第3話

 車は少し離れた場所に止めてきていた。

 上から下まで黒ずくめの格好をした築山と深津は、例の「芝」の家へと忍び込んでいた。


 門を乗り越えたところで、犬の走ってくる足音が聞こえてきた。

 築山は深津のことを見ると、お前に任せたと無言で頷き、深津とは逆の方向へと走り出す。


 深津は向かってきたドーベルマン二匹のうち、自分から遠い方に対して小石を投げつけた。飛礫つぶて。それは小石を相手の急所目掛けて投げる技だった。これも築山から教わったものであり、こういった身近なものを使う技術についても、深津は築山から教え込まれていた。投げた小石はドーベルマンの眉間に命中し、その一撃でドーベルマンは白目をむいて昏倒していた。

 残りの一匹は、あと一歩で手が届くという位置まで迫ってきていた。

 体勢を低くした深津は飛びかかってきたドーベルマンに対して、その腹に向けて拳を繰り出した。確かな手応えがあった。ドーベルマンの口からは小さな悲鳴に似た鳴き声が漏れそうになったが、それよりも先に深津の手がドーベルマンの口を押さえていた。

 二匹のドーベルマンにはかわいそうなことをしてしまったが、仕方のないことだった。


 ドーベルマンを制圧したという合図を築山に送ると、築山は闇の中に溶けるようにして建物へと近づいていった。

 深津の仕事はここまでだった。あとは、外から敷地内に入ってくるものがいたら築山に知らせるだけである。建物の中で、築山が何をするのかは知らない。

 ただ深津は闇の中に佇み、事が終わるのを待つだけだ。

 静かだった。建物の中から音は聞こえてこない。

 しばらくすると玄関と引き戸が開き、築山が何事もなかったかのように姿を現した。


「終わった。帰るぞ」

 築山はそれだけを深津に告げると、芝の家の門を開けて外に出た。


 帰りの車の中、築山はいつものように無言だった。

 ただ、いつもと違っていたのは、カーステレオのラジオを付けることを許可したことだった。ただし、局はニュース放送を流しているところ限定であった。

 国道を走っていると、救急車やパトカーといった緊急車両とすれ違ったが、築山はサイドウインドウから車窓を見ているだけで、そちらに興味を示すような素振りを見せることはなかった。


 そろそろ築山が使っている隠れ家のひとつに到着しようかという頃に、カーステレオから臨時ニュースを知らせる男性アナウンサーの声が流れてきた。

 そのニュースは、国会議員で最大野党・民和党の党首である杜夫議員が何者かによって襲われたというものであった。芝議員の安否は不明とアナウンサーは告げていた。

 ニュースを聞き終えた築山は小さくため息をつくと、カーステレオのスイッチを切った。


 芝という苗字は偶然にも、数時間前にふたりが忍び込んだ家と同じだった。

 あの立派な屋敷は、国会議員の家であってもおかしくはない……まさか。

 そう思ったが、深津はそれを口にできなかった。


 築山は助手席の窓を少しだけ開けると、煙草に火をつけて、紫煙を窓の外へと吐き出した。

 そして、また無言の静かな時間だけが過ぎていった。


「そろそろ、マサにもヤマを踏ませてもいいんじゃないですか」

 ある日、車の中で片桐が築山にいった。片桐の傷はすっかり回復をしており、ともに道場で汗を流しても問題ない状態となっていた。


 その言葉を聞いた築山はジロリと後部座席に座る片桐のことを見ただけで、何も言葉は発しなかった。

 片桐はその築山のひと睨みで黙り込んでしまい、その後の車内は沈黙が続いた。


 あのの一件以降、深津は新たに仕事をやれと築山から言われることもなく、また運転手に戻っていた。

 深津が築山に呼ばれて運転手をするのは、月に一回あるかどうかであり、それ以外の時は普通にサラリーマンをしていた。小さな会社ではあるが、その会社に新入社員として入社してパソコンの前に座っている。

 部署は情報企画課という名前のところであるが、どんな仕事をしているのか深津にはよくわかっていなかった。なぜならば、深津は出社しても特になにか仕事を言い渡されるわけでもなく、ただパソコンの前に座って画面を見つめているだけなのだ。

 時おりする仕事といえば、紙の束を渡されてファイルの中に閉じておいてほしいと、上司である定年間際の男に言い渡されるだけだった。


 会社には築山の縁故で入ったということになっていた。深津からすれば、ただ築山にいわれて会社のある場所に毎日通っているというだけである。他の部署の人間は、深津のことを避けているかのように話しかけて来ないし、深津もこちらから話しかけたりはしないようにしていた。


 毎日、スーツを着て会社に通う。出勤時間は通勤ラッシュの満員電車が少し空く頃であり、日が暮れる前に退勤することも許されていた。

 深津は、会社員という仕事が面白いと思ったことはなかった。

 だから、頑張ろうという気持ちもなく、ただ築山に言われるがままに会社に通う日々を過ごしていた。


 深津が会社員として働いている間、築山と片桐がなにをやっているのかはわからなかった。ただ、車が必要な時だけ深津は呼ばれて、運転をするのだ。

 一体自分は何をやっているのだろうか。深津がそう疑問を抱きはじめた頃、片桐が築山にヤマの話を振ったのだった。

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