第4話
仕事からの帰り道、深津は誰かに尾行されている気がしていた。
そのため、普段は乗らない地下鉄に乗り込み、いつもよりも三〇分以上掛けて自宅アパートへと戻った。
誰かに尾行されるようなことをした覚えはなかった。あるとするならば、あの芝の家の一件くらいだ。芝の事件から数週間が過ぎていたが、犯人は捕まっていないと今朝の新聞に載っていた。
アパートの部屋に入ると、電話が鳴っていた。
深津は慌てて受話器を耳に当てた。
「もしもし――――」
「築山だ。あとで『さとう』に顔を出せ」
ぶっきらぼうな口調でそれだけ言うと、築山は電話を切ってしまった。
築山から電話が掛かってくるのは、珍しいことだった。普段であれば、築山の言葉を片桐が伝言するのだ。何かあるに違いない。深津はそう考えて、スーツからトレーナーとジーンズという姿に着替えて、出掛ける支度をはじめた。
さとうというのは、築山が贔屓にしている居酒屋の名前だった。外で飲む時、築山は大抵その店を選ぶ。奥に小上がりの座敷があり、
「いらっしゃい」
深津がさとうの
「奥の座敷だよ」
女将さんがそう教えてくれる。常連であるため、女将さんは深津の顔を見てすぐに築山の連れであるということを判断したようだ。
「失礼します」
「入れ」
深津が障子戸を開けて個室となった小上がりに入ると、そこには築山と片桐、そして初めて見る革ジャンの若い男がいた。歳は深津と同じくらいだろうか。
頭を下げて深津は開いている場所に腰をおろす。すると、築山がじろりと深津のことを見た後で、革ジャンの若い男に話しかけた。
「次の仕事から、こいつを入れる」
「そうですか。わかりました」
ふたりの会話はそれだけだった。革ジャンの男は深津と同じくらいの歳であるにもかかわらず堂々としており、敬語を使っているものの築山と対等な立場で話をしているように思えた。
「話は以上だ。あとは適当に飲め」
築山はそう言って立ち上がると、隣で腰をおろしていた深津の肩にぽんと手を置いた。
小上がりから出て行った築山はカウンター席に場所を変えると、ひとりで冷酒をのみはじめた。どうやら「あとはお前らで話をしろ」ということらしい。
「マサ、こちらは佐久間さんだ。佐久間さん、こいつはマサ。俺の弟分みたいなもんです」
「どうも」
若い男――佐久間を紹介された深津は頭を下げる。
「佐久間です。よろしく」
そういって佐久間は深津の前に右手を差し出した。どうやら握手をしようというようだ。
深津はじっとその右手を見ていた。挨拶で握手を求める人間と出会ったのは初めてのことだったからだ。
「おっと。これは失礼。さすがは築山さんの所の人だ」
何を勘違いしたのか佐久間はそう言うと、笑みを浮かべて手を引っ込めた。
片桐もそれを見て笑って見せる。
「まあ、飲みましょう」
片桐はそういうと、女将さんに声を掛けて瓶ビールを三本注文した。
佐久間は静かにビールを飲んだ。
元から無口な人間なのか、あまり自分から話をしてはこなかったため、片桐が気を使って話を振るといった形になっていた。
「佐久間さんって幾つですか。若そうに見えますけれど」
深津は佐久間が煙草を咥えたため、ジッポーライターで火をつけてやりながら聞いてみた。
すると佐久間は火をつけた礼なのか、無言で会釈をすると、大きくひと口吸い込んで煙を吐き出してから深津の問いに答えた。
「たぶん、深津さんよりも年下ですよ。ただ、この業界が長いというだけです」
「俺が初めて
「そうなんですね」
明確に歳を話そうとはしない佐久間の瞳の奥に、深津は何か暗いものが輝いているのを見た。きっとこの男は、こちらが想像もできないくらいの修羅場を潜ってきているのだろう。深津は勝手にそう想像した。
しばらく酒を飲んだところで、築山が小上がりへと戻ってきた。
「帰るぞ」
ただひと言だけ告げる。それが解散の合図だった。
飲み代はすべて築山が支払っていた。
「ご馳走様です」
佐久間が築山にそう言うと、築山は佐久間の背中をポンポンと軽く手のひらで叩いていた。
店の前で佐久間と別れ、築山とは途中で別れた。片桐と二人っきりになると、深津は佐久間という男がどういう人間なのかを片桐に聞いてみた。
「あの人は仲介人だよ」
「仲介人?」
「ああ。俺たちの仕事をやり
「なるほど……。でも、あの人、なんか凄い雰囲気を持っていたけど」
「わかるか、マサ。あれはそんじゃそこらの修羅場を潜ってないぞ。俺から言えるアドバイスはひとつだけだ。絶対に佐久間とは揉めるな。あれは敵に回しちゃいけない人間だ」
そう言うと片桐は何がおかしいのかゲラゲラと笑い、深津の肩に手をまわして肩を組んできた。
酒は飲んでいたが、酔っぱらうほどの量を飲んではいなかった。片桐は酔っぱらった振りをしているのだ。それがどういう意味なのか考える前に、深津も同じように酔った振りをして片桐の肩へと腕を回した。
「いいか、マサ。佐久間には気を付けろ。あいつは平気で人の寝首をかくぞ」
小声で片桐はそう言うと肩に回していた腕に力を入れて、深津の首を絞めようとした。
その気配に深津は無意識で反応して、片桐の腰の辺りをポンと手のひらで押し、片桐の腕から抜け出る。
「やるじゃないか、マサ。次の仕事が楽しみだ」
片桐はそういうと、十字路を左へと曲がっていった。そこは片桐の住むマンションのすぐ近くだった。
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