キャッチボール
晩ご飯を食べていると、ビールを飲みながらお父さんが訊いてきた。
「部活は最近どうなんだ?球拾い以外もやらせてもらえるか?」
「前から球拾い以外もやってるよ」
僕は伏し目がちにして、ご飯を口に運ぶ。
「じゃあポジションとかも決まるんじゃないかあ」
軽く酔っ払ったお父さんはいつもよりうるさい。いまは部活のことを話す気分じゃないから、独り言だとみなして夜ご飯をぱくぱく食べる。
「おーい、どうなんだ?」
そのまま無言を貫こうか迷ったけど、二回目も無視したらお父さんが怒りだすんじゃないかと、ちょっと怖くなって「しらないよ。まだ好きなところでノック受けてるもん」と返した。
「おにいちゃん、今日ずっと機嫌わるいんだよ」
横で食べていた妹がお父さんにチクった。
「どうした?部活で何かあったのか?」
ああ、めんどくさい。部活のことに口出ししてほしくない。
「別になにもないよ。それに機嫌は悪くない」
「ほんとうか?」
「うそだよー。だっておにいちゃん、今日ずっと口きかないんだよ」
「おーそうなのか」
「それにね、おにいちゃん、あたしが読んでたマンガうばうんだよ」
「あー駄目じゃないかあ」
ばかばかしいと思いながら、お父さんと妹で交わされる会話に煽られないよう、掻きこむように残りのご飯を食べた。
リビングで横になって漫画を読んでいたら、食べ終わったお父さんが声をかけてきた。
「キャッチボールでもするかあ?」
横にいる妹が「だめだよ、おにいちゃんマンガよんでるとき、はなしかけたら怒るんだよ」と助言する。
「いいよ、もう真っ暗だよ」
「ええーせっかくだからやろうじゃないか」
普段のお父さんはあまり何も言ってこないけど、酔っぱらったときはこうやってキャッチボールを誘ってくる。いつもならためらいなくやるんだけど、今日は身体が重くて床に寝そべっていたかった。そんな僕の気も知らずお父さんは
「明日休みだろう。自主練もやっといたほうがいいぞー」
としつこく勧めてくるから、しぶしぶ提案に乗るしかなかった。
外に出るとお父さんがグローブにボールを当てて、パンパンと音を鳴らしながら待っていた。腕をぐるぐるして「よーし」と僕にボールを投げた。
「お父さんこれJ号だよ。中学生用だからM号を使わないと」
「え?おーそうだったな。いっつも間違えるな」
小学生と中学生では使用する軟式ボールが違っていて、中学になるとM号というすこし大きなボールに変わる。お父さんとのキャッチボールは小学生の時から続けているから、そのときからの癖でいつもJ号のボールを持ってきてしまうみたいだ。
ボールをキャッチするパチンパチンとした音が、薄暗い夕暮れの団地にひびく。
「調子はどうだあ?三年生引退して寂しいだろう」
「みんな仲良くやってるからそんなことないよ」
「仲良くかあ?お父さんが中学生の時はみんなライバルだと思ってたなあ。誰が新チームのスタメンに入れるか、言葉にせずとも意識してたんだよなあ」
自分から仲良くやってるなんて口にしたことに、自分でも驚いた。
「監督に認めてもらいたくて必死で、練習なんて楽しくなかったなあ。それでも毎日やってたけどさ。ウォーミングアップ終わりにこうやってキャッチボールしてるときが、これからきつい練習が始まるんだなあって思うとつらくなるんだよ」
酔っぱらったお父さんの球がどんどんスピードを増した。
「それで毎日同じやつとやってるわけだけど、日によってずいぶん送球の質が違うんだよ。相手の球を受ければその日の心持ちっていうのかな、そういうのもわかってきてさ」
「……うん」
「ぱちーんときつい球投げてきたら嫌なことあってイラついてんのかなあとか、ふんわりと軽い球だったらリラックスしてるなあとか。いちどキャッチボール相手が練習前に監督にこっぴどく怒られたことがあってさ。その日はチーム全体がどんよりしてたんだけど、それでもみんな無理やり気力を奮い起こして頑張ってるわけ。だけど俺の相手だけはずっと落ち込んでて、外れた暴投みたいなのしか送ってこないんだよ。いい加減にしろよって俺が本気で投げたら、そいつ急に血相を変えたみたいに剛速球投げつけてきて、怖くなったんだよ」
「……そう」
「大人になってみればさ、誰かに何かを伝えるってのはキャッチボールと一緒だって気づくもんさ。きつい球を投げたら相手は受けるのが怖くなるし、ちゃんと相手のところに投げてあげないとキャッチできない。送られたボールの意思ってのが、ひしひしと手に伝わるんだ」
酔っぱらったお父さんは、心地よさそうに語りだした。
どうして怖くなったのかは説明してくれなかった。その気持ちはわかるような気もするし、よくわからないような気もする。そんな話をしながら僕に投げてくるボールは重たくて、キャッチする左手がほんのり痛かった。
小学生の時より大きくなった軟式ボールを、僕の小さい右手で握るにはまだ慣れない感じがする。変なふうに指が力んでしまって、ほんとはもっと上手くボールを包めるはずなんだと思う。だから僕の力の入れ方は間違ってるかもしれない。それでも大事にぎゅっと握りしめた球を、お父さんに投げ返す。
「お、いい球じゃないか」
どれくらい手が大きくなったら、楽にボールを持てるだろうか。力まずに握れたら、もっといい球を投げられるだろうか。
「変な球投げちゃっても、つぎはいいのを投げればいいんだ」
遠くのほうを見ながらお父さんはそう言った。
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