気づいてもどうも思わなかっただろうが。


 おばさんは恒例の高級な和菓子を持ってきて、これを十三回忌にも出そうと思っていると言った。僕はいいですね、上品な甘さで、とわりかしお世辞でもなくそれを言った。


「京子はね」


 彼女は話の節目に唐突に京子について触れたことを言い、眉間にシワを寄せて、大きく丸い目を細くしかめ、四角い机の真ん中辺りを見据えた。温厚な彼女が一言呟いて顔色を大きく変えたので、僕は何事だろうと思い、身構えて聞いた。


 彼女は一旦言うのを躊躇し、僕の顔色をチラチラと窺い、どのように言ったらよいか言葉を選んで物事を選別して考えているように見えた。それはある程度不確かな事なのかもしれないと、まだ聞いていない物騒であろう物事についてそういう憶測を立てた。


「京子はね。これは絶対に確かということではないのだけど。塔子が京子にあなたが行方不明になったと冗談を言ったら外に飛び出してね、塔子がすぐにあなたを探しに行ったらしいの。私もあとを追いかけて探しに行ったのだけれどもね、私が見た時は京子は死んでいたの。……今だから言えることかもしれないと思って、言うのだけれども。私もあなたにこの事を黙り続けるのは重荷だし、悪いとは思うのだけれど……」


 彼女はそう言って涙ぐみ、嗚咽を漏らした。僕は目の前の彼女を見ていて胸の奥が少し痛むようにうずくのを感じた。おばさんがそのような事を長年抱いて誰にも話さなかったことと、僕の初恋相手の死の原因に塔子と僕が絡んでいることが、どうしようもなく、曲げられない事実として目の前に突きつけられたことが驚きと不安だった。そしてその驚きと不安は混ざり合って恐ろしいものとしてようやく僕の目の前にはっきりとした姿で現れて迫ってきたようだった。僕は動揺を抑えきれなくなり、帰ります、と呟いて家路についた。僕はその間過去のことを思い出そうとしていた。僕は何もおばさんの告白だけでふいに恐怖で動揺したわけではなかった。それは十三回忌の節目で思い出したことだった。塔子がふとした瞬間に言った話で、感情を不安な方向に持っていくほのめかしがあったからだった。


『雪を見るといつも悲しくなるってのはね、合言葉なんだ。それは良次くんがいつも雪を見ているときに悲しそうな顔をしていたからっていう理由でね。京子と私は雪を見ると良次くんと同じ気持ちだし、好きでいるよ、っていう合言葉なの。ほら、子供の頃の兄弟姉妹って基本的に親密じゃない? でも私達は親密すぎて、あの冬の日に川でケンカ腰になっちゃったのよ。合言葉を言わないから』


 彼女はそのような事を僕に意味ありげに伝えていた。僕がその言葉をはっきりと記憶しているのは、彼女の話の調子にはどこか意味深で、しっかりと何かを断言するようなものがあり、話もそれ以前の話題からはそれて不可解さがあったからだった。もしかして彼女は何か全く違う種類のことを言おうとし、それが伝わってくれればいいと僕に期待していたか、暗にその過去を知っているか試したのかもしれない。そんな風な悪い笑顔に取れなくもなかったから、僕はなにか意味があるのではないかと考え始めている。僕は塔子が珍しく僕の知らない京子との思い出について話をするから、彼女が合言葉について話したことは詳しく覚えている。


 塔子とおばさんの話を合わせつつ、僕は情緒不安定だからか不安を煽り立てる仮説を立ててしまった。


 京子と塔子の間には僕に対する恋愛の感情があった。極めて珍しいことに小学五年生の子が小学二年生の僕に恋をしていたらしい。だが姉妹はケンカもせず時間を分け合うようにして僕と遊んだ。京子は合言葉を言わないで僕に告白したいと言った。それが原因でケンカになり、京子は川に落ち、塔子は無視して川沿いを走って家へ帰った。


 だがしかし、これでも僕の推理は完璧ではなく、不安な感情があるからだと思ったし、まさかそれだけの些細な理由で京子が死んだとは思いたくなかった。なにせ、この考えだと僕のせいで京子は死んだようなものだったからこれらの結論が本当だったら悲しかったし怖かった。


 信じきることがなかなかできずに葛藤したまま、夜になった。スマホからショパンの夜想曲がアラームとして鳴った。僕はその曲を聴いた。静かな夜に考え事をするにはふさわしい曲だったが、僕が今一番したいことは考えることではなく、深い眠りに就くことだった。だが時計はまだ八時半を差したばかりだった。僕は明日の十三回忌でおばさんと塔子と顔を合わせれば物事は解決できるだろうかと考えていた。それは恐らくないだろうと知っていてもなお、考え続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る