第6話

 二日ほど深津は会社を休んだ。殴られた顔が腫れ上がっていたためである。それにはじめて人を殺したということもあり、精神的に落ち着かせたほうが良いという築山の判断もあった。


 連絡をした際、電話に出た定年間際の上司は休む理由も聞かずに「わかった」とだけ告げて電話を切った。


 深津は昼過ぎまで寝て、夜になると築山に呼び出された。顔の腫れは少し引いてきていたが、まだ見るに堪えない顔だったため、マスクとサングラスで顔を隠した。

 また『さとう』だろうと思っていたら、焼肉店へと連れて行かれた。


「好きなだけ食え」


 築山は深津にそう言うと自分はマッコリをちびちびとやるだけで、ほとんど肉は食べなかった。

 片桐も同席し、頼んだ肉を次々と七輪の上で焼いて、胃袋の中へと収めていった。

 焼肉屋を出た後、築山は財布からいくらか抜いて片桐に手渡すと、タクシーを止めて乗り込んだ。


「じゃあ、次の店に行くか」


 築山を見送った後、片桐は深津を別の店へ連れて行った。

 店はキャバクラだった。片桐は何度か来ている店であるようで、店の入口にいたボーイと親しげに言葉を交わしている。


「好みのがいたら指名しろよ、マサ」

 店の入口に貼られた写真パネルを見ながら片桐が言う。


 片桐は自分のお気に入りの娘がいるらしく、ボーイに名前を告げていた。

 ふたりが案内されたのは、他のブースは区切られた半個室のような席だった。革張りのソファーに腰を下ろすと、すぐにふたりの女の子がやって来る。

 深津は顔の痣を隠すためサングラスを掛けていたが、店内でもそのままにしていた。

 しばらく飲んだ後、女の子が何度か入れ替わり、片桐が腰を上げた。


「この後どうする、マサ」

「なにが?」

 片桐の言葉がよく理解できなかった深津は片桐に聞き返した。


「決まってんだろ。俺はちょっと寄って行きたいところがあるからよ。お前も好きにしろよ」

 少し呂律の回らない口調で片桐は言うと、築山から預かった一万円札を三枚ほど深津の着ていたシャツの胸ポケットへとねじ込んだ。


 片桐は夜のネオン街に軽い足取りで消えていった。おそらく向かう先は、もう一軒キャバクラをはしごするか、風俗店辺りだろう。


 深津はひとり、夜の街を歩いた。ポン引きや立ちんぼといった連中が声をかけてくるが、深津は誰の声にも耳を傾けなかった。


 メイン通りを抜けて一本奥まった路地に入った途端、昨日の記憶がフラッシュバックするかのように脳裏によみがえってきた。

 自分は三人もの人間を殺した。ふたりの首の骨を折り、ひとりを頭からコンクリートの地面の上に投げ落とした。命の灯は、あっという間に消えた。


 突然、手が震えだした。そして、胃が痙攣したかのように暴れだす。

 電信柱に手をついた深津は、突然襲ってきた吐き気に耐え切れず、胃の中のものをすべて吐き出してしまった。せっかく食べた焼き肉も、酒もすべて吐き出してしまった。そして、嗚咽をあげながら泣いた。


「どうかしたの?」


 背後から声を掛けられた。女の声だった。

 路地裏で電信柱にもたれ掛かるようにして泣いている男がいれば、不審がるのは当然だ。

 顔をあげると、そこには深津よりも少し年上くらいの化粧が派手な女が立っていた。


「なんでもない」

 そう言おうと思ったが、さっき吐いたせいもあって上手く声を出すことができなかった。


「良かったら、飲む?」

 女はそういうと自動販売機で買ってきたペットボトルの水を差し出してくれた。

 深津はそれを受け取り、ひと口飲むと、少し落ち着きを取り戻した。


「ありがとう」

 礼を言って立ち上がろうとしたが、急に体に力が入らないような感覚に襲われて、深津は再びその場にしゃがみこんでしまった。体が妙に熱かった。そして、地面がぐるぐると回り始めていた。

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