第11話

 十二月三日の昼ごろ、僕は外で雪を降るのを見つめながら好きなミュージシャンが出す新しい音楽はどのようなものだったら素晴らしいだろうと想像していた。僕はそのように音楽が与える感覚の素晴らしさを考えるのが好きだった。いつも、存在しない理想の人物が与えるものと等しい種類の情感を抱き、想像していた作品の出来が以前の作品よりもある一定の程度劣っていたら買うのを止めることにしている。僕が好きなジャンルは広いものだが、気に入ったものはとにかく掘り下げる。そうなったら他には目をくれずに没頭する。


 昼食を食べた後のベッドで聴いていた音楽は、ショパンの夜想曲だった。僕はショパンが世界で一番のクラシック作曲家だと信じているし、その美しさは未来永劫語り継がれるものだと確信していて、その音楽性に陶酔し続けてきた。彼の曲を聴くといつも心地よく静かな気持ちになれたし、夜想曲では幻惑めいた色と光をかもしだす月がいつも頭の中に浮かんだ。僕は彼の音楽を一生聴き続けるだろうし、感受性が豊かで、一つの詩作でも読むような感情を生み出す彼の音楽は、僕をとりこにして抱きつき、永遠に離さないだろう。そして僕もその抱擁を愛し続けるだろう。


 僕はショパンの夜想曲を聴きながら、明日やってくる京子の命日のことを考えた。僕は十三回忌の儀式があるのを塔子から聞き、それに参加してもいいかも訊いていた。そのときはなんの気も無しに尋ねたのだが、僕は今になって運命の必然性とやらが現実に確立されているものだと感じた。去年の冬にアルバムを覗きこむという行為をしていなければ僕は塔子にも会えなかったし、京子の十三回忌にも行けなかったし、初恋の相手への想いが蘇ることもなかった。ただ漠然とした大学生二年生の焦りと怠惰が混じった一般的な生活があっただけで、生きているという普遍の事や死や自殺、人々を悩ます色々な病については考えも及ばなかっただろう。京子との人生ともう一度巡りあって繋がった図式はたしかにあり、それがまた僕の生活と意識と青年期の爆発的な感情を明らかに違うものに変化させていたのを自覚したし、彼女との繋がりに感謝もしていた。彼女という生命や存在というものが無かったら僕の大学生活は、客観的に僕の生活を見たらそれほど変わらないかもしれないが、内面の動きが明らかに違うものだったはずだ。少なくとも僕という存在は彼女がいたから出来上がっていたし、未熟ではあるが、僕の現在の思考そのものを創りあげていた。僕は墓参りに行って良かったと思ったし、三人で見たあの丘からの映像も未だに記憶に残り、京子を賛美する思い出として僕の中では強い象徴となっている。



 暇だったから僕はおばさんに会うことにした。塔子との話はあまり重視しないことにして、僕は十三回忌の事前の挨拶として、彼女らの家へとあがらせてもらおうと考えた。

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