眺めた景色

日曜日の今日は部活が休みで、隣地区のお祭りがあり、昼間から家族で見物に行った。神社前の通りにたこやきや水あめなどの屋台がびっしりと並び、それらから吹きだす熱気と見物客の汗くささで頭がくらくらした。


「わたあめ食べたい!」


二軒先のわたあめ屋台を見つけた妹が、お父さんの手を引っ張って歩いていく。


「おー、急がなくても大丈夫だぞ」

「わたあめってね、鳥さんが空からくもを運んできたんだって。先生が言ってたの」

「へえ、それはしらなかったなあ」

「だからね、お店にあるうちに食べとかないと、鳥さんがまた空へ戻しちゃうんだって」


台の上には赤と黄と緑の三つのサンプルが置かれていた。どの色にするか訊かれて妹は「まっしろがいい!」と、着色していないそのままのものをもらっていた。

お母さんに「あなたは何色にするの」と促されたけど、となりの屋台で売っているアイスクリームのほうが気になって、どっちにしようか迷った。結局アイスのほうがいいとは言いづらくて、黄色いわたあめを買ってもらった。


屋台の並びを抜けて、左右に走る大通りへ出た。タンタカタンと調子よく鳴る民謡にあわせて、着物をまとった人たちが踊り進んでいる。さっきより道は広くなったけど、ずっとたくさんの見物客で埋め尽くされて、歩くのが大変だった。そしたらお母さんが「あら!こんにちは、いらっしゃってたのねえ」と誰かに挨拶するから振り向くと、いまちょうど山口の家族とすれ違うところだったことに気づいた。


「あ!こんにちは。今来たところでこんなに込み合って、びっくりですよ」

「私たちも掻き分けるようにして歩いて、やっとかっとなんですよお」


両親に隠れるようにして山口がいた。一瞬視線が合いそうになって、目を逸らした。このまま挨拶だけしてお別れかと思っていたら


「二人で遊んできたら?」


お母さんが勧めてきた。しかたなく山口のいるほうへ寄って、ふたりで顔を見合わせた。なにか言いたかったけど言葉が出なかった。お父さんとお母さんに「いってらっしゃい」と見送られて、僕と山口は一緒に歩きだした。


歩いているときも昨日のことがあったせいで、話しかける勇気が出なかった。山口もやっぱり気にかけているのか、ただ黙って後ろをついてくる。相談せずとも僕たちの行く場所というのは決まっていて、あそこしかなかった。


道路を埋め尽くす見物客たちのあいだをゆっくり抜けて、もう少しで鳥居をくぐる。さっきまであんなに人混みが煩わしくて仕方なかったのに、いまはもっと人がいてくれたらと思った。進めないくらいぎゅうぎゅうだったらよかったのに。


神社に着いたはいいものの、なにをすべきかわからず途方に暮れた。本殿のまわりをぐるぐると歩いて、いつもどうしてたっけと思いかえす。いや、いまはもっとやるべきことがあるんだ。でも……。


山口は本殿正面の石段に座り込んだまま地面を見つめている。僕は本殿裏の太いけやきのところへ行った。さわった幹の表面がいつもよりごつごつしていた。

しばらくして後ろから、かぼそい声が聞こえた。いつのまにか山口が後ろにいた。


「ねえ……昨日は……」


突然、お父さんとのキャッチボールを思い出した。


「そうだ。キャッチボールしよう」

「え、でも……ボールとグローブがないよ」


山口が申し訳なさそうな顔をした。なにかいけないことをしているような気がして、僕は顔が熱くなり、すごく恥ずかしくなった。だけどそれを隠そうと


「屋台のボール使えばいい。グローブなんていらない」


と鳥居めがけて走った。ボールが売っている屋台を探すこと以外なにも考えないようにして走った。押し寄せる見物客たちを掻き分け、目につく店をかたっぱしから調べてまわった。背中から山口の「おーい、待ってよー」という声が聞こえたけど、僕は無我夢中で走った。


焼きそば屋とかき氷屋に挟まれた小さな雑貨店に、ひとつだけボールが飾ってあった。それは野球ボールというより、大きさはソフトボールぐらいの、変に青と赤で塗られたおもちゃみたいな商品だった。それを買っているあいだに追いついた山口が、僕の肩をつかんでなにか言いかけた。

僕は振り返らずボールを受け取り、山口の腕を引っ張って屋台の後ろにまわり、そのまま神社の石垣を越えて境内へ入った。

喧騒から逃れるように本殿の裏まで行くと、もう祭りのにぎわいは消えていた。きょとんとする山口に、僕は買ったばかりの大きなボールを渡す。


「おもいっきり投げてよ!」


まだ呆気にとられている山口と向かい合わせに、僕はキャッチャーになりきって構えた。

それをみた山口の顔つきが真剣になった。両腕を頭の上に振りかぶり、ゆっくりと足をあげる。一本足で立った姿勢から、全身を使って剛速球を放った。


ばしん!


高らかに音がひびいた。怖かった。

受け止めた僕の素手はひりひりとしびれ、重たくて硬くて、そして痛かった。これが山口がぶつけた、全力のボールなんだ。


「もっと!もっと叩きのめすつもりで本気の球!」

「でも……素手じゃ痛いのに……」

「いいんだ!もっと全力で投げてきて!」


再び山口が振りかぶり、強烈な衝撃が僕の手から骨へと伝わる。

痛い。ずっとずっと痛い。

僕が思っていたよりも、はるかにずっと、痛い。

うずくまってしまいそうな身体を意地で起き上がらせる。


「ごめん……なさい!」


そう叫びながら僕は思いっきりボールを投げた。びっくりした山口が両手で受け止め


「いい……よ!」


もういちど全力投球する山口の球を、怖がらずつかみ取った。やっぱり重くて硬かったけど、今度は痛いと思わなかった。心のなかでぴんと張っていた糸みたいなものが切れて、身体がすっと軽くなった気がした。ひりひりとしびれる手の感覚すらも、くすぐったくて嬉しかった。


さわさわと神木が風に鳴り、本殿の影がせまるころ、僕たちはキャッチボールをやめた。


「この木、のぼろう」


僕はけやきの幹に手を密着させて、よいっと太い枝へよじのぼった。下を見ると砂利の敷かれた地面が、蹴り上げたところだけ黒土が剥き出していた。山口の頭がちょうど僕の足もとあたりの高さにあって、突然身長が二倍になったような恰好になった。僕が立つところから太い幹が三又に伸び、そのうちのひとつをバランスを崩さないよう慎重に進む。

心配そうに見上げていた山口も、同じところからのぼってきた。


僕は中心の幹から少し離れたぐらいでぶるんと身体がふるえて、枝に手をつきかがみこんだ。そしてそのままゆっくりと腰を下ろす。少し遅れて山口も横に座った。鬱蒼とした枝葉の隙間からのぞくように、ふたりでなじみの景色を眺める。


どうしてか、今まで何度も見てきたものが、まるで初めて目に映るような、そんな新鮮な感覚になった。

僕たちは大声で叫びあった。


「きのうの勝負はぁー、僕の勝ちだぁー」

「勝ったのは僕のほうだぁー」


奥の道路には人がたくさんいたけど、そんなことは大した問題ではなかった。

僕たちは今ちょうど二階ぐらいの高さにいる。だけど、家や学校の二階からの眺めとは違う、とても気持ち良くて清々しい、なんだか不思議な景色だった。

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