第9話

 目の前にある倉庫の中からは、人の気配がしていた。

 築山の訓練のひとつに、建物の中にどのくらいの人間がいるのかを外から感じ取るというものがある。常識的には考えられないことではあるが、人間というのは鍛えればそのくらいのことであれば出来るようになるのだ。実際に深津は倉庫内の気配をいくつか感じ取り、中に二人いるということはわかっていた。


 小さなアルミ製のドアを佐久間が開けて倉庫の中に入ると、深津も続いた。

 広い倉庫内には、コンテナなどは置かれておらず、ただ中央にドイツ製の高級車が一台停められているだけだった。


 佐久間が車へ近づいて行くと後部座席のドアが開けられて、中から男がひとり出てきた。高そうなスーツを着た男で長い髪をオールバックにし、カミソリのように鋭い目をしていた。


「大丈夫なんだろうな、佐久間さんよ」


 男は開口一番にそう言うと、深津のことを頭のてっぺんからつま先まで舐め回すように見る。

 嫌な目をした男だ。深津はそう思っていた。平気で人を殺せる人間の眼。男の目はそのような印象を与えた。


「それは俺が保証しますよ」

「佐久間さんがそう言うなら、信じるよ」


 男はそれだけ言うと、佐久間の肩をポンと叩き、再び車の後部座席に乗り込んだ。

 そして、運転手がエンジンを掛けると倉庫のシャッターが外から開けられ、車は出て行ってしまった。


「一体、何なんだ」

 深津は意味が分からず、呟くようにいった。


「あんたには仕事をひとつやってもらう」

「え?」

「大丈夫だ。築山さんにも話は通してある」

 佐久間はそう言うと、携帯電話を取り出してどこかへ連絡を入れた。


 深津はスーツのジャケットを脱ぐと、近くにあった机の上に放り投げ、ネクタイも抜き取りシャツのボタンを開けた。


 しばらくして、再び倉庫のシャッターが開くと一台のワゴン車が入ってきた。どこにでもあるような白いワゴン車だった。

 ワゴン車は深津たちの目の前に停車すると、後部座席のスライドドアが乱暴に開けられ、ひとりの男が降りてきた。

 大きな男だった。身長は二メートル近いし、横にも大きかった。来ているTシャツは袖口の隙間が無いほどにパンパンであり、鍛えているということは一目瞭然だ。


「元プロレスラー。ある組織で用心棒をやっていたが、その時に用心棒をやっていた店の女性従業員に暴力を振るい、レイプをした。その件を咎めた組織の人間を半殺しにして、組織から金を奪って逃走。やっと身柄を確保できたから、あんたに仕事を頼みたい」

「仕事なんだよな」


 その言葉に佐久間は頷く。深津にとっての仕事。それは殺しを意味していた。


「相手には、あんたを殺せば自由にすると伝えてあるそうだ」

「これは何かのテストなのか」

「いや、仕事だ」


 佐久間はそう言うと、男が乗ってきたワゴン車の中に乗りこみ、車で倉庫から出て行ってしまった。

 倉庫の中に残されたのは、大男と深津のみである。

 二人きりになると、大男は親し気な口調で深津に話しかけてきた。


「あんたも災難だったな。あいつら、どういうつもりかわからねえが、おれを捕まえた後、ここに連れてきやがった。あんたも同じ口か」

 そう言いながら、大男は深津に近づいてくる。


 口では親し気にしているが、表情には緊張が見られた。

 罠だ。こちらが油断したところで殴りかかってきたりするつもりなのだろう。深津はそう言った表情筋などの緊張を見て相手の行動を予測する訓練も受けていた。

 あと一歩で、大男と深津の間合いがぶつかる。お互いに足を出せば蹴りが当たり、踏み込んで拳を繰り出せばパンチが当たる距離だった。


「まいっちゃうよな」


 大男が笑った。それと同時に、大男の体が沈み込んだ。そのスピードは体の大きさからは想像できないほど速いものだった。

 攻撃態勢に入ることを予測できていた深津は、体を男の攻撃軌道上から少しだけずらした。


 足元への低いタックル。レスリングなどで見られる技だった。

 しかし、その攻撃は空を切っていた。


 深津の体は反転するようにして、大男の背後へと回る。

 それは大男にとって予想外なことだったようで、大男は驚いた顔をしていた。


 これは、よーいドンではじまる格闘技の試合などではなかった。仕事――すなわち、殺しである。そのため、時間を掛ける必要はなかった。

 背後から大男の股間を蹴り上げた深津は、そのまま自分の腕を大男の首へと回した。柔道でいう裸締め、格闘技などではチョークスリーパーと呼ばれる首を絞めて相手を落とす技だった。ただ、深津の使う技はそれとは少し違っていた。目的は相手を絞め落とすことではない。

 深津は大男の首をしっかりと腕で固定すると、遠心力を使って体を振り回すようにした。

 深津の全体重プラス遠心力による力が男の首に掛かり、男のうめき声が漏れる。


 何かが壊れる音が聞こえた。それは、命の灯が消える音でもあった。

 殺しに時間を掛ける必要はなかった。速ければ、速いほど良い。


 頸椎が圧迫されて折れ、そのショックで心肺停止した大男は、そのまま地面に倒れると、失禁をした。全身が弛緩したのだろう。これでしばらくすると、今度は硬直がはじまるはずだ。


 深津は大男の死体を見下ろすと、ジャケットを着て、倉庫を出た。

 倉庫の外にいた佐久間は、少し驚いた顔をした後、にっこりと微笑むと深津に近づいてきた。


「仕事が速いな」

 本人は軽口を叩いたつもりだったのだろう。しかし、深津の身体から溢れ出る殺気を感じ取り、顔を強張らせていた。


「さあ、帰ろうか」


 深津はそう言うと、佐久間のBMWを停めた場所に向かって歩き出した。

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