第二十四話

「はっ⁉ はぁ……」


 私は夢から覚め、重々しいため息を一つ。

 薬を飲み、よく寝たおかげか、もう体のダルさはない。

 倒れてから三日目。やっと疲れが癒えた。


「懐かしいな」


 十年以上前のことを夢で見るとは。未練が残っている証拠だ。

 私は先生があの日くれた言葉を心に置き、必死に勉強して先生になることを夢見た。

 しかし、高三の夏、担任と親の意見によって小学校の先生になる夢は絶たれた。


 教師に身長制限はない。なのに、「身長と容姿でなめられる」「生徒が怪我した時に素早い対応ができない」など。あらゆる理由で半ば強引に諦めさせられた。

 昔は親も応援してくれていたが、成長しない私を見る中で考えが変わったようだ。


 約七年間の夢が途絶えた時は、何日、何週間、何ヶ月も泣いて泣いて泣き続けた。

 結局、勉強は出来た私はそこそこの大学に進学。地獄の就活を乗り切り今に至る。


「クソっ……」


 下唇を軽く噛み、右手の拳を強く握りしめる。

 私の中ではまだ諦めきれていない。今でもなれるならなりたいというのが本音。


 ――ガチャ……


 悔しい気持ちが溢れ、瞳がうるうるしていると部屋の扉がゆっくりと開いた。


「小好君っ!」


 自然にその名前が出たが、扉から入ってきたのは……


「小好さんじゃなくてごめんね」


 光――星坂光だった。

 私は念の為、目元をパジャマの袖で拭き、声をかける。


「いえいえ、大丈夫ですよ。こちらこそ間違えてしまいごめんなさい」


 光は「いいよいいよ」と言いながら椅子に腰を下ろし、手に持っていたペットボトルを渡してくる。それを「ありがとう」と受け取り、蓋を開けて軽く一口。


「希実さんは小好さんが好きなんですか?」

「ぶっ、ゲホゲホっ!」


 いきなり光がそんなことを言うもんだから思い切りむせ、軽く吹き出し飲み物が鼻に入った。

 光はそれを見て可笑しそうにしながらも「大丈夫?」と近くにあったタオルで吹き出した飲み物を拭く。


「な、なんかごめんなさい」

「いや、ウチが変な質問したせいだよ。でも、図星でしょ?」

「ち、違います。ただ信用しているだけで。そういう……好きという感情はありません」

「さっき求めるように「小好君っ!」って呼んだのに?」

「も、もっ! 声優だからってモノマネしないでください」


 光が「本当に希実さんは可愛いなぁ~」と楽しそうに笑う。

 一方、私は顔を真っ赤にして体中から冷や汗をかいていた。


「で、光は何でここに来たんですか?」


 私はこの雰囲気を変えるため、咳払いして話しを変える。


「希実さんのお見舞いだよ」

「はぁ……三日目にしてようやくですか」

「あはは……ちょっと仕事が忙しくてね」


 光は今を時めく売れっ子新人声優。忙しいと言われてしまっては何も言い返せない。

 風邪をうつす可能性を考えても、会わなくて正解だったと言える。

 この売れてる時期に風邪なんて、光の声優人生に支障をきたしかねない。

 そう自分に言い聞かせ、もっと早く来てほしかったという本音を隠した。


 光はこのアロエ荘の中で一番仲の良い住人。出会いは光からの抱擁。

 可愛いものが大好物な光は、小さな体と童顔を見るや否や反射的に抱きついてしまったとか。

 最初の頃は子供扱いされるのが好きではなく、関わりたくもなかった。

 それがいつの間にか、この通り仲良しだ。


「仕事なら仕方ないですね」

「それに二人のお邪魔かなーって」

「余計なお世話です。光は小好君に近付きたくないだけでしょ?」

「うっ……」


 光は視線を逸らし、下手な口笛を奏でる。

 分かりやすいというか何というか。これでは「そうですよ」と言っているようなもの。

 事情を知っている私からすれば、この反応は「でしょうね」という感じだ。


「そんなに恐れる人ではありませんよ?」

「そ、それは……分かってる。けど、やっぱり男の人はこ、怖い……」


 クルクルと栗色の髪を弄りながら、弱々しい声音でそう呟く光。

 光は重度の男性恐怖症。何でそのようになったかは知らないが、赤ちゃんからおじいちゃんまで全年齢層の男性に苦手意識がある。

 仕事の時は女性マネージャーを使い、男性との接触を何とかしてるとか。


 私は私に接している時のように振舞えばいいと思うんだが、彼女は「無理」の一点張り。

 そんな彼女が現在、同じ屋根の下で男性である小好君と暮らしてるのだから凄いもんだ。


「怖いのは分かりますが小好君は大丈夫です。あの人は重度のロリコンなので、ロリにしか興味を持ちません。だから、光が怖がるような男性ではないですよ」

「そう言われても、ロリコンだって男は男だもん! 絶対に無理! 無理なのっ!」


 光はズボンを両手でクシャっと握り、顔を歪ませ首を横に振る。

 それから光は「それに」と話を続ける。


「小好さんには苦手ですって手紙で伝えたし。その甲斐あって、喋りかけてくることはなくなったわ。おかげで今は良い関係を築けてるの!」

「そ、それって良い関係なんですか?」


 思わず苦笑交じりにそう言うと、光は笑顔でハッキリと「もちろん」と断言。

 それならいいかと思いつつ、私は飲み物で乾いた喉を潤し、少し思っていたことを口にする。


「単刀直入に聞きますが、今日来た理由ってお見舞いじゃなくて相談ですよね?」

「ちょ、何で分かったの! じゃなくて! お、お見舞いだよ」

「肯定した後に否定するのは流石に無理がありますよ」

「うっ……確かに」


 光は口を滑らせてしまったという表情で「うぅ~」と唸り、両手で頭を抱える。


「別に構いませんよ。もう体調は良くなりましたし。光が相談してくることは前々から予想していたので」

「えっ、そうだったの?」


 顔をパッと上げ、驚いた表情でそう聞いてくる光に、私は「はい」と柔らかな笑みで答える。


「そっか。流石、希実さんだな~」


 天井を見上げて吐き捨てるように言葉を吐く。

 お見舞いを装い相談に来るほどだ。今の生活環境に限界が来ているんだろう。

 さっきは小好君と良い関係と言っていたが、あれは私を安心させるための嘘だ。

 相談したは良いものの、具体的な相談が出来ず、嘘をついて話を終わらせたに違いない。

 ここは大人として、同居人として、相談に乗ってあげないと。


「それで具体的に何に悩んでいるんですか? この際、教えてくれませんか?」

「えっ、希実さんいいの?」

「もちろんです。限界なんでしょ?」


 光はその言葉に大きく頷き、若々しい綺麗な涙を流しながら私に抱きついてくる。

 そんな光の頭を私は優しく撫で、溜め込んでいた光の悩みを聞いた。


「――なるほど。そういうことでしたか」

「う、うん……」


 光の悩みはそれほど難しいものではなかった。

 男性恐怖症にとっては、避けられないような問題。

 一つは食事や洗濯、掃除などを自分でやらなければいけなくなったこと。

 もう一つはむやみに自室を出れなくなったこと。

 この二つの問題で今までより疲労が増え、相当ストレスが溜まっているとか。


「それでどうしたらいいかな?」


 光は潤んだ瞳をこちらに向け、弱々しい声音で聞いてくる。

 流石の私もその問いにはすぐ答えられず、眉間にしわを寄せて黙り込んだ。

 一番の解決策は光が男性恐怖症を克服すること。


 文字にすれば簡単に思えるが、実際のところは簡単ではない。むしろ一番難しい解決策だ。

 他の解決策で現実的なのは小好君の解雇。もしくは光がアロエ荘を出て行くこと。

 でも、私の口からそんなことは言えないわけで……。


「やっぱり耐えるしかないのかな……」


 私が悩み黙り込んでいる姿を見て、独り言のように呟く光。

 光の顔には不安と心配、苦しみ、そして絶望が伺える。

 このままでは光の精神が崩壊し、声優業が出来なくなるのも時間の問題だ。

 それは理解しているものの、名案と言える解決策が思いつかない。


 相談を受けておきながら「解決策は思いつかない」なんて無責任にもほどがある。

 無駄に希望を与え、再度絶望を見せつける。

 これなら相談を受けないほうがマシだ。


「希実さん、なんかごめんね。病み上がりなのにこんな話をしちゃって。ウチなら大丈夫だから心配しないで」


 無理矢理作った不器用な笑顔で、そう言われても説得力の欠片もない。

 ただ私が悲しくなるだけ。私が無責任な人間だと突きつけられている気分だ。


「時間ある時にまた来るから! 希実さんはしっかり風邪を治してね」


 さっきの表情のまま、そう告げ、私に背を向ける。

 ゆっくりした足取りで、力ない背中は遠くなっていく。


「ひ、光っ!」


 私は絶望に溢れた背中を見てられず、今出せる精一杯の声量で名前を呼ぶ。

 光は振り返るどころか返事すらしなかったが、ピタッと足は止めた。


「相談に乗っておきながら、何も答えてあげられなくてごめんなさい」


 私の罪悪感が溢れ出す声音を耳に、光は少し前かがみの姿勢になり、背中をプルプルと震わせる。数秒後、床に水滴が弾ける音が部屋に響いた。


「だけど、これだけは言わせてほしい。そして信じてほしい」


 光は小さくだが頭を上下に動かす。それを確認して、私は大きく口を開いた。


「私が絶対に! 光を辛い日々から解放するから!」


 光は何も言わず何も反応せず、言葉を聞くや否や逃げるように速足で部屋を出て行った。

 今の言葉を光がどう思ったかは分からない。でも、そんなことはどうだっていい。

 私は今言ったことを実現させるために動くのみ。

 なんて言いたいけど、そう簡単なことではない。


「はぁ……私バカですね」


 ベッドに倒れ込みながら天井を見上げてそう呟く。

 自分自身の問題もあるのに、光の問題まで抱え込むなんて。


「本当に面倒な性格です……」


 ――私と光の問題を同時に解決できる方法があればいいんですが……。


 そんな都合の良い話なんて……ないこともない?

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