第三話

 今日はこの家を去る出勤日。

 昨晩は妄想が膨らんであまり寝られなかったが、なぜか今朝は目が冴えていた。

 天気は晴れ。僕の気分は良く、体調も良い。

 三日前、海に保育園の園長の仕事を頼まれ、最初は不安しかなかったが、用意してるうちに自然と覚悟は決まった。


 母に仕事の件は伝えてある。クソニートがいきなり無言で家を出て行き、数日、数ヶ月も家に帰らなかったら流石に心配されるはずだからな。

 誘拐されたと思われ、警察沙汰になってもおかしくない。

 引きこもりクソニートでも母からすれば、僕は大切な息子だ……多分。

 まだ何も親孝行してないので、それを口に出せるほどの自信はない。けど、いつ何時も心配してくれ、気にかけてくれたのは事実。

 実際、仕事の話をした時は泣いて喜んでくれた。

 今までの文句を何一つ言わず、「頑張りなさいよ」「寂しくなるわね」と言葉を繰り返すだけ。

 優しすぎるあまり罪悪感を抱いてしまったよ。

 そんな母とは、今朝「いってきます」の挨拶を最後に別れた。


 僕は徒歩で京都駅へ行き、地下鉄で海が送ってきた位置情報を頼りに保育園の最寄り駅へ。

 ナビの指示に従いながら歩くこと数十分。

 少し汚れたマンションが建ち並ぶ道を通り抜け、住宅地に入った直後……


『目的地に到着致しました』


 ナビは強制終了した。

 目の前には庭付きの綺麗な建物。かなり横に大きな二階建て。

 コンクリートブロックの壁があり、道路から入口まで距離があって防犯対策もバッチリ。


「これが海が経営する保育園……か」


 立派すぎて見入ってしまった。

 一見、保育園にしては小さい気がしたが、それは僕が大きくなった証拠。

 園児時代から何十年も経つ。そう感じるのは当然と言えば当然だ。


「やけに静かだな」


 保育園の前なのに子供の声一つ聞こえてこない。

 現時刻は午前八時四十五分。子供たちが来ていてもおかしくない時間だ。

 住宅地だから騒音対策として防音壁などが使用されてると考えるべきか。

 子供の声は高くて耳に響く。世の中には嫌いな人も多い。

 僕はよだれが垂れるぐらい大好物だけど。


「そろそろ入る時間か」


 出勤時刻は午前九時。社会人として十分前行動はしないといけない。

 僕は一度大きく深呼吸。緊張の第一歩を前に出して中に入る。

 園長の初出勤なのだから先生の一人や二人が迎えてくれてもいい思うが、様子を見る限り人手不足が深刻のようだ。


 ――バンッ!


「ん?」

「いっ、いたた……」


 下半身に何かが当たり視線を下へ向けると、何と尻餅をついて痛がるロリがいた。

 間違いなく保育園の園児。

 僕は慌てて膝を曲げ、視線をロリの高さに持っていく。


「ごめんね。大丈夫? 怪我はない?」

「は、はい。大丈夫です」


 ロリはゆっくりと立ち上がり、お尻をパンパンと叩く。


「えーっと、あなた誰ですか?」


 引き気味な表情、弱々しい声を聞くに、警戒心むき出しのロリ。

 敬語で話してくるあたり最近の子供はしっかりしてると感じる。

 僕の時代の子供は警戒心を持っておらず、敬語は全くと言っていいほど使わなかった。

 その態度にイラッとする大人は多少いたが、子供らしく可愛げがあったと言える。

 現代は可愛げのある子供はごく少数。このロリのように真面目な子供が大半だ。

 それは現代的で良いかもしれないが、やはり子供は可愛くあってほしいと思う。


「えっと、お兄さんはね。今日からこの保育園の園長になる小好春だよ。小好先生って呼んでね」

「は? 何言ってるんですか? 頭大丈夫ですか? キモいんですけど……」

「ふえっ?」


 ロリは怒涛の罵倒ラッシュを終え、三歩下がって汚物を見るような瞳をこちらに向ける。

 その反応には僕も変な声が漏れ、目を丸くして固まった。

 ロリに引かれながら罵倒されたのだ。誰だってそうなる。

 一瞬『それもイイかも!』と思ってしまったが、リアルロリに目の前で直接罵倒されるのはロリコンとして辛さを感じた。

 二次元ロリの罵倒には興奮したのに……。


「保育園って何ですか? 場所を間違っていませんか?」

「い、いや間違ってないよ。その証拠として、園児の君が目の前にいるじゃないか!」

「喧嘩売ってますか? 売ってますよね?」


 えっ……もしかして、この子は大人っぽく振る舞う系のロリなのか?

 初日から凄いロリに出会ってしまった。とは言え、所詮ロリ。

 どんなロリにだって子供心は存在する。

 高い高―いをすれば満面の笑みで喜び、警戒心を無くすに違いない。


「先生は君と喧嘩なんかしないよ。それより君のお名前は?」

「不審者に教えるわけないでしょ!」


 保育園の園長を不審者呼ばわりとは酷い。が、これは仕方ないこと。

 最近は親が子供に知らない人に声をかけられた時の対処方をしっかりと教えてるからな。


「不審者じゃなくて小好先生ね。高い高―いしてあげるから名前を教えてくれないかな?」


 僕はそう言いながらロリの脇腹に手を入れて持ち上げる。


「ほら、高い高―い! 高い高ーい! どう楽しい? 先生だって分かってくれた?」

「いっ……なっ! 何するんですかっ!」


 ――パチンッ!


 怯えるように目を大きく開き、叫びながら僕の頬を容赦なくビンタ。

 僕はビンタと同時に精神的ダメージを食らい、心に「グサッグサッ」と棘が刺さったような感覚を覚える。でも、そのビンタには痛みの中に気持ち良さが存在した。

 今の発言に矛盾が生じてることは分かっている。分かってるけど、間違いなくあったのだ。

 初めて味わう小さくプニプニとした柔らかなロリの手にビンタされた快感が。

 精神的ダメージは快感によって包まれるように完全に消滅。

 今はロリの手の感触が脳内を駆け巡っている。


「ふっ、ふにゃふにゃ……」

「うっ……きもっ。何でニヤついているんですか! てか、下ろしてください!」

「んー、もう一回ビンタしてくれたら下ろしてあげるよ!」

「け、警察呼びますよ? いいんですか?」


 ロリは真面目な表情でポケットに入れてたスマホを取り出す。


「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って!」


 僕はその行動を見て、やっと我に返り慌ててロリを地面に下ろして通報を阻止する。

 まさかロリがスマホを持ってるなんて予想外だ。

 今は保育園に通う子供にもスマホを持たせる時代なのか。危うく通報されそうになったぞ。

 何で通報されそうになったかは全く分からないけど。


「まぁすぐに下ろしてくれたので、今回は見逃してあげます。あっ、いたたっ……」


 ロリはため息交じりにそう言ってスマホをしまい、脇腹辺りを手で抑えながら眉間にしわを寄せる。少し痛かったみたいだ。高い高―いをするには、少し練習が必要なのかもしれない。


「あ、うん。ありがとうね。でも、先生そんな悪いことしたかな?」


 それを聞いた途端、ロリは鋭い目付きで僕を睨みつけ、眉間をピクピクさせ始めた。


「はぁあ? いきなり私を子供扱いしてきた上に勝手に体を触ったんですよ? 完全に変態ですよ! ヘ・ン・タ・イ!」

「せ、先生は君と仲良くなろうと思っただけだったんだ。不快な思いをさせたならごめんね」

「はぁ……ずっと思っていたんですが、その先生というのは何ですか?」

「僕は保育園の先生で、君はこの保育園の園児でしょ? 何かおかしいかな?」

「本当に頭大丈夫ですか? ここはアロエ荘ですよ?」

「あ、アロエ荘?」


 僕は初めて聞く言葉をオウム返しして首を傾げる。


「そうです。コンクリートブロックに吊るされた看板に書いてあったでしょ?」


 そんな看板を見た覚えはないが、念のために見てみる。

 すると、そこにはロリが言った通り『アロエ荘』の看板が存在した。

 一体どういうことだ? 保育園の名前がアロエ荘と言うのか?


「君が言った通り書かれてたよ。保育園の名前なのかな?」

「いつまで何を言っているんですか? ここは保育園じゃないですよ」

「保育園じゃない? え、でも、その……君は園児だよね?」

「あー、園児園児うるさいですね。私は二十四歳の社会人二年目です!」


 ロリはイライラしてるようで、髪を左手でぼさぼさっとする。

 その瞬間、シャンプーの匂いだろうか。僕の鼻孔を爽やかな香りが撫でるようにくすぐる。


「そういう設定のおままごとでもしてるのかな?」

「信じる気ないんですか? 私の服装はスーツですよ?」

「言われてみればそうだね。特注で作ってもらった感じかな?」

「あなたの言う通りこのスーツは特注ですが、おままごとのためにわざわざ作ったのではなく、社会人として仕事に行くために作ったんです」


 呆れ気味に早口でそう言った後、肩にかけてた鞄から財布を取り出し、一枚の紙を僕に渡してきた。


「私の名刺です。これで納得してもらえましたか?」


 名刺と言われて見せられた紙には日高ひだか希実のぞみと書かれていた。

 会社名や会社の電話番号、住所までしっかり書かれてるので恐らく本物。


「え、本当に……日高さんって園児ではなく、二十四歳の社会人なんですか?」

「そうです。はぁ……やっと分かってくれましたか。信じてもらうのにここまで苦労した相手はあなたが初めてですよ」


 僕の顔を呆れた表情で睨み、素早く名刺を財布に戻す日高さん。


「す、すみません」


 かなりお怒りの様子。こうなるのも無理はない。

 初対面の僕に園児扱いされたどころか高い高―いまでされたのだから。

 よく通報されなかったものだ。


「私は仕事なのでこれで失礼します」

「あ、はい。本当にすみませんでした」


 日高さんはスマホで時間を見るや速足で去っていった。

 あの顔と体、身長。初見で大人とは誰も思わないだろうな。

 口調と性格で誤魔化そうにも、容姿のインパクトが圧倒的。

 名刺を見た今でも疑ってるほどである。


「で、保育園はどこにあるんだよ」


 周りを見渡しても、保育園らしき建設物はどこにも建ってない。

 海の奴が位置情報を間違えて送ったとか?

 それしか現状を見る限り考えられないが。

 とにもかくにも電話して確認してみるしかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る