第二十三話
私――日高希実は珍しく夢を見た。
それは懐かしく、あまり思い出しくない過去の夢。
「チビ実、ちゃんと黒板消せよ~」
「次の授業始まるぞ!」
「椅子使え、チビなんだからさ」
小学六年生の頃、私のあだ名はチビ実だった。
容姿通りのあだ名ではあるが、悪意のあるあだ名。
私は小学三年生の時に身長が止まり、容姿も止まった。
対して周りの子たちは成長期。
特に男子の成長は凄まじく、身長が百六十センチメートルを超える子もちらほら。
男女ともに百四十センチメートルは最低でもあり、私だけが変に目立つぐらい小さかった。
それをネタにイジメられ、身長や容姿がコンプレックスに。
自分ではどうにも出来ず、辛く先の見えない日々を送っていた。
「――ったぁ……」
「あ、ごっめーん! 椅子に乗ってたの見えなかったわ」
椅子から派手に落ち、肘と膝を擦りむいた。
その姿にクラスの皆が面白そうに笑う。
私に味方……友達などいなかった。クラス全員がイジメっ子。
誰一人として心配なんかしてくれない。困っていても助けてくれることもない。
罵倒されることはあっても会話はなく、わざとぶつかられることは日常茶飯事だった。
「の、希実さんっ!」
「……」
「ど、どうしたの⁉ その傷!」
そんな地獄のようなクラスで、唯一、私を心配してくれたのが担任の女性教師。
いつも優しく、何かあればすぐに駆け寄り言葉をかけてくれた。
「あ、あはは……い、椅子から転んでしまいました」
私は心配されないように、作った笑顔を先生に向ける。
当時、私はイジメられていることを親や先生に知られないようにしていた。
理由は『イジメられる=恥ずかしい』というイメージがあったからだ。
今思えば、そのイメージは弱い部分を見せないための自分への嘘だったと思う。
それに自分の弱い部分を隠すところは今も変わらない。
実際、会社の上司にパワハラを受けていることを隠していたわけだし。
「希実さん。最近、怪我多くない?」
「私がどんくさいだけです」
「そう? 何かあれば先生に言うのよ?」
歪んだ笑みを整え、小さく頷く。
「あら血が出てるわね。早く保健室に――」
「あ、あの! 大丈夫です。絆創膏あるので」
「ホント?」
「はい。席に戻ります」
私は授業のチャイムを聞きながら、一番前にある自分の席に向かう。
「では、本日の授業を始めます。日直、号令」
「起立。礼!」
私の号令で授業はスタート。
同時に何も言わず、先生は消えてない黒板の上のほうを自然に消す。
「それじゃあ、前にも言ってた通り! 今日は以前、考えてもらった将来の夢を発表してもらいます! 宿題にしてましたが考えてきましたか?」
「俺は前の授業でバッチリ!」
「僕も~」
先生の質問に元気良く、出来たことを報告する生徒。
私はそれを静かに背中越しで聞く。
「みんな偉いわね。なら早速、出席順で発表しましょうか」
将来の夢の発表は順調に進んでいく。
女子はケーキ屋さんやお花屋さん、看護師など。
男子はプロサッカー選手やプロ野球選手、消防士など。
みんな自信満々な口調、ワクワクとした笑みで発表している。
そしてついに、私の番が来た。
「次は希実さんね」
私は将来の夢が書いてある紙を手に席を立ち、先ほど怪我をした壇上へ。
教室を見渡すと、バカにするような笑みで見つめる生徒が目に入る。
その光景に目を逸らしたくなったが、先生の「希実さんお願いします」という声を聞き、将来の夢が書いてある紙を見て発表を始めた。
「私の夢は……」
一行目の数文字を読み、私の口は停止。ゆっくりと閉まる。
ずっと前から私の夢は『これ』と決めていたが、いざ発表となると怖くなった。
自分は本当にこの夢を叶えることが出来るのかと。不安が押し寄せてきた。
黙り込んだ私に先生は「大丈夫?」と声をかける。
私は少し溜めて「は、はい」と返し、最初から言い直した。
「私の夢は小学校の先生になることです。理由は――」
「ぶっ、アハハッ! チビ実が小学校の先生って! ぜってぇ無理だろ!」
私の勇気を出した言葉を遮り、一人の男子生徒が腹を抱えて大笑い。
その男子生徒に続くように他の生徒も笑い、私の夢をバカにし始めた。
絶対に無理だの、究極のネタだの、最高のボケだの言われ、ボロカス言われた。
思わず私は下唇を噛み、持っていた紙をグチャっと握り締める。
私は夢を否定されて悔しかった。
イジメっ子の言葉なんか気にすることないと分かっていながらも、飛んでくる言葉が胸に刺さり、涙が溢れ出す寸前だった。
「はぁ……みんな何がそんなに面白いの?」
先生の低い声で放たれた一言は、教室を一瞬にして沈黙にする。
「希実さんの夢のどこに笑う要素があったの? 誰でもいいから答えなさい!」
先生は珍しく怒りを露に。笑った生徒に対して叫ぶように問いかけた。
もちろん生徒はキョロキョロし、みんな質問には黙ったまんま。何も言わない。
完全に誰か言ってよ状態。生徒会の役員を決める時のような状態だ。
それが数秒続き、先生はゆっくりと私の隣へ。
下を向く私に「大丈夫だから」とハンカチを渡し、前を向いて口を開く。
「先生は今とっても悲しいよ。このクラスの生徒が人の夢を笑う子たちだったとは思ってもいなかったからね……」
怒りを取り越して悲しそうな表情で、先生は大きなため息を一つ。
髪をぐちゃぐちゃっとして、いつもより低いトーンで話を始めた。
「みんなが笑った理由は知らないけど、希実さんの夢は立派よ。もちろん希実さんだけじゃなくて、みんなの夢も立派だと思ってる。だから、みんなには人の夢を笑うなんて最低なことはしないでほしい。否定するのも絶対にダメ」
先生は一息して「これだけは覚えておいてほしい」と普段の声音でこう言った。
「夢って言うのはね、みんなで応援し合い、みんなで叶えるものなの!」
「で、でもさ、夢は人それぞれ違うからそんなこと――」
「出来る!」
一人の生徒の言葉を否定。先生は言葉を続ける。
「他人と自分の夢が違うとしても、それが夢であることに変わりはないの。誰がどんな夢を持っていても、その夢を応援することは誰だって出来る。そしてその応援が夢を叶える力になる!
今は分からなくてもいいわ。覚えておくだけでいい。最後にもう一度だけ言うね。
人の夢は笑わず、否定しないで応援すること! みんな分かった?」
生徒は子供らしく「はーい」と元気良く返事する。
この時、先生の言葉が刺さった生徒は少ない。意味を理解したのは数年後のはずだ。
同時に夢を叶える難しさを理解したに違いない。私もその一人。
夢とは希望であり絶望。現実を見せつけられ、やっとそれに気付ける。
この頃の私たちは何も知らず、夢を輝く瞳で語り続けた。
全ての発表が終了。チャイムが鳴る。
「希実さん、ちょっと」
「は、はい」
私は先生に呼ばれ、空き教室へ。
扉を閉めると同時に先生は私を力強く抱きしめた。
「さっきはごめんね」
「……い、いえ。大丈夫です」
その行動に驚きながらも冷静を装う。本当は泣きたかったが、そんな姿は見せられない。
「先生はね、希実さんが今の発表で夢を諦めてないか心配なの」
私の両肩を掴み、膝を曲げ同じ視点で不安気な表情をする先生。
それを見て反射的に笑顔を作り、私は「そんなことで諦めませんよ」と返す。
「そ、そう。なら良かったわ。先生は希実さんの夢が小学校の先生でとっても嬉しかった。それも先生を見てなりたいと思ってくれるなんて思ってもいなかったわ」
そう、私の夢が小学校の先生なのは、担任の先生みたいになりたいと思ったから。
どんな生徒にも同じように接し、何かあれば親身になって心配する姿に、私もこんな先生になりたいと思った。
「先生は応援してるからね」
「はい。で、でも、私なんかが小学校の先生になれるでしょうか……」
「大丈夫! なれるわ!」
その言葉を聞いても、浮かない顔をしている私に、先生は柔らかな笑みでこう続ける。
「だから! 希実さんには自分に自信を持ってほしい!」
私はその言葉を聞き、目端から我慢していた涙がボロボロと溢れ出す。
ずっと耐えていたこともあり、一滴が頬を流れると同時にダムが崩壊したように止まらない。
先生の表情、声音、言葉。全てが刺さり、色んな感情がぐちゃぐちゃになって、初めて先生の前で泣いた。しかも、子供のように声をあげて。
そんな私に先生はハンカチを渡し、頭を優しく撫でる。
「ぜんぜいぇ! わだじぃ、ぜっだいに! ぜんぜいぇみたいな、ぜんぜいぇに――」
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