第15話

 夜空が赤く染まっていた。

 大勢の野次馬たちが、スマートフォンを片手に火元であるマンションを見上げている。

 黒い煙が立ち上り、多くの消防車が集まってきていた。


 燃えているのは、深津の部屋があるマンションだった。そして、最も大きな炎があがっているのは、深津の部屋である。

 おそらく、火を放ったのは片桐だろう。あの男は目的のためであれば、そこまでやる人間だ。


 お前のすべてを奪う。

 片桐はそう宣言したように、深津のすべてを奪いに来たのだ。


 野次馬に紛れて、しばらく火事の様子を眺めていると、携帯電話がポケットの中で震えた。

 ディスプレイを見ると、見覚えのある数字の羅列が表示されていた。

 たしか、これは昼間に築山の親父の死を知らせてきた後藤とかいう刑事のものだ。

 出るべきだろうか。深津は考えた。


 考えている間も、電話は鳴り続けている。

 仕方がない。深津はいつまで経っても鳴り止まない電話を諦め、通話ボタンを押して、携帯電話を耳に当てた。


「深津さんですか」

「ええ……そうですが」

「警視庁の後藤です。いま、どちらに?」

 電話の相手は、やはり後藤という刑事だった。

 なぜ後藤が自分に電話を掛けて来たのか。深津は疑問を覚えながらも、後藤の質問に答えた。


「外ですが」

「良かった。無事なんですね」

 後藤は火事のことを知っている。そして、何かを感じ取って深津に電話を掛けて来たのだろう。


「ええ。私は大丈夫です」

 質問に対して惚けようかとも思ったが、ここは素直に答えておいた方がいいだろうと深津は判断した。


「いま、どちらに?」

 また同じ質問だった。その質問がなぜか深津の琴線に触れた。

 どこかにある違和感。それはかつて修羅場を潜り抜けて来た経験のある深津だからこそ、わかる違和感であった。


 視線を感じた。深津は警戒しながら辺りを見回す。

 野次馬たちを立ち入らせないための規制線の向こう側。ワゴン車の脇に、ベージュ色のコートを着た中年の男と紺色のコートを着た若い女が立っているのを深津は見つけた。中年男の方には見覚えがあった。そう、後藤である。後藤は、先に深津のことを見つけたらしく、じっとこちらを見つめながらスマートフォンを耳に当てていた。


「燃えているのは、私の部屋だ」

「火元は三一二号室。亡くなられた築山さんの部屋ですね」

 事務的な口調で後藤はいう。

 マンションの部屋は三一二号室が築山の部屋であり、その上の四一二号室が深津の部屋だった。マンションは分譲であり、築山が二部屋とも現金一括払いで購入したものだった。


「火は上に燃え広がり、深津さんの部屋も全焼しました。いまは、ほぼ鎮火していますが、消防が調査に入っています」

 後藤はそう深津に告げたが、深津には「自分の家が燃えているというのに、お前はそんなところで何をしているんだ」と言っているように聞こえた。


「とりあえず、お話を聞かせていただきたいので、ちょっとこちらまで来れますかね」

「……わかった」

 深津はそう言って電話を切ると、じっとこちらを見つめている後藤の視線から逃れるように野次馬たちの中へと姿を紛れ込ませた。


 いまは後藤と話している暇などは無かった。警察などアテにはできない。いま信じられるのは自分ひとりだけなのだ。


 深津はマンションに背を向けると、ゆっくりとした足取りで歩きはじめた。再び、携帯電話が着信を告げていた。その着信を無視し、携帯電話の電源を切ると、植え込みの中へと投げ捨てた。

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