第2話
しばらくの間、仕事は築山と深津だけで行うことになった。
片桐は腰に大きな傷を負っており、抜糸が終わるまでは安静にしている必要があるとマキタ先生から告げられていた。
車の中で築山と二人っきりというのは、初めてのことだった。車で移動する際はいつでも片桐がいて、いつも三人で行動していたのだ。
「次の角を曲がったところで止めてくれ」
築山はそう指示すると、咥えていた煙草を灰皿の中でもみ消した。
車を路肩に止め、築山からの次の指示を待つ。
築山が無言のまま車を降りたので、深津はその後を追うようにして車を降りると、築山と共に近くにあった雑居ビルの中へと入った。
古い作りのビルにはエレベーターもなく、暗くじめついた階段をのぼって最上階まで行った。最上階の踊り場には屋上へ出るための梯子が設置されており、築山は慣れた手つきでその梯子を降ろすと、先に行けと深津に指示をした。
雑居ビルの屋上には、大きな広告用の看板と貯水タンクがあるだけだった。
長い間だれも来ていないのか、コンクリートの床は苔が生えてしまっている。
ただ、周りに大きな建物があまりないため、この場所からの眺めは良かった。
「三時の方角に大きな門構えの家があるのが見えるな」
築山はそう言って深津に望遠鏡を手渡す。
望遠鏡で築山の言った方を見ると、確かに大きな門構えの家があった。そこは和風の作りの平屋建てであり、門のところには「芝」という苗字の書かれた表札があった。
「見つけました。誰の家です?」
「いまは、誰の家かは関係ない」
ピシャリと強い口調で築山は言うと、深津は黙って望遠鏡を覗き続けた。
「家の奥に犬がいるのは見えるか」
そう言われて深津は門の奥にある建物まで続く広い芝生の庭を見回す。
すると黒い影のようなものが見えた。それは大きな体をした黒い犬だった。
「はい。ドーベルマンが二匹。庭で放し飼いにされています」
「犬は好きか?」
「え?」
質問の意図がわからず、深津は思わず聞き返した。
「犬は好きかと聞いたんだ。二度と同じ質問はするな」
「はい」
「で、どうなんだ」
「嫌いではないです。でも、あれって凶暴な犬ですよね」
「凶暴かどうかは知らん。ただ主人の命令に忠実な賢い犬だ」
なぜ築山は犬の話をしているのだろうかと思いながら、深津は次の言葉を待った。
「今夜、俺があの家に入っている間、お前はあの犬たちを黙らせておけ」
「え?」
「返事は?」
「はい……」
でも、どうやって。深津は疑問を覚えたが、築山は質問を許さないといった雰囲気を出しており、何も言うことはできなかった。
夜になるまでの間、深津は築山と一緒に道場にいた。
道場というのは、工事現場にあるような十二畳ほどの広さのプレハブ小屋のことであり、築山がそこを道場と呼んでいたため、深津も道場と呼んでいる。
床には畳が敷き詰められており、窓はすべて段ボールで塞がれていて、外から中の様子を見えないようにしてあった。
深津はここで武術のようなものを築山から教わっていた。何のために、このような徒手格闘を習わなければならないのかと思っていたが、そんな疑問を口にするよりも前に深津は築山によってボコボコにされていた。
パンチやキックといった打撃はもちろんのこと、柔道のような投げから、寝技、他には映画でしか見たことのないような、それやったら死んでしまうと思えるような技を築山は深津へと教えていった。
「お前は才能があるな」
ある時、築山はそう深津に告げた。
しかし、その時の深津は築山に肋骨を三本折られており、呼吸するのも辛いくらいだった。
道場には片桐も姿を現すことがあり、片桐も深津と同じように築山にボコボコにされる日々を送っていた。
片桐がやられている時は、深津はその築山の動きをしっかりと見て覚えるように言われた。
後で知ったことなのだが、築山が使っていたのは戦国時代から伝わる徒手空拳の武術だということだった。流派名とかは片桐も知らなかったが、戦国時代の頃から弓の弦が切れ、刀が折れた時に相手を倒すために生み出された武術だということだけはわかっていた。そのため、目に指をいれるのはもちろんのこと、耳を引っ張ったり、急所にえげつない打撃を入れたりもしていた。
その日も、夜になるまで深津は築山から様々な技を掛けられた。
そして、夜になるとふたりで出かけたのだった。
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