第二話

「わ、悪い……って、えっ⁉」

『い、嫌だったか?』

「ちょ、ちょっと待て! も、ももも、もう一度言ってくれないか?」

『だからさ、保育園の園長になってほしいんだよ』


 お願いが結婚式のスピーチではなく、保育園の園長。

 保育園の園長……保育園の園長⁉ 

 な、何がどうなってんだ!

 あの年上好きの海が保育園の園長を僕に頼んでるということは、保育園を経営してるってことか?

 意味が分からないんだが。怖い。怖すぎて寒気がする。


「一体どういうことだよ。状況が全く分からん」

『どうもこうもないって。春に保育園の園長をしてほしいのさ』

「お前が保育園を経営してるのか?」

『まぁそんな感じかな』


 平然とえげつない発言をしてるが、海はどんな仕事をしてるのだ。

 保育園の経営なんて普通できない。お金が掛かりすぎる。数年の間に何があったのだ。

 お金持ちの年上女性と結婚したか。もしくは年上女性に可愛がられ貢いでもらってるか。

 その二択といったところか。

 海は顔がモデル並みに整っている上に性格も良い。

 それを考えれば、無理な話ではない。むしろ納得がいく。


『おーい、それでどうすんだよ』

「え、あ、えっと、急に言われてもな。その僕、保育士資格なんて持ってないし」

『大丈夫大丈夫! そこらへんは大丈夫だから~』


 何が大丈夫なの? 海は保育士をなめてるのか?

 保育園では零歳から六歳までの子供を預かる。中でも零歳児や一歳児の扱いは難しい。

 下手をすれば人様の子供の命を落としてしまう可能性がある。


「お前、適当に言うな。保育園に通う子供は大人のように頑丈じゃないんだ。一つのミスが命に関わるんだぞ! それを分かってるのか?」

『わ、悪い。そんな怒らせるつもりはなかったんだが……』


 つい熱くなってしまった。でも、僕の心にはまだ子供に対する愛があるのだから当然。

 小学校の先生になる夢を諦めたからと言って、子供への熱が冷めることはない。

 まぁ今の僕にあるのは子供への愛というよりかはロリへの愛だが。

 その愛は年々、熱さを増している。自分でも驚くほどに。


「いや、僕もキツく言い過ぎた。それで保育園の園長の件だが、正直言って出来る自信がない。それに僕は何かに挑戦するのが、こ……怖いんだ」


 保育士資格について言ったのも、先ほど海に強く言ったのも、全て保育園の園長になるのが怖くて自己防衛反応が働いただけ。部屋を出て働くのが怖いから何かしらの理由を付けて逃げようとしたのだ。この歳になって恥ずかしよな。


『何言ってんの? 別にこんなの挑戦なんかじゃないじゃん!』

「え?」

『これは俺が頼んでるだけのこと。春が自分からやろうとしてるわけじゃないだろ? ならそれは挑戦にはならないんじゃないか?』

「そ、そうかもしれないが、今更、働くってどうしたらいいか分からない」


 部屋に出るのも、社会に出るのも、この真っ暗な今を出るのも、なんか怖い。

 現状に慣れ過ぎたせいか、今を変えたいけど、今が変化するのが恐怖でしかない。


『働くとかそう堅苦しくなるなって。ただ春には保育園の園長になってほしい。それだけなんだよ。それにいつまで適当な言葉を並べて逃げるつもりだ?』


 ――ドクンっ!


 海の言葉に、僕の心臓は一度大きく跳ね、体の中心から鳥肌が立つ。


「お前に僕の……何が分かる? 変えたいのに変えられない今をどうしろって言うんだ! 教えてくれよ、なぁ僕は、僕はっ! どうしたらいいんだよっ!」

『俺には春の気持ちは分からない。でもな、今を変えるチャンスは用意した』

「へぇ?」

『だからさ、騙されたと思ってやってみないか?』


 冷静に考えれば、クソニート生活を脱却するには願ってもないチャンスだ。

 保育園の園長。昔から子供が好きで、子供に詳しい僕なら出来なくもない。

 年齢も年齢だ。もしかしたら、今を変えられるのは最後かもしれない。

 このまま死ぬぐらいなら、騙されてやっても……。


「ぼ、僕やるよ。ちゃんと出来る保証なんてないけどさ、保育園の園長になる。いいや、ならしてくれ」

『待ってた、待ってた、待ってたぜ! その返事を待ってたぜ、春!』


 海は僕の言葉を聞いた途端、急に声のトーンと声量が跳ね上げて喜びを爆発させる。

 嬉しかったのは分かるが、心臓と鼓膜に悪いから止めてほしい。

 引きこもってる僕はあまり体力がないのだ。心臓とかすぐに止まる。それは言い過ぎか。

 はぁ……海には勝てないな。こういう時はいつも上手いこと言いくるめられる。


『じゃあさ、来週の月曜日から頼めるか?』

「は? 来週って三日後だよな?」

『そう! 行けるよな? いや、行ってくれないと困るんだよ!』

「その言い方だと、僕が了承する前提で話を進めてたのか」

『うっ……とにかく頼むよ~! なぁ~俺と春の仲だろ?』


 ニートに予定なんてないので無理な話ではない。

 だとしても、三日後というのは……。

 僕にも心の準備が必要だ。約三年も家を出てないのだから。

 いきなり日光に当たり、輝く人々とすれ違う。色々とキツい。


『春マジで頼むって! この通りだ! 今、電話の前で美しい土下座してるからさ!』

「いやいや、こっちには見えてないから。てか、土下座しなくても行くって」

『ほ、本当か?』

「ああ、断れそうにもないしな」

『いやー、やっぱり持つべきものは春だぜ! 超助かるわ~』


 あれだけ押されれば折れるしかない。まず僕が折れない限り、この話は終わらなかった。

 この話は僕が了承する前提で進んでたのだから。

 数年振りに電話して来たと思ったら、無茶苦茶なお願いをするとか迷惑極まりない奴だ。

 しかし、僕にとってメリットがない話ではなかったから悪くは言えない。

 むしろ今を変えるチャンスを与えてくれた。感謝しなければいけないぐらいだ。


『場所については後でLIMEで位置情報を送るわ』

「りょーかい」


 僕はそう返事して一度お茶で喉を潤す。久しぶりの長話で喉がカラカラだ。


『急な話で悪かったな』

「本当だよ。もっと早く言ってほしかった」

『正直か』

「でも、その……ありがとな」

『それは俺のセリフだ。マジで助かったぜ』

「海の力になれたようで何より」

『ほな、三日後頼むな』

「ああ、任せておけ」


 僕はそれを最後に電話を切ろうとした瞬間、『あっ!』と慌てた海の声が響いてきた。


「ん? どした?」

『言い忘れてたけど、泊まり込みの仕事だから必要なもの持って来いよ!』

「えっ――」


 ――プープープー


 海の奴、忘れたフリして敢えて最後にそれを言うか……完全にやられた。

 泊まり込みで保育園の園長の仕事をするということは、保育園付近に宿泊施設があるのか。

 なかなか豪華な保育園だ。

 だというのに、人手不足とは出来立てほやほやといったところか。


「はぁ……僕が仕事か」


 信じられない話である。夢でも見てるかのようだ。

 さっきまでクソニート生活のルーティンを始めるため、録画してた深夜アニメを見ようとしてた僕が、三日後から泊まり込みで保育園の園長をすることになったんだぞ。

 正直、交通事故にあった気分。

 ニートから保育園の園長とか、ほとんど異世界転生だろ。


「ごめん……みんな。僕さ、リアルロリと関わる仕事をすることになったんだ」


 僕は深刻な表情で、部屋中のロリキャラにそう報告する。

 それに対して表情を変えず、黙って聞くロリキャラたち。

 表には出さないだけで、心では泣いてるに違いない。

 みんなと過ごした約三年の日々。喜び、悲しみ、怒り、恐怖。全ての気持ちを分かち合った。

 一番の思い出なんて選べない。毎日がキラキラと輝く最高の思い出だ。

 今日も明日もそんな思い出は増え続けるはずだった。


「もう一緒にはいられない。急な別れで寂しい思いをさせるのは分かってる。けど、僕を待つリアルロリがこの世にいるんだ」


 別れとはいつも突然。出会いもまた同じ。

 別れる=忘れるではない。成長へ導くきっかけだ。

 みんなはずっと僕の心の中で生き続け、僕もみんなの中で生き続ける。


「これからはさ、みんなの分までリアルロリを愛すよ!」


 みんな理解してくれたのか、笑顔でこちらを見ている。

 中には悲しそうな表情をしてる子もいるが、その子は後で抱きしめてあげよう。

 僕は最後に正座。同時に頭を下げ、腹の底から叫んだ。


「今まで! 本当にっ! ありがとうぉぉぉぉぉぉおおっ!」

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