第二十二話
「それでこの痣が相談に関係してるんだろ?」
「はい。実は――」
日高さんは涙声になりながら全てを話してくれた。
痣の原因、倒れた原因である――仕事について。
日高さんの話によると、日高さんは食品会社に勤めている。
そこでは主にスーパーやコンビニにあるスイーツを作っており、日高さんは事務仕事をしているとのこと。
ここまでは普通の話である。問題はこの先だ。
日高さんには入社当初に教育担当してくれた先輩がいる。
最初は優しく頼りしていたが、日高さんが一人で仕事をこなせるようになると変貌した。
具体的には仕事を押し付け、出来なければ裏で暴力を振るう。
世間一般で言うところのパワハラが始まったのだ。それも最近では珍しい酷いパワハラ。
日高さんの体格からして抵抗は出来ず、上司に相談できる相手もおらず、上半身に増える痣を見て見ぬふりするしかなかったらしい。
僕は背中しか見てないが、お腹や胸元にはもっと酷い痣があるとか。
背中を見るに想像を絶する酷さに違いない。
そんな地獄の日々を過ごす中、数日前に風邪を引き高熱が出た。
原因は過労。
春に入ってきた新入社員が発注ミスをしたらしく、それも日高さんが教育担当の子が。
そのせいで仕事は一気に多忙に。いつも通り仕事の押し付けもあり睡眠時間は二時間。
結果、一週間で限界を迎え倒れた。
早朝の出勤、夜中の帰宅。この異常さに管理人として気付くべきだった。
慣れない一週間目という言い訳は出来ない。
もし気付けれいたら、日高さんが倒れることなんてなかったのだから。
そう、頭で理解した時、急に奏多のある言葉が脳裏に蘇る。
――誰のせいでこうなったと思ってんだよ
あの時は「何でもない」と言われ、僕はその言葉の意味を知ろうとしなかった。
でも、今なら分かる。あれは僕に対しての言葉だったのだと。
奏多は遠回し「小好のせいで、日高さんが倒れたんだろ」と言ってたってことだ。
直接言わないところが奏多らしいと思いつつ、管理人である僕は何も出来なかったと再認識させられ、悔しく感じた。
「こっち向いても大丈夫ですよ」
「あ、うん」
相談を聞きながら背中を拭き終わり、日高さんはパジャマに。
僕は脱ぎ捨てられたスーツを近くにあったハンガーにかけ、日高さんに促されるまま椅子に腰を下ろした。
「それでどうしたらいいと思いますか?」
「なかなか難しい相談だな」
僕は重い相談に苦笑いを浮かべる。
それを見て日高さんも同じ表情になり、弱々しく「ですよね」と一言。
正直、まともに働いたことのない僕にはこういう時の対処方が分からない。
だからといって、痣だらけの体をほっとくことも出来ない。
僕が付き添い、上司にパワハラを止めるように頼みに行く。どう考えても逆効果だ。
止めるどころ、パワハラが悪化する未来しか見えない。
あまり勧めたくはないが、残された選択肢はこれしかないか。
「日高さん、退職するっていうのはどうかな?」
「た、退職ですか?」
日高さんは眉間にしわを寄せ、動揺を隠せない様子でオウム返し。
僕はクソニートだったこともあり一番に思い付いたが、真面目な日高さんにはその考えはあり得なかったに違いない。
「そう、退職。その会社を辞めて違う会社で働く。それが一番だよ」
「で、でも、あの会社を辞めたら、私は……一生働けません」
日高さんは下を向き、唇を噛んで悔しそうな表情になる。
こんな表情をするということは、何かしら理由があるはずだ。
僕は下を向く日高さんを覗き込み、優しい声音で「どうして?」と聞く。
すると、日高さんは体育座りをして布団を握り締め、顔を布団に埋めて叫び、「ふぅ~」と一息吐いて話し出した。
「私、就活散々だったんです。七十八社受けました。その中で唯一採用されたのが今の会社で」
就活をしてない僕にも七十八社が多いことぐらいは分かる。相当な数だ。
「自分の口から言うのは恥ずかしいのですが、私は高学歴で面接も難無くこなすことが出来ます。それでも、七十七社落ちたんです。
理由を聞けば、容姿や身長、大人っぽくない。そんな理由ばかり。昔から容姿で弄られることはありましたが、まさか容姿と身長のせいで働けないとは思ってもいませんでした。
だから、私は今の会社を辞めるのが怖いんです。あの就活の地獄を知っているからこそ心の底から怖い。面接官の『子供?』と不思議がる瞳はもう見たくないんです」
日高さんは大粒の涙を頬から顎へ。布団を濡らす。
そんな日高さんを見る僕の視界はぼやけ、目頭が熱いことに気付いた。
目元を手の甲で拭うと水滴が付き、自分が泣いてることを今知った。
他人の話。なのに、自分のことのように悔しい。
容姿や身長は変えることの出来ない部分。そこを理由に落とされるなんて辛すぎる。
――小さくて何が悪い?
――幼くて何が悪い?
それは日高さんの個性で何も悪い部分ではない。見る人によっては良い部分だ。
実際、僕はそれを気に入っている、否、好いている。
「日高さん、僕は日高さんの容姿や身長を悪くなんて思わない。それは僕がロリコンだからかもしれない。けど……けど、世の中にはそんな人間が少なからず存在する。僕みたいに日高さんを受け入れてくれる人間は必ずいる! だから……」
一度、大きく息を吸い、力強く言葉を放つ。
「だから! 日高さんには自分に自信を持ってほしい!」
その言葉を聞いた瞬間、日高さんの肩がピクっと動く。
「過去が怖いのも分かる。僕も過去が怖い……ことがあるからさ。でも、やっぱり過去より今のことを最優先に考えるべきだ。痛みに耐え続ける日々が正しいわけがないよ!」
僕はそこで冷静に一息入れて言葉を口にする。
「今のが相談に対する僕の意見。これ以上は何も言えないかな。日高さんにとっては、どちらの選択をしても辛いと思う。僕の意見は参考にする程度でいいよ」
言えることは言ったつもりだ。後は日高さん次第。
「あ、相談はいつでも大歓迎だから、これからも気軽にしてくれ。日高さんが求めるアドバイスが出来るかは別として、聞くことぐらいは出来るしさ」
「――がとう……」
両方の目端から涙を零す日高さんは、鼻を啜って掠れる声で何か呟いた。
そして日高さんは着替えたばかりのパジャマの襟元で涙を拭い、寝転び布団にくるまる。
僕は知っている。このように全てを断ち切る行動をする理由を。
日高さんは今悩んでいる。会社を辞めるべきか、辞めずに痛みに耐えるべきか。
まるで、過去の自分を見ているよう。
僕も教師を諦めるか、教師を諦めないか。ああやって悩んだ。
何日も、何週間も、何ヶ月も。一人で。
今は静かに見守ることしか出来ない。答えは自分で出すしかないのだから。
僕は濡れたタオルを片手に立ち上がり、部屋の電気を消し、部屋を後にした。
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