第9話

 店を出たのは22時過ぎのことだった。

 この時間であれば、雪枝も美紀も帰宅しているだろう。


 座れないほどに混雑している電車に揺られながら車窓を眺める。

 窓ガラスに反射して映った自分の顔。それはどこからどう見ても、酒に酔った中年サラリーマンだった。それでいい。深津は自分の姿を見つめながら、思っていた。

 駅から自宅までは歩いて15分ほどの距離だった。

 都会の喧騒を忘れさせる、閑静な住宅街。途中には大きな公園などもあり、休日の昼間などは家族連れで賑わっている。


 尾行されている。

 そのことには駅の改札を出た時から気づいていた。

 しかし、深津は気づかない振りを決め込んでいた。もう、昔の自分ではない。そう尾行者とその後ろにいるであろう人物に伝えるためでもあった。


「おい」


 背後から声をかけられたのは、周りに人気のないエリアに入った時だった。

 振り返ると3人の男が立っていた。

 面倒だな。最初に深津が思ったことだった。

 ぱっと見で3人とも身体を鍛えているのがよくわかった。おそらく何かしらの格闘技経験者だろう。


「なんでしょうか」


 深津は、あくまで昼行灯だった。


「なんでしょうかじゃねえだろ。ちょっとツラ貸せ」


 3人の中で一番身体の大きな男がそう言って、近くにある公園の中へと深津を連れ込もうとした。


「断ると言ったら」


「痛い目にあいたくはないだろ」


 男が深津の背広に手を伸ばす。

 面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。


「離してくれないか」


 深津はそっと背広を掴もうとしていた男の手を払った。

 それが合図であったかのように、他の2人の男が動いた。

 右の男が廻し蹴りを放ち、左の男がストレートパンチを打ち込んできた。

 深津には、全部見えていた。

 だから、一歩後ろに下がるだけで、男たちの攻撃が届かない位置に逃げることができた。


「やめておけ」


 警告のつもりで言ったが、男たちにはその声は聞こえなかったようだ。

 正面にいた一番体の大きな男がさらに掴みかかってきた。

 一瞬、深津の身体が沈んだ。

 男たちにはそう見えただろう。

 次の瞬間、掴みかかってきた一番体の大きな男が地面に倒れていた。

 なにが起きたかわからない。

 おそらく地面に倒れた男は、そう思っているだろう。


「もう一度だけ言う。やめておけ」


 右側の男が雄叫びをあげながら突っ込んできた。

 連続の蹴り技。空手かテコンドーを使うようだ。しかし、深津には関係のないことだった。


「警告はしたぞ」


 男の放った蹴りを避けながら深津は言った。

 それが男の聞いた深津の最後の声だった。

 ふたりの男が地面に倒れている。ひとりは体を小刻みに震わせるように痙攣を起こしている。


「誰の命令だ」


 唖然としている男に深津は言った。

 男は何も言わずに逃げていった。


「おいおい、仲間を見捨てて逃げるなよ」


 深津は逃げ行く男の背中に声を掛けたが、男は振り返ることもなく走り去っていった。

 長時間この場に留まるつもりはなかった。

 気を失っているふたりが息をしていることだけ確認すると、深津も足早にその場を去った。

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