第14話
スナックを出た後、深津はしばらく街を歩いた。
酔ってはいなかったが、妙な高揚感のようなものがあった。ひさしぶりに暴れた。ジムでのスパーリングとも違えば、公園でチンピラまがいの若造たちに絡まれた時とも違った。
相手は暴力のプロだった。場馴れしており、道具まで出してきた。だから手加減は出来なかった。
この高揚感はひさしぶりに感じるものだった。ヤマを踏んだ時、この高揚感がいつもあった。若い頃はこの高揚感に乗せられて、ヤマを踏んだ後は必ず女を買っていた。そうやって自分の中にいる獅子を落ち着かせようとしていたのかもしれない。
街灯のところに立っていた女に声をかけられた。
立ちんぼだった。歳はまだ十代後半の少女のようにも見える。
最近では、ホストクラブに通うために売春行為を行う少女もいるといった記事が週刊誌に出ていたことを思い出していた。
深津は首を横に振った。
美紀とあまり歳の変わらない少女が売春をしている。そう思うと、なんともいえない気持ちにさせられた。
どこか店に入ろう。
そう思って、目に入ったバーへと足を向けた。
小さな店ではあったが、先ほどのようなきな臭い店ではなく、きちんとしたバーテンダーがいる店だった。
少し長い髪をオールバックにしたバーテンダーが、スツールへと腰を下ろした深津に注文を聞いてくる。
深津はウイスキーをロックで注文し、ポケットから煙草を取り出した。
最近はバーであっても禁煙の店もあるが、この店は喫煙可能なようでカウンターの上にはきれいに磨かれた灰皿が置かれていた。
煙草の紫煙とアルコール。いまの深津の高揚感を落ち着かせるには、これだけで十分だった。
二杯目のロックを飲み終えたところで、携帯電話が着信を告げていたことに気がついた。マナーモードに設定してあったため、いままで気づかなかったのだ。
着信は数回あったようで、着信履歴はその番号で埋められている。
知らない番号ではあったが、直感的に掛けてきたのが誰であるかはわかった。
勘定を済ませて店の外に出た深津はリダイヤルボタンを押し、電話をかけた。
「――――もしもし」
受話口から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
深津の予想は当たった。
「やっぱり、あんたか。片桐さん」
電話の主。それは片桐隆行だった。
「ひさしぶりだな」
「よく、電話なんかしてこれたな」
「こんな時じゃないと連絡はできないさ」
片桐は笑うような声で言った。
ひさしぶりに聞く片桐の声は以前と変わらず、懐かしさすら覚えるほどだった。
「どこで俺の番号を知ったんだ」
「どこでもいいだろ。野暮なことは聞くな、マサ」
マサ。深津のことをそう呼ぶのは片桐だけだった。
その名前で呼ばれた瞬間、深津の脳裏に昔の片桐の映像が浮かんでいた。それは本当の兄のように慕っていた頃の片桐の姿だった。
「どうせ雪枝に聞いたんだろ」
深津がそう言うと片桐は黙ったまま何も言わなかった。その沈黙が答えなのだ。雪枝は片桐の元妻だ。そして、雪枝は片桐のことを深津に殺させたがっている。
「なあ、マサ。俺は……」
「聞きたくないな、あんたの泣き言は。あんたが親父を殺した。その事実だけがあれば十分だろ」
スイッチが入ってしまった。そんな感覚だった。
「もう後戻りは出来ない。そうだろ」
片桐に追い打ちをかけるように、深津は言葉を続けた。きっとアルコールのせいだ。
「ああ、そうだな。親父は俺からすべてを奪った。雪枝も美紀も、そして俺の片目も。だから、俺はお前からもすべて奪うことにした」
「何を言っているんだ」
「お前の大事な娘、美紀を預かった。無事に返してほしければ、これから指示する場所に来い」
「おい、狂ってしまったのか。美紀はあんたの娘だろ」
「いや、美紀はお前の娘だ。だから、お前からすべてを奪う」
完全に狂っていた。片桐は自分の実の娘を誘拐して、義父である深津に取り返しに来いというのだ。
「そんな誘いに私が乗るとでも思っているのか」
「乗るさ。お前には、美紀しかいないんだから」
「どういうことだ」
「そういうことだよ、マサ」
片桐はそう言った後、笑った。ゲラゲラと笑った。その笑い声はもはや狂人のものであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます