第16話
静かな住宅街を深津は歩いていた。
大通りに出てタクシーを捕まえることも考えたのだが、それは危険すぎることだと気づいて歩くことを選択した。もし、後藤が自分の行方を追いかけて捜査網を広げてきた場合に足がつくのは困るからだ。
目的の場所までは、それほど距離があるというわけではなかった。地下鉄の駅にして二駅。歩けば四〇分ほどの距離だった。
歩いている間も、警戒することは怠らなかった。後藤が自分を探している可能性というのもあったが、それ以上に片桐がどこから現れるかわからないということがあった。
入り組んだ路地を抜けた先。そこは看板も出していない、小さな店だった。
普通の客では、そこに店であるということも気づくことはない。そんな佇まいの店である。どこかの店の裏口であるようなスチールの扉を開けると、細長いスペースにすっぽりと収まるようなカウンターと数脚のスツールが姿を現す。
一見するとバーのような作りであるが、それはフェイクであることを深津は知っていた。
「いらっしゃい……」
カウンターの内側に立つ白髪頭のループタイを着けた男が、入ってきた深津にちらりとだけ目をやると声をかけてきた。
店内にいるのは男だけであり、客は誰もいなかった。深津にとってはそれが好都合でもあった。
「これをお願いしたい」
財布から一枚のカードを抜き出してカウンターの上に置いた。
見た目は会員証か何かに見えなくはない一枚のカードだった。
男はそのカードを受け取ると無言でうなずき、店の奥にある別の扉のロックを解除する。
ロック解除された扉の向こう側。そこは銀行の貸金庫のような場所だった。誰もこの店の佇まいから、こんな場所があるなんて想像することはできないだろう。
深津が扉のところまで進んで行くと、男が声をかけてきた。
「築山さんの話は聞いたよ。私はキミたちのどちらにも肩入れはしないつもりだ」
「それで充分です。ご迷惑はお掛けしません」
そういって深津は男に頭を下げると、男は深津に興味を失ったかのように違う方へと顔を向けた。
部屋は四畳半ほどの広さであり、壁に埋め込まれるように大小さまざまなロッカーが存在していた。その中のひとつに先ほどのカードを差し込むと、小さく甲高い電子音が聞こえ、ロッカーの扉が開かれた。
ロッカーの中には、仕事で使う道具が入っていた。深津はその中からいくつかの道具を取り出し、一緒にしまってあった革ジャンに着替えた。それは、仕事をする時に使っていた革ジャンだった。
仕事で使う道具をすべてボストンバッグの中に詰め込んで、それを担いで部屋から出た。
「気を付けて」
店を出る時に、男が深津にそう声をかけてきた。深津はその声を背中で受けると、何も答えずに歩きはじめた。
次に向かった先は、その店から少し離れたところにあるマンションの一室だった。ここは賃貸マンションであり、仕事の時に隠れ家の一つとして使っている場所だった。
築山はこのような部屋をあちこちにいくつも持っていた。借主の名義は築山の所有しているペーパーカンパニーであり、家賃はそのペーパーカンパニーの銀行口座から引き落とされている。
部屋の中には家具と呼べるようなものは何もなかったが、フローリングの床はきれいになっていた。掃除は月に一度、清掃会社を入れてやらせているのだ。もしもの時にいつでも使えるようにしておく。それが築山のやり方だった。
クローゼットの扉を開け、中に入っている寝袋を取り出し、部屋の真ん中に置く。寝具と呼べるものは他にはなかった。だが、いまはこの寝袋があれば十分だった。
バスルームでシャワーを使い、ヒゲを剃ると、新しいシャツに着替えた。
今日一日、色々なことがありすぎて、ヘトヘトだった。深津は、寝袋の中に包まると何も考えること無く、意識を失うようにして眠りに落ちた。
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