第4話

 僕らは京子の墓前に行き、墓石を雑巾で磨き、線香をたいてお菓子をあげ、鐘を叩いた。僕が線香をあげて鐘を鳴らす順番になったとき、僕は空を仰いだ。彼女の墓石は木の枝の影になっていて木漏れ日が僕の目をちらちらと刺激した。彼女にごめん、と胸の中で念じて鐘を鳴らした。そして僕は二度と君を忘れない、と手を合わせて祈った。


 僕らはしばらく彼女の墓前で今までどうしていたか、昔はどのようなことをし、何を考えていたか、恋愛や学校はどうだったか、自分にとっての社会というものはどういうものだったものか、そういった事柄を話しだした。京子の墓前で楽しく話をしていると、僕にとっての生きた京子がいないことがもう一度強調されだした気がし、仲間の内に欠落ができ、それが今更ながら不思議なように感じられた。有り得ないと思った。そしてそれはあまり心地よいものではなかった。小さな子どもだった彼女の笑顔の像が目の前に浮かんで流れて、僕が今まで人並みの悪さをしてきたことの罪悪感が強くなった。それは僕が彼女の正義や思想などを基準にして生きて、それに反して成長したからに違いなかった。僕は彼女を信頼していたし、子供ながらに憧れや崇拝に似たものを抱いていたと思う。だからといって彼女に怯えてきたりもしなかった。僕は純粋に彼女の賢さや正しさに惹かれていたのだと思う。そしてその天秤のような正しい基準を失って、僕の人生における、正しさを信じる核のようなものが暴走し、人間に冷笑的になり、おべっかを使わざるを得ないような人生へと変化していった。僕にはそのように考えられた。彼女は僕の全てにおいて、基準だったのだ。


 塔子とおばさんと話をしているうちに、僕は昔の逸話のように感じられる少年時代を思い出していった。


 僕はいつも京子と一緒にいて、塔子がお守り役として僕らを監視していた。危険な所へ行かないように、他人に迷惑をかけないように、そうやって献身的と言っていいほどに友人との時間をさいて世話を焼いてくれていたのだそうだ。塔子の容姿は早熟だったため、頭の中でおばさんの姿と混ざり合って僕の中では整然としてこなかったが、塔子はそのような僕に一声笑っただけだった。もっとはっきりとした応答ができればよいのだが、塔子とおばさんの顔が似ていて判然としない気持ちは僕の中で不完全燃焼して残った。


 塔子は高校で恋愛した人と大学生の頃結婚し、共働きをし忙しくなり、夫に不倫されて離婚したのだそうだ。その話は恋愛の美しさとして語られて、離婚の傷跡については一言悲しかったとだけ、まるで大雨の中のほんの一滴のように僕らの話題の中に落ちていった。


 僕は京子へ別れを告げて、僕らはおばさんの家へと戻ることにした。塔子はモデルの仕事について話したがり、坂を下り終わるまで彼女は表情が薄いなりの楽しそうな様子は続いた。彼女は自分の仕事の話をした。僕はあまり彼女のモデルへの情熱の話をしっかりとは覚えていないが、自分という存在が活き活きと写真に焼き付けられることに喜びを感じるらしい。首都圏の方にも呼ばれたこともあるが、自分が満足できる所から離れるのも怖いし、お金も足りているし、出世などの野望も薄いのでこのままの状態が一番自分に適合している、と教えてくれた。



 僕は大きな松が七、八本ほど植えられている広い敷地内が見える縁側の部屋で、栗羊羹を人数分に均等になるように切り分けられる様子を見詰めていた。その羊羹は塔子が他の地方へ撮影に行った時に有名な菓子屋で買ったものらしく、かなり高級なそうなので味に期待していた。


 でももっと重要なことはもう少し前に起きていた。京子と一緒に遊んだ彼女の部屋を素通りした時に、小学生より前の幼少期に僕と京子がおママゴトをしたことまで思い出されたことだ。といってもそれは断片的で小学生の頃の思い出よりも鮮明ではなかった。


 そして何より、僕の人生で重要な基準である事柄は、もう京子ではなくなったように感じられた。京子は恐らく塔子か他のまだ見知らぬ女性との恋愛をすべきだと僕に言うだろう。僕に純粋な恋愛をしろと言うだろう。僕が冷徹な客観視すらできないほどに情熱的に相手を思いやれと僕の基準は命令するだろう。僕はそのようにする。京子との子供なりに思いやった恋愛よりも強く激しい恋愛をしたいと僕は願った。そのために僕はまず塔子と話すことに情熱を傾けようとした。

「塔子さんは、木星や水星とかあるうちの、まあ要するに惑星の中でどれが一番綺麗だと思いますか? ほら、この大きな本に載っていますよ」


 僕は本棚にあった宇宙の構造が写真となった大きな本を彼女の横に拡げてみせた。彼女は真っ青な海王星を指差し、僕の顔をちらりと見た。僕はその瞳に含まれた恥じらいにどう返答しようか一瞬迷って微笑んだ。彼女も微笑み返した。

「僕もその青い星がいいなって思いました」


 僕は冷静を装いつつ、羊羹を二又のフォークで突き刺して食べた。


「青い星って、綺麗な想像をかきたてられますよね。海とか空とかの、壮大で見ていて飽きないものを」


「そうですね。私も海が好きなのでこれを選んだんです」


「僕は海も空も好きだし、綺麗なものが好きです。でも、こうやって近づいた星もいいけど、夜空に光る星も綺麗でいいですよね」


「そうね。私もここに戻ってきて、よく夜の星を眺めるんです。こっちは綺麗でいいですね」


 僕らは羊羹を食べながら夜と星と海に関連することを語った。おばさんは僕らを見つつ、たまに言葉をいれるだけで、僕らの会話を聞くのを楽しんでいるようだった。おばさんは僕らが小さな頃のやんちゃな姿を、親としての親密な気持ちで思い出しているんだろうな、と僕はそう思った。

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