第3話

 歩いて墓に行く最中、僕は積極的に塔子に話しかけた。彼女と話したのは下心や恋愛への期待感からではなくなっていた。


 それに単純に僕は人と話すことが好きだ。誰に対しても友好的な存在でありたいのだ。

 ……僕というものの深みを覗くと、僕がどれだけ人間に対して怖がったり、同情したり、冷笑したりしているかの巨大で陰湿な正体が見えてくるかもしれなかった。それを見せないために言葉の巨大な壁を作り、おべんちゃらを使って笑わせるのだった。話術の熟練さから彼女の無表情はいとも容易く崩れ、お上品に手のひらを口で抑えながら声をあげて笑ってくれた。僕は満足だった。美人が僕の言葉で笑ってくれるのは幾度か見たことがあるが、彼女の脆く壊れそうな薄い氷のような儚い美しさは目を見張るものがあったし、一般人の中にはこれほどの美女はそうそういなかった。誰もが二度三度、もしくはそれ以上の回数振り向くような美しさだった。 



 僕はそのうち彼女にまた惹かれていくのを感じた。そして彼女には不思議と彼女の妹と同一視させる僕がはっきりと記憶している口調の言葉があった。

「雪が降るときはいつも悲しくなる」


 好きな季節を訊いた時に冬と答えた彼女の口から、その言葉がポッと出た。それは妹の京子がいつも口にしている言葉だった。雪が降るときに悲しくなる理由が妹が死んだからなのかは訊かなかった。僕は彼女の妹の死についてこの墓参りを理由に尋ねようか瞬間に考えたのだが、塔子は他の話題に移りたげにニコニコと僕の方を向いて楽しい話を期待していた。


「京子ちゃんっていつも明るい子だったね」

 坂をあがりつつ僕は言った。坂をあがれば墓はすぐそこだった。


「ええ。良次くんのことが大好きだったみたいで、いつもあなたのことを話していたのよ」



 僕は京子がそれほど美人でなかったことと母親と姉とを比較し、将来は美人になったのだろうかと思うと、僕に恋していた、美人ではないまま死んだ京子が少し不憫に感じられた。


 死んでいることで彼女の姉に恋をしている僕は恋愛を成就しやすくなり、京子と揉め事にならず、彼女の死が都合の良いものになった。その都合の良さに喜びを感じることが不謹慎に思われた。もちろん僕も京子が好きだったけれど、この年まで恋が続いた可能性は限りなく低いだろう。それでも人の死というものが他人の生の糧にされてしまっている気がして、その関係性が汚いものに感じられて嫌に思えてしまうのだ。友情とも恋とも判じられないその純粋な関係がけがれた気がして、僕は不愉快な感情を自分に対してどこからともなく突きつけられた気がした。しかし、恐らく本当はどこからも何も突きつけられてはいないのかもしれない。人と人との関係性から生まれる負の感情はいつだって自分の弱い部分から芽を出し、相手を知らなくて出来る無知や不安、憎悪で成長していくものだ。本当は僕だって分かっているのだ。京子との関係はどこもけがれてなどいない。けがれているように感じる錯覚なのだ。もちろん、その錯覚にいつまでもとらわれてしまうのが人間全般の弱いところなのだが。



 体の運動不足を実感しながら僕は丘の平らになった所を眺めた。青空が広がっていて、その空の透明度が目に眩しかった。その高い丘から見える緑色をした森林や、青黒く光る川を含んだ自然の景色は心の中をミントの香りを嗅ぐように爽快にさせてくれた。背後に墓があると思うと感じることに微小の背徳感はあったが、三人でその風景を眺められたことは、なにかしら尊い思い出になりうると僕には想像できた。冷静になって振り返ると、僕は小さい頃からこの二人と僕と京子で無邪気な遊びや多少の小さな冒険を共にし、その風景を共有し、たぎる感情をぶつけあったことを知っているのだ。そして僕は京子の死を忘れ、他の友人らが出来て、彼女らの気持ちと同じ種類の思い出をつくりあげたり、全力で競い合って仲間を蹴落としたりした。その間にもし京子の意思が存在したとするなら、僕は彼女が見咎めるようなことを沢山してきたのかもしれない。それを考えると、僕は彼女に謝るというか、もしくは彼女を責めるというか、いずれにせよ何かしらの明確な、自分が正しいと信じられるような感情で、京子の墓の前で、精一杯お祈りをすべきだと思った。それが彼女を忘れた僕の義務とはっきりと確信した。



「奥の方にあるわ。ほら、あそこの崖の近く」


 おばさんが線香やライター、ロウソクなどが入った小袋を手に先を歩いていく。僕と塔子は隣同士になって歩いた。僕は塔子の横顔を一瞬の観察で感情を読み取った。彼女は僕に懐かしい友情以上に色濃く強いものを感じ始めていたらしく、恋愛へ変化する寸前の異性への憧れを抱いているらしかった。でも僕はそれほど嬉しくなかった。彼女の表情からは心の痛みを知りすぎた人によく見られる、無感動になり、かつたまに心が不安定な動きをする悲しい傷みがあるとその時には分かっていた。彼女がどんな傷みをつけられ、彼女にどれほどの重い罪悪感があったかは知らないが、その無感動には恋愛よりも重要な、同種類の人間への同情を僕に起こした。彼女は羽虫の羽根くらいの薄い印象の微笑をしていた。僕は彼女が好意を持っていてくれていることは嬉しかったが、モデルほどの美女であり、妹の死を忘れて墓参りしている僕という存在が恥ずかしく思えた。もし塔子の恋人へと立場が発展したら、僕は僕自身を更に恥ずかしく思い、その恋が彼女の人生の汚点として残ってしまわないだろうかと考えていた。京子の死を忘れたことと、恋愛への欲求を満たすために友人の死を利用してしまったことが、生きていく上でのなにかしらの障害とまでになるのは避けたかった。もしくは苦しんだ方が僕の人格の成長となるだろうかと、自傷的な感情があったりした。

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